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歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(7)──『GHQ焚書』は、ヒトラー『わが闘争』の模倣(2/2)

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歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(7)──『GHQ焚書』は、ヒトラー『わが闘争』の模倣(2/2)







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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/05/141243



2014-04-05


“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅶ)──『GHQ焚書』は、ヒトラー『わが闘争』の模倣





 (続き) 









第二節 ヒットラーと西尾幹二に共通する国家廃墟化の狂気



 ヒットラーが自滅願望すなわち自己破滅の精神異常者であることは、多くの専門家が指摘する。そして、ユダヤ人絶滅もドイツの戦争敗北も、初めから自らの自殺につき合わせる“無理心中”ではなかったかとの多くの研究者の指摘も、恐らくその通りだろう。

 どうも人種論のドグマは、戦争とそれによる自己破壊の狂気と連動している。そこで、つとに知られていることだが、ヒットラーの自己破滅とドイツの自己破壊について、以下、復習しておく。
 





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 「(敗戦からまだ半年も前の)一九四四年秋すでにヒトラーは、ドイツ本国内に対しても<焦土作戦>の実行を国防軍に指令した。・・・工業施設および水道・ガス・電気などの供給施設ばかりではなく、生活の維持のために必要欠くべからざるすべての設備が破壊されることになった。

 すなわち、食糧貯蔵庫、水路網、変電所、長距離ケーブルや送信塔、電話交換局、配線ダイヤグラムやスペア貯蔵庫、住民申告役場や戸籍局の書類および銀行の口座資料などである。歴史的建造物、城館、教会、劇場、オペラハウスのような芸術的記念建造物さえ、敵の空襲を切り抜けた場合には破壊される予定になっていた」(注1)。
 

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ドイツを砂漠のようにする破滅願望は、敗戦が近づいたが故ではない。戦争が予想もされていない一九三三年の政権を獲得する前から、ヒットラーは、側近にしばしば口にしていた。想定外の敗戦で自暴自棄の狂乱になって、その思考に至ったのではない。

 日本も敗戦が確定した一九四五年に入ると、「一億玉砕」とか「本土を焦土として決戦する」とか、日本人全員の「一億特攻(=自殺)論」が昂揚するが、これはレーニンの敗戦革命論に基づく共産革命の土壌づくりを目指したもので、ニヒリズムの病からのヒトラーの破滅・廃墟願望とは、似て非なるもの(注2)。ともあれ、フェスト著『ヒトラー』からの引用をもう少し続けよう。一九四五年三月十九日に発令された「ネロ命令」第一号とは、次のようなものだった。
 







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 「戦争継続のため、敵が直ちに、あるいは将来利用しうるようなドイツ本国内の軍事的な交通・通信・工業・供給施設および有価物をことごとく破壊すること」(注1)。 
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軍需大臣シュペーアが記録した、ヒトラー末期の焦土戦術

 このドイツ廃墟化に全力をあげる“末期のヒトラー”を最側近として観察し、現場・現場でその阻止(「ヒトラーの命令を無視せよ」の伝達)に動いた軍需大臣シュペーアも次ぎのように回想する。 




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 「(「ネロ命令」第一号発令の直前で、日付が一九四五年三月十九日となったばかりのまだ真夜中、総統官邸を後にするとき、ヒットラーは私にこう言った。)戦争に敗北すれば民族も失われるだろう。ドイツ民族は、きわめて原始的な生存に要する基礎的なものなどを顧慮する必要はない。むしろ反対に、自分でそれらのものを破壊する方がよい。なぜなら、この民族(ドイツ民族)は弱い民族であると実証され、未来は結局より強い東方民族(ロシア民族)に支配されるからである。この戦いの後に残るものは、どっちみち劣等なもの(ドイツ人)ばかりだ、良きもの(優秀なドイツ人)は滅びるのだから」(注3、カッコ内中川)。 
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 最後の「ネロ命令」は、ヒトラー自殺後の五月三日のラジオ放送であった。ブラッハーの書では、「ヒトラーはこの焦土命令を、四月二十一日にハンブルグで録音され五月三日に放送された最後のラジオ放送のなかでは、いっそう明確な形で繰り返し主張した」とある(注4)。

 青年時代から希望してきた自殺が目前に達成できるのを知って安心したのか、ドイツ国を荒涼たる野蛮の荒野にしたいと、ヒトラーが心底に秘めていた本当の真意が、一気に噴出したと考えられる。ドイツ全体を道連れにした心中自殺は、さぞヒトラーにとって痛快な満足だったろう。

