Quantcast
Channel: 日本人の進路
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3630

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史9──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!?2/2 

$
0
0

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史9──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!?(2/2) 







    はじめにクリックをお願いします 
人気ブログランキングへ


















*******************************










中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/




2014-04-29

“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史Ⅸ──「西尾幹二」は、北朝鮮工作機関のペンネーム!? 





 (続き) 








第二節 「大川周明(テロリスト)→佐藤優(テロリスト)→西尾幹二(分裂病の嘘つき)」──平成日本に復活した、幸徳秋水系“悪のテロリスト”文筆業者



 前稿『西尾幹二の研究』第八章では、“脳梅毒のテロリスト”大川周明に西尾幹二が心酔する理由の言及を、紙幅がなく割愛した。以下、少しばかし触れておく。

 西尾が“大川マニアック”で見せる「反日」性は、暴力至上主義アナーキストで“民族系コミュニスト”の大川周明を持ち上げて、対日情報操作に邁進するロシア工作員(佐藤優)と中共工作員(関岡英之)の北朝鮮人たちに熱いエールを送ることでもわかる(注1)。北朝鮮人に「変身」し“非国民”となった西尾には、今では、日本国民としての矜持はむろん、その意識すらない。

 西尾がいたく感激する『米英東亜侵略史』とは、どう読んでも、次のように、大川が神懸りになってブツブツと祝詞をあげている、実に気持ち悪い“ご神託”言辞の代物。
 





+++++++++++++++++++++++++
 「つらつら考へ来たれば、ロンドン会議以後の日本は、目に見えぬ何者かに導かれて往くべきところにぐんぐん引っ張られてゆくのであります。この偉大なる力、部分部分を見れば小さい利害の衝突、醜い権力の争奪、些々たる意地の張り合ひによつて目も当てられぬ紛糾を繰り返しておる日本を、全体として見れば、いつの間にやら国家の根本方向に向つて進ませて行くこの偉大なる力は、私の魂に深い敬虔の念を喚び起します。私はこの偉大なる力を畏れ敬ひまするが故に、聖戦必勝を信じて疑はぬものであります」(注2)。 
++++++++++++++++++++++





 一九三〇年のロンドン海軍軍縮会議への同意を最後に、日本は、自国の国益を忘れ、“世界の暴徒”となって国際秩序の破壊に向かって大暴走する。それは、自己犠牲で世界秩序を担う、英米による戦間期世界秩序の“パックス・アングロ・アメリカーナ”を破壊せんとする(ローマ帝国を侵蝕した北方ゲルマン蛮族と同じ)ヴァンダリズムであった。「近衛文麿の日本/ヒトラーのドイツ/ムソリーニのイタリア、及びスターリンのソ連」という、四名の凶暴な政治指導者に率いられた“悪の社会主義・共産主義四ヶ国”が、世界にようやく平和をもたらしていた英米による世界秩序をぶっ壊したのが、日本の対支戦争を皮切りに勃発した第二次世界大戦であった。第二次世界大戦の結果、日本もまた、日本が存続し繁栄する基盤そのものが崩れ去り、日本は、国家の破綻&破滅の地獄へと転落した。 







大川周明=オウム真理教の麻原彰晃、西尾幹二=オウム真理教の上祐史浩


 つまり、大川周明の「太平洋戦争=聖戦」論は、近衛文麿らと同じく、日本の破局と滅亡を期待し予測して論じている。近衛は、この破局後の共産革命を目指したが、大川はこの破局そのものが目的だった。これが、第一段階の破壊は共通でも、第二段階がきっちと計画されているマルクス・レーニン主義者と、第一段階のみで後は無計画な幸徳秋水系アナーキストとの相違である。

 それはともかく、軍事知識ゼロの大川周明だが、『米英東亜侵略史』は対英米戦争が開始された直後の、彼の意見開陳。ならば、必ず、勝利か敗北かを思考したはず。当然、この太平洋戦争の帰趨を論じるに、軍事や戦争にかかわる断片的知識を必ず援用するはず。ところが、それが一字もでてこない。

 代わりに大川は、勝利は「信じる」もので、対英米戦争への決断は「<(アッラーなどの)偉大な力>に導かれた」と説くばかり。日本の大敗北必至を確信しているからだが、自分の本心とは逆に「勝利を信じろ」とは、オウム真理教の麻原彰晃が狂気「ハルマゲドン」の妄想を、信者に狂信しろと強要するやり方と全く同じ。
 


