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安倍晋三の国防音痴(3)──ロシア天然ガス依存を完全廃止せよ!、北海道の要塞化、原発推進を急げ!

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安倍晋三の国防音痴(3) ──ロシア天然ガス依存を完全廃止せよ!、北海道の要塞化、原発推進を急げ! 







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テーマ:ロシア(ソ連)
http://ameblo.jp/kororin5556/entry-11949210344.html
ロシア天然ガス依存を完全に取りやめよ!―北海道の要塞化と「脱・原発」の一掃を急げ! 2014-11-07














ロシア=ソ連 の正体



http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html

ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪
戦後のソ連の日本人虐殺を強く非難する 


2012年3月 Minade Mamoru Nowar 





1.凄まじかった
    鬼畜・ソ連軍兵士の強姦・残虐行為


ウィリアム・ニンモ氏の著書 『検証・シベリア抑留』 加藤隆訳 (時事通信社 1991年3月発行)
第47頁は

「要するに、満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、
口ではいい表せないほどひどいものだった。
暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。


・・・とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、
抵抗するものは片っぱしから殺した。
ソ連軍の兵士たちが日本の女にしたことは、
いまでもぞっとするほど残虐なものだった」
  
   と述べている。
 


強姦された日本人女性のほとんど総ては、
 その後、自殺、絶望死、病死、衰弱死した。 





凄まじかったソ連軍兵士の日本婦人強姦


(クリックで拡大)


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筑紫野市湯町の二日市温泉の済生会病院旧館のはずれに小さな水子供養祠がある。

1946年、満州からの日本人民間人の引き揚げが開始されてから、博多港に上陸した
日本人引き揚げ者は約1年半で139万人に上がった。

ソ連兵や北朝鮮の保安隊兵士に強姦されて、身ごもった女性も多数いた。
上陸寸前、絶望して博多湾に身投げした女性もいたといわれる。

身ごもった女性の妊娠中絶手術が厚生省博多引揚援護局二日市保養所で行われた。
手術は、麻酔を使わないで行われたといわれる。「白い肌、赤い髪、長い指。
一目でソ連兵の子供とわかる水子もいた」といわれる。

極悪非道なスターリンの侵略戦争の犠牲となり、
何度も【地獄の責め苦】に苛まれた女性たちを慰める言葉が出ない。

戦争を絶滅して、再び、このような悲劇が起こらないことを祈るのみである。
 






2.【歴史の闇】に葬り去られた強姦被害



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出典:『週刊朝日百科113 日本の歴史 現代③ 占領と講和』第79頁 






3.凄まじいソ連軍兵士たちの強姦(レイプ) 

 現在は人口約700万人といわれ、ハルビン市、大連市と並ぶ満州
屈指の大都市、瀋陽市にソ連軍が侵攻してきたのは8月19日である。
すぐにハルビン市、長春市と全く同様にソ連軍兵士たちのレイプ
(強姦)凶暴・暴行・殺戮・略奪が始まった。

中国国防大学教官の徐焔(シュ・イェン)大佐は著書の
『1945年 満州進軍 日ソ戦と毛沢東の戦略』
(朱建栄(ツウ・ジェン・ロン)訳 三五館 1993年8月発行)
第223頁~第229頁からで次のように述べている。
 


 「ソ連軍が満州に入った時点から、その相当数の将兵は直ちに、
横暴な行為を露骨に現した。彼らは敗戦した日本人に強奪と暴行を
振るっただけでなく、同盟国であるはずの中国の庶民に対しても
悪事をさんざん働いた。

特に強奪と婦女暴行の二つは満州の大衆に深い恐怖感を与えた。
100万以上の満州に出動したソ連軍兵士の中では、犯罪者は少数と
いうべきだが各地で残した悪影響は極めて深刻なものだった。」