 「ドイツ千年王国」とか、「純血ドイツ人が世界を支配する使命を持つ」とか、荒唐無稽な“愛国”言辞ほど、“非国民”でない限り発することのできない薄ら寒い空疎な大言壮語だし、妄想の極み。こんなこと、語らずとも明らか。ドイツへの愛国心がもしひとかけらもあるなら、このような戦慄する馬鹿げた粉飾の言葉で自国を語らない。
 


 真正の愛国者は、三十年先までの祖国の行く末を見通し案じて、現時点の自国や自民族の欠陥を指摘し、その改善・修理に専念するので、祖国に対しては苦言ばかりを呈するのが常のはずだし、自国を褒めたり、美化したりする余裕など決して存在しえない。

 自国への甘言は、狂人やならず者からなる非国民・国賊でなければできない“祖国呪詛の仮想表現”である。平たく言えば、自国を地獄に誘導し転落させる褒め殺し作戦である。個々の国民の人生は(当時のドイツの平均寿命から)六十年なのに「千年先」を語るなど、それだけでも詐欺的な狂人である証左として十分ではないか。

 さて、ランケ/ブルクハルトの系譜にあるドイツの偉大な歴史学者マイネッケもまた、ヒトラーのドイツ国廃墟/ドイツ民族絶滅願望の狂気を、こう述べている。
 






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 「(一九四四年春に党指導部で語ったヒトラーの言葉だが)神がけっきょく私に勝利を拒もうとするならば、私は、ドイツ民族がそのような屈辱の後まで生き延びることの無いように、(ドイツ国の廃墟とドイツ人の絶滅が実現するよう)配慮するであろう」(注5、カッコ中川)。 
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ユダヤ人大虐殺のはてに、ヒトラーはドイツ人大虐殺を見ていた

 ドイツを焦土化して永遠の廃墟にせんとするヒトラーの“ドイツ国やドイツ民族への究極の憎悪・怨念”の情動を剔抉した最高の先見力ある著書と言えば、誰でも、一九三六年に亡命し反ヒトラーのレジスタンス戦士でもある元ナチ党員ヘルマン・ラウシュニングが書いた『ニヒリズムの革命』(注6)を推挙するだろう。

 同書は、チェコ解体の一九三九年三月までの分析考察だから、第二次世界大戦を勃発させたドイツとソ連のポーランド侵攻前の情報だけで、ナチズムが無法と無秩序を求めるアナーキズムであり、それは“ドイツの自己破壊”に直行するという事態の推移を的確に予見したもの。一言でいって、圧巻の書である。

 マイネッケやシュペーアのは、敗戦が確定した一九四四年に入ってからの間接・直接にヒットラーの悪魔の言説を聞いての指摘。一方、ラウシュニングは、知的な推論からの一九三八年の結論だから、学的には一等上になる。
 






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 「大衆デマゴギー的心霊修行の麻酔的靄をかけられて健全な思考をすっかり失うに至っていない人は皆、ナチスの道は、その暴力行動主義的な衝動が目ざす方向へ、つまりアナーキー(テロと殺戮の、無法と無秩序)と想像を絶する規模の自己破壊(ドイツ国の廃滅とドイツ人の絶滅)へと不可避的にわれわれ(ドイツ人)を連れ込む」(注6、カッコ内中川)。 
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 ヒットラーが、断末魔に当たって、ドイツ本国を英米側ではなく、極力、モンゴル帝国のまま収奪を旨とするソ連に占領させ、ドイツを徹底した荒廃にもっていこうとしたことは、一九四四年からの軍事作戦にも顕著に証明されている。この説明には、地図をふんだんに用いる問題から、本稿では割愛する。少し残念だけれど、読者は諒とされよ。

 ところで、ヒットラーのドイツ廃滅の狂気を、フランクフルト学派の心理学者エーリッヒ・フロムは、一刀両断に「ネクロフィリア(necrophilia、屍姦症)だ」と言い切っている。「ドイツ千年王国」を創ってあげるとの“ドイツ国への愛”は、破壊尽くされ廃墟になった亡国した“ドイツ国の屍体への愛”を反転した分裂症行動ということか。