 不在の「偉大な力」をさも実在するかに見せるべく、狡猾な大川周明が考案したトリック詭弁が、「私の魂に深き敬虔の念を呼び起こした」「私はこの<偉大な力>を畏れ敬ひまする」であった。“信ずれば不在も実在になる”の狂信を強要する時の、カルト宗教団体教祖が常套する詭弁である。怪しげな教祖だった大川のこの戯言には、「畏れ敬いが足りないから、<偉大な力>が消え、敗戦と破局になったのだ」の言い訳すら、周到に準備されているではないか。

 対英米戦争の帰趨は、軍事学的に、米国は日本全土を占領できるが、日本は米国本土を占領できない以上、(日本海軍の貯蔵石油量からして)米国が一年半以内に講和を申し込んでこない限り、日本の敗北は確実だった。つまり、「一九四三年六月頃までに終戦にならなければ日本の方から対米講和を申し入れる」予定が欠如した、戦争終結を考えない対米戦争を開戦したことは、日本側に、一般通念以上の戦争以外の(日本の共産化のためソ連の属国という)他意が秘められていたからである。

 それはともかく、正常な日本人ならば、上記引用の大川周明の言い草を読めば直ぐに大川がペテン師のカルト宗教家だったことに気づく。そして、大川に憤慨する。しかし、西尾幹二だけは、大川への憤激も糾弾も無い。逆に西尾は、大川周明を、「大川に従って、日本人は、日本国の敗戦と滅亡という運命に従え」と、擁護する。西尾の狂ったこの妄言は、かつて殺人狂のカルト教祖・麻原彰晃の代弁において「ああいえば、上祐」と仇名された“詭弁の達人”上祐史浩が展開した巧みな妄言危言も及ばない。
 





+++++++++++++++++++++++++
 「(米国に何でもかんでも反対して行き詰った後の日本が)<賢明である>には<運命>に黙々と従うことではないでしょうか」(注3)。 
+++++++++++++++++++++++



 自滅の選択を“運命”として自己催眠することなど、永遠の存続が義務で権利である主権国家に許されない。しかも、歴史ある由緒正しい名門国家として日本国には永久の存続が祖先より義務付けられており、いかなる世代も自滅を選択することは許されてはいない。それに、計画的な戦争の敗北や自滅は、国家意思による狂気の選択。運命などではない。明白にすぎよう。

 ニーチェ・ヒトラー主義の信者として、祖国日本の破壊・破滅を祈願する“狂人”西尾幹二にとって、日本国をこの地球上から抹殺することが文筆活動の目的だが、上記に引用した彼の詭弁は、この証拠の一つだろう。

 話を戻す。敗北へと戦争の帰趨が逆流する事態を想定した、つまり戦争終結をする場合の外交については、日本はいっさい考えていなかった。大東亜戦争は、日本人の絶滅まで永久戦争を所与として企画されたものであった。このことを知り尽くされていたのが昭和天皇で、そのことは『昭和天皇独白録』で明らかになった。
 


 例えば、一九四五年に入ると、「一億玉砕」とか「本土決戦」とかが軍中枢からプロパガンダされたが、大西瀧治郎・海軍軍令部次長などが平然と「あと二千万人ほどを米軍と戦闘させる」と豪語していたように、実際に「日本男児二千万人ほど殺す」のが予定されていた。つまり、日本の男性は赤ン坊から老人まで入れて三千五百万人しかいなかったから、一五歳から五〇歳までの日本男児を一人残らず殺すことを陸海軍はすでに総意としていた。ポツダム宣言と昭和天皇のご聖断が、日本を滅亡から救ったのである。

 以上の歴史事実において、一九四三年春、日本が対米劣勢になる直前、「ハル・ノート」の受諾を米国に通告すれば、米国とは簡単に講和ができたのに、日本側がそれをしなかった理由も明白となろう。だが、大東亜戦争の目的についての話は、いったんここで打ち切らせていただく。

 さて、「ハル・ノートの対日要求」と「ポツダム宣言の対日要求」とを比較してみよう(表3)。前者の方が百倍も千倍も穏健で軽い。満洲の権益はそのままだし、占領軍の日本本土上陸などないから日本の政府も軍隊もそのまま。明治憲法もそのまま守りぬかれた。それ以上に、支那は蒋介石の国民党政府が復帰して毛沢東の共産党を殲滅できただろうし、ソ連は満洲・樺太への侵攻ができなかった。一九四三年夏までの対米講和こそ、日本の賢明な戦争終結外交であった。 


 一九四一年十二月一日の御前会議で日本は、日本の国益に合致する「ハル・ノート」(十一月二六日に日本側受領)を逆さにも蹴ることを最終的に決定した。これによって、日本列島を廃墟とするばかりか、若い男児を中心に三百~四百万人もの日本国民の生命を代償にして、「ハル・ノート」の千倍もひどい条件を受諾する破目になったのである。択捉島を出港した南雲中将の連合艦隊に十二月二日、「ニイタカヤマノボレ」ではなく、「帰投せよ」との打電となる前記御前会議の決定であれば、一九四一年末、日本国は正常な国家への回帰の道を辿っていただろう。

 一九四一年七月二日/九月六日/十一月五日/十二月一日の四回にわたる御前会議で、一貫して英米戦争に絶対反対の昭和天皇のご聖旨を無視し、祖国叛逆の大戦争を挙行した近衛や東條の大罪を、われら真正の日本国民は、断じて許してはならない。糾弾の手を緩めてはならない。

 しかし、戦後日本は、正道を踏み誤って、近衛と東條の大罪を不問とし、背徳と不正義の道を選択した。この結果、日本には、「愛国」の擬装仮面をかぶった西尾幹二のような、祖国破壊を生業とする“準テロリストの非国民”が跳梁跋扈するようになってしまった。
 


 「ハル・ノート」につき蛇足。「ハル・ノート」はハル国務長官の原案ではなく、スターリン/ベリア直属のNKGB工作員でコミュニストのハリー・デクスター・ホワイト財務次官補の作との学術的研究の発表は、日本では私(中川)が最初である(注4)。 








詭弁と嘘を炸裂させ、自分の戦争狂に陶酔する西尾幹二


 さて、大川周明に共鳴する西尾幹二は、狂気と虚偽をさらに爆発させていく。まず、西尾幹二は、「幣原喜重郎が相手(米国)の力を増長させてしまったので、その悪条件をすべて背負って運命に殉じた東條英機は立派」とか、「大川は、<日本がハル・ノートを受け入れればアメリカは永久に平和を守った(はず、などは)>ありえないと言っている」とか、大川が語ってはいない創り話を重ねていく。大川は、「ハル・ノート」には一言も触れてはいない。幣原喜重郎の名前も使っていない。いわんや「東條英機は立派」など、大川が言うわけがない。西尾幹二の身分&肩書きは「学者」なので、このような他人の作品の改竄は“犯罪”である。

 特に、大川が語ったと詐称する、西尾の創り話には重大な問題がある。西尾が、自分の意見を堂々と「俺様の意見だ」と言わないのは、自信がないからではなく、真赤な嘘だと認識して、この嘘を(歴史無知度が西尾ほど極端ではない)大川の権威で伝播させようとの悪意の策謀に基づく。西尾幹二の人格上の犯罪者性は、“詐欺師”佐村河内氏のレベルが些細に見える。
 




++++++++++++++++++++++++++
 「日本がハル・ノートを受諾した後、アメリカは第二、第三の要求を突きつけ、日本を全面破壊するまで止まらない(と大川は言っているのです)」(注5)。 
+++++++++++++++++++++++



 丸カッコ内は、“虚言病”西尾の創り話だから無視しよう。だが、「ハル・ノート」の日本受諾の後、「第二/第三のハル・ノート」が突きつけられるというなら、西尾幹二よ、それはいったいどんな内容のものになるのか、指摘するがよい。米国は建国以来そのような対日外交をしたことはなく、「ある」と言うのであれば、西尾よ、一例でも挙げて見よ。

 西尾は、麻原彰晃の「ハルマゲドン」と全く同じく、非現実の架空の嘘話をでっち上げて、日本人向けの“恐怖”煽動をしている。心底で日本人を大量殺戮したい“日本憎悪”が炎上していなければ、西尾幹二は、日本人に対するこの種の“恐怖(terror)心理戦”など、決してしていないだろう。
 