 なお筆者は、思想的には水と油のフロムとは相容れないが、これだけは例外的にフロムと同意見である。
 



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 「ヒトラーの最も重要な特質は、ネクロフィリアでしょう。死んだもの、破壊、生命のないすべてのものへの愛です」(注7)。 
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 ヒトラーが、英米とソ連との二正面に戦争を拡大した、ドイツの国力を超えた第二次世界大戦を開始したのは、それは最終的にドイツの大敗北になるから、“究極におけるドイツの自己破壊”を当初から目的とした開戦だった。ユダヤ人絶滅という世紀の犯罪も、ドイツ人の絶滅に至るその前段階だったはずで、「ドイツ人の純血擁護のためのユダヤ人絶滅」という理屈と実践は、「ドイツ人の絶滅」という最終段階の意図を隠す中間過程だった。

 「ユダヤ人大虐殺は即、ドイツ人大虐殺への高速道路」だと見抜けず、ヒトラーを熱狂的に支持した戦間期ドイツ人の愚鈍さは、(日本を共産国にするための敗戦革命を起こすべく大東亜戦争をプランし推進した)一九三七年六月の(スターリンと通謀する)コミュニスト近衛文麿首相の誕生に熱狂した日本人の愚鈍さと同じで、日本はドイツを笑えない。
 








“祖国滅亡教の教祖”ヒットラーと、その信徒・西尾幹二


 ヒトラーの祖国破壊/祖国廃滅の狂気は、実は、一九二五年末刊の『わが闘争 前巻』に十分に読み取れる。なぜなら、そこで、ヒトラーは自分の祖国オーストリアの没落と滅亡を呪い願った(ウィーンですごした貧困の)青春時代を回顧しているからである。

 祖国オーストリアを憎悪し呪詛して、外国ドイツを“新しい祖国”だと妄想するヒットラーにおいて、この新・祖国もいずれまたヒットラーにとって憎悪し呪詛するものになるのは、旧・祖国を憎悪し呪詛した論理が否定されず真理だと信じられている以上、自明ではないか。

 こう言っている。
 




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 「当時わたしはこの国家(祖国オーストリア)の内面的な空虚さと、この国家を救うべき可能性のないことを認識すればするほど、締め付けられるような不満に取り 憑かれた。この国家は、あらゆる点でドイツ民族の不幸でしかありえないという確信を感じたのだった」

「この国家(祖国オーストリア)は、真に偉大なドイツ民族をすべて圧迫し、妨害するに違いなく、同時に逆にすべての非ドイツ的現象を助長させるだろうと確信した」

「私の心臓は、決してオーストリア王国のためではなく、いつもただドイツ帝国のために鼓動していた。(祖国である)オーストリアの崩壊の時が、(外国である)ドイツ民族の救済が始る時だとしか思えなかった」(注8、カッコ内中川)。 

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 この論理では、ヒトラーの“新・祖国”ドイツが右肩上がりの興隆する時のみドイツを愛するが、いったんドイツが下降の転落を始めればポイ捨てしてよいことになる。つまり、祖国がいかに艱難辛苦に見舞われようとも、祖国に生まれた自己の運命に従って、祖国へ自己犠牲するのが真正の愛国心だが、そのような思惟や精神はヒトラーには皆無で不在だった。

 ヒトラーの外国ドイツへの愛は、所詮、ジプシーのような地球放浪者(ディアスポラ)の気まぐれで戯れに近い。ドイツが、自分の狂気と野心を満たす一時的な寄生の対象物として好都合である限りの条件下での“偽り(虚構)の愛国心”であった。

 そしてヒトラーは、本当の自分の祖国の滅亡を、祖国の首都(ウィーン)に住んでいたとき、すでに呪詛的に切望していた。
 



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 「(オーストリア帝国の)崩壊を追及することは、有益である・・・。(オーストリアの)大部分の人々が(祖国の)瓦解の現象を盲目的に彷徨ったことは、ただオーストリアを滅亡させるべき神の意思を証明している」(注8、カッコ内中川)。 

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 この引用文中の「オーストリア」を「ドイツ」に置き換えれば、一九四四~五年のヒトラーの“ドイツ廃滅の願望”に従った総統命令そのものになる。“祖国滅亡”こそ、青年ヒトラーが一九四五年四月三十日に自殺するまで、生涯を通じて一貫して片時も忘れなかった(狂気で)堅固な信条だった。

 ヒトラーの祖国滅亡教を戦後日本で正統に継承し、歴史の改竄と捏造に生きる「狂信的な信者」がいる。脳梅毒で思考が爛れたというより枯れ腐ったピーマンの空洞と似た自己破壊・解体の思考を箴言に変える美文家ニーチェに魅せられ、狂気の度合いを濃くする西尾幹二という男である。西尾幹二は、“祖国滅亡教の教祖”ヒトラーを崇拝し信仰する信徒で、その使徒を自認する。西尾の凶悪なヒトラー型祖国滅亡狂については、次稿で論じる。が、一言。
 