 米国は、ポツダム宣言の日本受諾の後、「第二/第三のポツダム宣言」を突きつけたのか。世界広しといえども、最後通牒を相手が受諾した後、次から次に新たな要求を突きつけるのは、戦間期で言えば、ヒトラー・ドイツとスターリンのロシアと近衛の日本ではないか。ヒトラーの例を挙げれば、チェコ解体にいたるチェコへの要求のエスカレートは、約束の反故の連続だった。赤色ロシアの例は、バルト三国やフィンランドに対して遺憾なく発揮された。

 日本の外交もスターリンやヒトラーに負けずと暴力団そのものだった。首相の近衛文麿は、日本側の要求を完全に呑んだ蒋介石の国民党政権に対して、「蒋介石を対手とせず」と突如妥結を破棄して南京攻略を命じた(一九三八年一月、注6)。だが、米国の対日外交には、強面ではあっても、(一九三七年七月に近衛が独断で始めた)対支戦争中の日本のような、暴力団まがいの無法な要求を日本に突きつけたことは一度もない。

 重度の分裂病からの西尾特有の転倒ロジックは、さらに続く。
 




+++++++++++++++++++++++++++
 「日本は勝ち目のない戦争を自ら選んでしまったのではありません。選ばせられてしまった」

「自ら戦わずして屈服する悲惨さは、戦って敗北した悲惨さに比べて悪夢であり、歴史を悶絶させる終幕にほかなりません」(注5)。
 

+++++++++++++++++++++++++


 山本五十六が対米戦争をおっぱじめたのは、「ハル・ノート」とは無関係である。南雲忠一・中将麾下の連合艦隊が、パール・ハーバー目ざして択捉島・単冠湾を出港したのは、「ハル・ノート」がワシントンで日本側に手渡される二十五時間前であった。無線はハワイ到達まで封印されていたので、パール・ハーバー攻撃をしている海軍の将兵数千名は、誰一人として「ハル・ノート」の存在を知らなかった。

 山本五十六は、勝算ありとして対米開戦したし、永野軍令部長(軍令部総長)もそう考えた。夜郎自大の彼らは、対米開戦時において、負けるとは考えていない。その理由は、「米国は自由主義国家だから戦意が低く、一方、統制経済の全体主義(社会主義)国となった日本は、この故に戦闘力が何倍にも向上した」という「神話」は、海軍のエリート中堅将校の常識だった。西尾は、後智慧で、歴史を偽造・粉飾している。
 


 そもそも、(対日石油禁輸など)一九四一年七月末からのABCD包囲で日本は追い詰められ、対米戦争に走ったという「歴史」は、表面上の歴史過程をなぞっただけで、真実とはほど遠い。近衛文麿は、対米戦争を仕掛けるに、日本国民に「追い詰められた」という“極限事態”を錯覚的に思い込ませるべく、米国の対日石油禁輸をさせる確実な方法として、南部仏印への進駐を独断で強行した。

 対日石油禁輸を実行した米国ルーズベルト大統領の方が、実は、米国に戦争をしかける理屈を捜していた日本(近衛文麿)の罠に嵌った。近衛文麿の騙しの演技力は、ヒトラーをも凌ぐ人類史上の天才。ルーズベルトのような凡人では対応できない。
 


 国益を毀損する不必要な戦争は、絶対に回避しなくてはならない。戦争は、勝利しても敗北しても、国民が受ける悲惨さは筆舌に尽くしがたいもの。しかも、大東亜戦争のように、日本国をスターリンの属国にするための祖国叛逆/祖国廃滅の戦争など、勝利や敗北の次元を超えて、日本人から健全な民族の精神を剥奪し、必ずその人格を空洞化させ破壊する。大東亜戦争が日本人の精神を蝕んだ悪魔性は、言うまでもなかろう。

 現に、北朝鮮人におだてられ「北朝鮮の金日成」になった西尾幹二に代表されるように、スターリンに頭をやられた戦前日本よりもひどく、“狂気の非人間”が戦後日本で跋扈するようになった。大東亜戦争こそ、日本中を、真善美を破壊する無道徳な超低級人間ばかりにした。戦後日本の腐敗は、大東亜戦争を断罪しない、責任逃避の“歴史の真実隠し”が主因である。 








一九三七年七月以降の米国の対日要求はすべて、日本国の国益に完全合致


 さらに、毛沢東の中国共産党を助けるべく、一九三七年七月に近衛文麿が始めた対支戦争を直ちに止めるよう、米国は「日米通商航海条約」を破棄したり(一九三九年七月二六日、失効は一九四〇年一月二六日)、「在米日本資産凍結」をしたり(一九四一年七月)、の対日制裁を行った。これらは、日本が支那戦争を止めれば旧に戻るのだから、米国の対日要求・要請は、日本の国益と完全に一致していた。

 しかし、大川周明は、これらの米国の対日制裁を、「東亜新秩序」建設を目的とする日本の軍事行動の妨害であると難詰する(注7)。だが、「東亜新秩序」の建設こそ、反日の極み。それは、一九三八年十二月に近衛首相が声明したもので、「東アジア全域を共産化する」という謂い(注8)。「(第二次世界大戦後の東欧諸国のごとくに)東アジア全域をスターリンのソ連に献上する」との宣言。
 


 米国が日本の対支那戦争を徹底的に妨害したが、それこそは日本にとって国益の中の国益ではないか。日本の国益は、蒋介石と戦争するのではなく、逆に蒋と同盟を結び、毛沢東の中国共産党等を殲滅すること、それ以外ではあるまい。一九三八~九年の日本国は、近衛文麿首相を(尾崎・ゾルゲ事件の逮捕よりずっと前に)刑法第八十二条の外患罪で逮捕し、“悪魔の外交政策”「東亜新秩序」を全面廃棄すべきが、真の国益だった。そうしておれば、一九四一年七月の南部仏印への進駐はなく、ABCD包囲もなかった。

 すなわち、対支那戦争で日本を糾弾する、米国のルーズベルト大統領や国務省の対日外交は正しい。それは、理性を喪失して逆走外交を加速する日本を正しい針路に覚醒させんとするもので、最高の助言を日本にしていたのである。

 一方、大川周明の『英米東亜侵略史』は、“反日のテロリスト”として、日本人の視界から国益を消し、日本を地獄へと誘う魔書。こんな大川周明を持て囃すとは、西尾幹二が、二十一世紀日本人から国益判断の理性と知力を剥奪・破壊せんとする“日本憎悪の非国民”だからである。
 


 そもそも、米国の「ハル・ノート」が日本の国益に違背すると言いつつ、「ハル・ノート」の百万倍も日本を危害する、スターリンに言上する予定の「近衛文麿の大東亜戦争終結構想」を不問にする日本人とは、自国を騙す祖国叛逆者の群れ。これほどのダブル・スタンダードは、日本が日本国全体をスターリンに貢ぐことを理想と考えているからで、戦後日本の左翼学界も日本会議や靖国神社などの民族系も、その本性(正体)は、日本共産化を絶対正義と考える共産主義者でなくて何であろう。

 ちなみに、「ハル・ノート」と「ポツダム宣言」と「近衛文麿終戦構想」の三つは、日本人なら完璧に記憶して比較しておかねばならない。昭和天皇は、対英米戦争に絶対反対され、ポツダム宣言受諾が日本国存続の“最後の蜘蛛の糸”だと“ご聖断”された。天才大帝を奉戴できた一九四五年夏の日本の無上の幸運に、神仏の加護が実在するのを観想できない日本人とは、真正の日本人ではないい。
 





表3;「ハル・ノート」の受諾こそ“賢明な日本”の選択だった 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハル・ノート(原案は、
ソ連の工作員ホワイト
財務次官補)
             スターリンへ日本国
             献上あらわな近衛文麿
             の終戦構想
                       ポツダム(原案 
                        は、親日のグルー
                        元大使)


1941年11月26日
               1945年7月
                        1945年7月26日 




日本の領土は不変。
満州については不言及。
米国の「CHINA」は、
満洲を含まない。
              沖縄/小笠原諸島/樺太/
              クリル諸島の、ソ連へ
              の献上
                       日本列島四島および
                        周辺の小諸島(沖縄/
                        小笠原/国後・択捉・
                        得撫・千島諸島は
                        日本領)



支那と仏印からの
憲兵部隊を含んで
完全撤兵せよ。
             支那、満洲、東南々ジア、
              南方、からの完全撤兵。
                                同左
 




支那の政府として
蒋介石の国民党政府
を承認せよ。
汪兆銘政権を否認せよ。
                完全な武装解除
                           完全な武装解除



日独伊三国同盟の
廃棄せよ

                      軍需生産(兵器工場)の禁止



英・米・ソ・タイ・
支・蘭と多国間条約を
締結せよ。
             ソ連に奴隷労働力の献上
             (シベリア百五万人拉致
              は近衛の提案)
                               ―― 