西尾の対米戦争狂は、“日本国の敗北と廃墟”を目指す祖国滅亡教の信仰告白


 戦争を弄び戦争に興じる者はすべからく、自己破滅/自己破壊が秘めた信条である。日本で言えば、レーニン/スターリン系共産主義者の近衛文麿や、ヒットラー系社会主義革命を目指す(レーニンにも傾倒する)大川周明を思い出すだけでも、このことは一目瞭然だろう。

 近衛文麿とは、日本国を、スターリンのソ連に領土も国民も丸ごと献上することを画策して対支戦争を強引に開始し、つづいて対英米戦争も先導的に決定した。この二正面戦争の行き着く先は、(ソ連の一構成共和国としては存続しているが)伝統的・歴史的な日本国の完全消滅である。だが近衛は、共産国となった赤い日本を想像しては、無常の歓喜に浸っていた。

 大川周明は、革命と戦争で日本人が地獄の責め苦に喘ぐのを見たく、意味不明な抽象語「有色民族(人種)の解放」「世界の道義的統一」「昭和維新」「日米戦争は運命」などを振りまく、狂気一色の“悪のデマゴーグ”だった。抽象語を弄ぶ者は、皆、心底に“血塗られた自国民殺戮”願望がある。危険視するのが常識だが、今日の日本では、この常識すら消えた。

 さて、問題としたいのは、「人種」を理屈に「戦争」を煽動し先導せんとするドグマ。このドグマにおいて、“ヒトラー祖国滅亡教の忠実な信徒”西尾幹二は、大川周明のデマゴギーをも継いでいる。西尾幹二が、大川周明と同じく、二つの魔語「人種」と「対英米戦争」で読者を催眠にかけながら目指すものは、日本国の廃滅であり、日本人の絶滅であり、まさしく祖国破滅である。次稿で詳述する。       

  (つづく) 
    








第一節

1、チャーチル『第二次世界大戦 』第一巻、河出書房新社、一四頁。

2、サンジェルマン条約とは一九一九年九月に締結された、オーストリア=ハンガリー帝国解体条約の一つ。チェコスロバキアの独立、トレンティーノ地方のイタリア王国への割譲、現スロベニアの分離。

3、トリアノン条約とは、分離独立後の旧ハンガリー王国の新領土を確定した条約。一九二〇年六月。すなわちスロバキア、クロアチア、トランシルバニアを割譲。

4、ヒトラー『わが闘争 』第一巻(上)、第十一章、角川文庫。

5、アーレントは、「反ユダヤ主義」は「ユダヤ人が社会生活の中でその機能とその影響力を失い、富のほかにはもはや何ものも所有しなかった時(一九二〇~四〇年代)にその絶頂に達した」とし、その主因を「ユダヤ人の権力なき富と政治意思なき尊大さのみが、寄生的なもの余計なもの挑発的なものと感じられるのだ。それらは怨恨を掻き立てる」と考察する。『全体主義の起原 』第一巻、みすず書房、四~五頁。
 


 ユダヤ人大虐殺となったナチの「反ユダヤ主義」に対するアーレントのこの視点と省察は、「戦後日本が、一九七〇年以降、経済大国になったにもかかわらず、国際的に軍事的役割を果たさないことが周辺の国家からの対日憎悪を醸成する」との警告を、歴史の教訓として示唆している。



第二節

1、フェスト『ヒトラー 』下巻、河出書房新社、四一五頁、四二二頁。

2、大東亜戦争を、ヒトラーと同じ“廃墟狂の病気”から煽動した日本人には保田與重郎がいる。政治思想においては、ヒトラーや保田を“プレ・ポストモダン”に分類する。中川八洋『福田和也と“魔の思想”―日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝 』第三章。
 


3、アルベルト・シュペーア『第三帝国の神殿にて 』下巻、中公文庫、三二四頁。読売新聞社がこれを最初に邦訳出版したのは一九七〇年。タイトルは『ナチス狂気の内幕―シュペールの回想録 』。

4、ブラッハー『ドイツの独裁II ナチズムの生成・構造・帰結 』、岩波書店、八四八頁。

5、マイネッケ『ドイツの悲劇 』、中公文庫、一〇〇~一頁。

6、ラウシュニング『ニヒリズムの革命 』、筑摩書房、二八六頁。この原書は一九三八年刊で、オーストリア合邦までである。日本語版は、一九六四年の新版からの邦訳で、一九三九年三月のチェコ解体まで触れられている。反ヒトラーのレジスタンス運動の一人であったラウシュニングが、原著に多少の加筆を行ったようだ。尚、ラウシュニングは、反ヒットラー運動は続けながら、一九四二年以降は米国(オレゴン州)で農業を営み、一九八二年に歿した。