               ソ連軍の日本占領
                          連合国の日本占領



              昭和天皇の退位
                        天皇制度はそのまま



    注9
              注10
                          注10 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







マッカーサー/フェラーズ/ウィロビー/キーナンを臣下にされた昭和天皇の偉大


 大東亜戦争が“反日の祖国反逆”であったことは、昭和天皇に対する日本人の態度を思い出せば一目瞭然。たとえば、一九四五年八月十四日の深夜、現役の阿南陸軍大臣の了解と指示において、ライフル銃を片手に帝国陸軍部隊が、玉音盤を“聖なる国家元首”から奪取せんとしただけでなく、“聖なる国家元首”昭和天皇のご身位を、陸軍刑法の犯罪容疑者として逮捕・監禁すべく、皇居内を傍若無人に徘徊した“世紀の大蛮行”「八月十四日宮城クーデタ事件」を忘れてはなるまい。

 一方、米国は、戦勝国で占領軍で、「天皇は、GHQ総司令官の隷下にある」とのポツダム宣言バーンズ回答の日本側受諾でオーソライズされていながら、天皇を日本人以上に“聖なる国家元首”とした。この「証拠」の一つは、戦勝国アメリカとして米国陸軍五十万人が進駐してきたのに、七年間に近いGHQの日本統治期間中、マッカーサー元帥を初め、アメリカの軍人で皇居に武器を携帯して入った者は一人もいない。マッカーサー元帥は、天皇が居住される千代田区一番地の「皇居」をそのまま“皇居”としたのみならず、最初の会見以後ではあくまで日本国の元首として最高の礼節を尽くした。
 


 一方の日本では、野蛮きわめる天皇制度廃止の共産革命行動だった「八月十四日宮城クーデタ事件」が継承され、赤い陸軍から天皇制廃止の革命リーダー権を戻された日本共産党が率いる暴徒は、「朕はたらふく食っているぞ 汝人民飢えて死ね」のプラカードを掲げて、単に皇居に闖入しただけでなく、配膳室まで突入し米櫃まで覗き込むという乱暴を働いた(一九四六年五月十九日)。

 「QHQ占領軍の米国こそ、日本を救う“真正な日本臣民”」だった証拠の第二は、キーナン主席検事の獅子奮迅の働きで明らか。キーナンは、東條英機以上に、昭和天皇が東京裁判に訴追されるのを全力をあげて妨害し続け、昭和天皇の聖性と無謬とをついに守り通した。

 日本の民族系は、「親日」で王制主義者のキーナン検事を蛇蝎のように嫌う。西尾幹二や靖国神社宮司の松平永芳が典型だが、民族系の多くは実は、(共産党を同志とする、メイド・イン・共産党の米国史観を、共産党以上に拡声器で喚く)天皇制度廃止を心底に秘めた極左人士たちである。「天皇制度の擁護か、廃止か」の身上調査は、リトマス試験紙「キーナン検事に感謝するか、罵倒するか」で簡単に判明する。
 


 “昭和天皇の忠臣”キーナン検事と対照的であったのが、“ソ連人”近衛文麿。コミュニストの近衛は、アンコン号で“近衛の祖国”ソ連から“口封じ”のため「死ね!」と命じられて一九四五年十二月に自殺するまでの約一ヶ月、複数の側近に「昭和天皇よ、俺様に習って、お前も自殺しろ」を言い遺した。近衛は人生の末期に、恩師・河上肇(「コミンテルン三十二年テーゼ」の翻訳者)に洗脳された通りに天皇制廃止の共産革命イデオロギーに従い、昭和天皇を殺害したい憎悪と怨念を爆発させた。

 しかし、“脳梅毒のテロリスト”大川周明を継承する“分裂症の「反米・反日」売文業者”西尾幹二は、日本国の国益毀損に邁進した一九三〇年以降の日本人が一人残らず、逆さにも完全に正常だったと転倒する。こんな逆立ち詭弁と歴史偽造に西尾が精励するのは、ヒトラーが「ドイツ民族が世界一」を唱導しつつ“ドイツの廃滅”を究極の悲願としたのと同じで、西尾自身も、日本国の滅亡すなわち地球上から日本国の完全廃滅を、究極の目標としているからである。
  


 だから西尾が書いた、厖大な雑文のどこにも、近衛文麿や「八・一四宮城クーデター」を糾弾する文章は一文字すら見当たらない。西尾幹二にとって、ソ連を祖国とした近衛文麿と阿南惟幾は、日本破壊という目的を共通する革命同志。非難せず沈黙してあげるのは当然か。

 少し学術的にいえば、正常と異常の判別能力を喪失した西尾には、次の二つの比較研究をする能力が欠如する。しかも人間として野卑で低級の上に、IQが低いナラズモノ売文業者として、西尾幹二には、いかなる学的・知的な発想も無縁で無理。

 比較研究すべき第一は、「一九三〇~四五年の米国の対日要求」と「同時期における日本の対外政策」の、いずれの方が日本の国益に合致したか否か。比較研究の第二は、「一九三〇~四五年の日本の対国内政治」と「一九四五~五二年のGHQの対日占領政治」との、いずれが日本の国益に裨益し、いずれが日本をより毀損したか。

 歴史学も政治学も軍事学も知識ゼロか間違いだらけの貧困な知識しかない西尾幹二は、いっさいの検討もせずにいきなり、「一九三〇~四五年、米国の対日要求は悪と害のみだった。一方の日本の自国に関する政治・外交は、完全で無謬だった」を、所与の事実だとして論を進めている。これは学問ではない。

 「オウム真理教の教団教義は無謬で、信者すべてを至福に導く」との、精神異常者でもあった麻原彰晃のカルト宗教ドグマと寸分も変わらない。西尾幹二は、偽造歴史を経文・教義とするカルト宗教団体の教祖になったようだ。
 






第一節

1、西尾幹二「日本民族の偉大なる復興 下」『正論 』二〇一三年九月号、六九頁。

2、西尾幹二「戦争史観の転換 第一章①」『正論 』二〇一三年五月号、五九頁上段、五九頁下段。

3、同上、六〇頁下段~六一頁上段。

4、上掲「日本民族の偉大なる復興 下」、六八頁。

5、西尾幹二「真珠湾攻撃に高い道義あり」『正論 』二〇一一年十二月号、一六四頁。 




第二節

1、西尾幹二『GHQ焚書図書開封 』第二巻、徳間書店、三一六頁、三四一頁。そこにはこうある。「関岡英之さんの本(『大川周明の大アジア主義 』)はなかなかよく書かれていて、(佐藤優さんと関岡さんの)ご両名の活動で大川周明復活かという感があります」。

 西尾幹二は、このように、民族系コミュニスト兼テロリストの復活を欣喜して歓迎する。西尾が、自国破壊の凶暴なアナーキズムを信奉する共産主義シンパである事実に、疑う余地はない。

2、同上、三四一頁。大川周明『米英東亜侵略史 』、第一書房、八一~二頁。

3、同上、三四二~三頁。
 


4、中川八洋『近衛文麿とルーズヴェルト―大東亜戦争の真実 』、PHP、四六~五五頁。須藤眞志は、『ハル・ノートを書いた男―日米開戦外交と「雪」作戦 』(文春新書)で、先行研究の中川八洋の名前を言及しておらず、学者のルールに違反している。須藤だけはないが、三流以下の学者は、「オレが、オレが」の自分をビッグに見せて業績を衒うのが日常。見苦しい。

5、上掲『GHQ焚書図書開封』、三四三頁。

6、上掲『近衛文麿とルーズヴェルト―大東亜戦争の真実』、一〇一~一三頁。

7、上掲『米英東亜侵略史』、八〇頁。
 


8、中川八洋『亡国の「東アジア共同体」―中国のアジア覇権を許してよいのか 』、北星堂、頁。

9、『日本外交史 』第二十三巻、鹿島研究所出版会、二八三~九七頁。

10、『終戦工作の記録 』下巻、講談社文庫、二三二~四二頁、三三七~四〇頁。





中川八洋
 









* *************************









日本のサヨク共産主義者、アナーキスト ・特亜勢力(シナ共産党工作員、反日韓国朝鮮人、反日なりすまし日本人) は日本を破滅に導く売国奴であり、日本の弱体化、中共への植民地化を進める「日本滅亡推進勢力」であると思われる方はクリックをお願いします 
人気ブログランキングへ悪事千里を走る










Viewing all articles
Browse latest Browse all 3630

Trending Articles