7、エーリッヒ・フロム『人生と愛 』、紀伊国屋書店、一九八頁。

8、アドルフ・ヒトラー『わが闘争』上巻、角川文庫、一八四~五頁、一一八頁。 




 (附記)

 日本は、一九四五年四月末、日独三国同盟を締結した近衛文麿と松岡洋右を逮捕し国家叛逆の咎において断罪することをしなかった。国益を放棄し愛国心を失い亡国の大東亜戦争ごっこに現を抜かす戦争期日本人の、ニヒリズムの腐敗と堕落は、かくもひどかった。

 一九四五年四月末、世界の戦局で何が起きたのか。ムソリーニは、その愛人クララ・ペタッチとともに、(北イタリア・コモ湖畔で逮捕された二十六日から二日がたった)一九四五年四月二十八日、イタリア・パルチザンに処刑された。ヒトラーは、(十二年間の愛人ではあったが)結婚したばかりの新妻エヴァ・ブラウンとともに、四月三十日午後三時三十分、総統官邸(ベルリン)の地下掩蔽壕にて自殺した。このとき三国同盟は、墓場に直行した。

 近衛と松岡の両名は、昭和天皇の猛反対にかかわらず(スターリンに頤使されていた“共産軍”日本帝国陸軍の後押しで)独断専行して日独伊三国同盟条約を締結した。日本国は、日独伊三国同盟とドイツの戦勝を前提にして、一九四一年十二月、近衛のプランどおりに、英米に宣戦布告した。
 


 一九四五年四月末、日独伊三国同盟が消滅した以上、対英米戦争をする前提もまた消滅した。日本は、このとき、講和を英米に申し出て終戦を決断すべきであった。また、三国同盟の消滅とは、ハル・ノート(一九四一年十一月)の要求どおりの事態の到来だから、日独伊三国同盟を廃棄せよと要求した米国の方が、“三年半”も先を先見していたことになる。少なくとも、ムソリーニとヒトラーの死において、「ハル・ノートは、日本の国益に反した対日要求ではなかった」ことが証明された。

 それはともかく、ヒットラーの自殺と同時に、ドイツ国民は皆、催眠術から醒めた。だから、十年以上にわたってナチズムに熱狂した自らの行動を説明もできなければ改めて理解しようとしても理解不可能だった。ヒットラー無き後、児戯のような「ハイル・ヒットラー」の敬礼をしたことも鉤十字の旗を振ったことも、現実の行動だったのはなく、不思議な悪夢のひとつで、忘却の彼方にすぐ消えた。ニュルンベルグ国際軍事法廷でナチ首謀者が裁かれる光景に、違和感や反感を持つドイツ人は皆無だった。
 


 ヒットラーが“狂気の催眠魔術師”だったか否かは別として、(ハイデカーやカール・シュミットのような確信犯の知識人を除く)大衆のドイツ人がヒトラーに「催眠された」のは、直接的に心理操作された事実において、それなりに説明がつく。しかし、ヒトラーやゲッベルスの演説をラジオで強制的に何度も聞かされたわけでもなく、ナチのポスターばかりを読まさせられたわけでもなく、ニュルンベルグ党大会に参加したわけでもない日本人が、一九三〇年代、ヒトラーやナチズム統制経済に魅せられたのは、いったい何だったのか。戦後日本は、ナチスト日本人を糾弾せず無罪放免していいのか。

 戦後日本は、日独伊三国同盟を締結した政治家への断罪をしなかった。近衛は、服毒自殺をして責任追及から逃避した。松岡洋右はA級戦犯で裁かれている途次、東大病院にて厚い看護を受けながら大往生した。「獄中死亡」は、民族系がでっち上げた大嘘である。少なくとも、松岡洋右を祭神として靖国神社に祀ることは、祖国叛逆行為である。松岡を靖国から叩き出す、当然の愛国行動が決断され決行されねばならない。

中川八洋 








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日本のサヨク共産主義者、アナーキスト ・特亜勢力(シナ共産党工作員、反日韓国朝鮮人、反日なりすまし日本人) は日本を破滅に導く売国奴であり、日本の弱体化、中共への植民地化を進める「日本滅亡推進勢力」であると思われる方はクリックをお願いします 
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