満州でのソ連軍の軍紀の乱れは目に余るものがあった。
彼らは白昼堂々と倉庫の中のものを盗み出し、町で売りさばき、
得た金を着服した。
 


夜になると泥酔状態で臭気をまき散らしながら、町中「マダム」を
捜し回った。恐れおののく庶民はドアと窓を締め切り、
ソ連軍が一日も早く帰ることを内心に祈っていた。

満州の各大都市はどこも同じような状況で、夜になるとソ連軍兵士が
街角に現れ、通行人を止めては携帯物品を強奪し、女性を追い回し、
時には銃をもって民家に押しかけることもよくあった。

瀋陽の町ではソ連軍警備司令部の憲兵がトラックで巡行するのを
よく見かけた。酔っ払いと軍紀違反者が多すぎるため、トラックで
大量に収容するからだ。逮捕されたら厳しい処罰を受けるが、
それでも軍紀違反者が後を絶たない。
 


ソ連軍の軍紀退廃についての中国側の最初の報告は、
満州に進出した八路軍の一番手の部隊が延安の党中央に送った電報だ。
1945年9月初めに山海関を出て瀋陽に到着した部隊は、
ソ連軍兵士による強奪事件を目撃し、また多くの中国人市民から
訴えを受けた。その報告で、ソ連軍は「軍服はボロボロで、軍紀は
はなはだ悪い」と説明し、現地のソ連軍政治部にも
「軍紀を厳粛にせよ」と申し入れた。

ソ連軍政治部は「すでに多くの措置をとって軍紀違反者を罰しており、
多い日には一日に20人以上も処刑した」と回答した。
しかしソ連軍側はまた、その原因を、兵士のファシストに対する
敵愾心に帰し、ドイツでも同じ行動をしたと弁明した。
この回答に八路軍はもちろん満足することができない。かといって
それ以上どうしようもなかった。
 


ソ連軍は自ら非公式に次のように背景を説明した。ドイツとの
激しい戦争で大量の死傷者を出し、兵力補給の不足を来たし、
戦争後期、多くの刑事犯も軍隊に補給した。そのため軍紀の
引き締めが十分にできず、悪質者を一部銃殺して何とか規律を維持
しているという。この説明の内容は事実かも知れたいが、ソ連軍
首脳部が軍中の非行者とその行為を真剣に取り締まらず、事実上、
野放しにしたことの責任は逃れられない。

ファシストに対する敵愾心をもって兵士の非行を説明し、
中国を敗戦国のドイツに例えた譬えたことは、
八路軍の将兵の中で憤りを引き起こした。
 


仮に敗戦国だったにせよ、無辜な一般市民に狭量な民族報復を
働いていいということにはなるまい。
異国で「三日間勝手にせよ」として兵士の闘志を刺激するなど、
なおさら政治の堕落だ。

ソ連軍のこのようた釈明はまさに、大ロシア主義の態度を
反映したものだと言える。その根本的な原因はスターリンの
「共産主義総本山」の意識にあり、そのため他国の人民を尊重する
教育を怠ったのだろう。
 


ソ連軍の一個戦車軍団が1944年末にユーゴスラビアの片隅を
通過した。その短い道程で、千件以上の婦女暴行と強奪事件を
起こした。これがユーゴスラビア国民の強い反発を招き、
のちにユーゴとソ連の関係決裂になる原因の一つになった。

ソ連軍がドイッの東部を占領した後も、強奪と暴行を繰り返し、
ドイツ人の民族感情を傷つけた。本来は親ソ的な東ドイッ政権なのに、
統治の基盤が不安定だったのは、それが一因でもあった。

満州での行為は、ソ連軍の一貫した行為の東方での継続だ。

1969年4月の中国共産党第九回全国代表大会で
毛沢東がソ連の満州出兵に触れた際、
「当時のソ連の軍紀は退廃そのものだ」と恨めしげに語った。」
 









4.ソ連軍兵士の凄まじい婦女暴行

若槻泰雄著 『戦後引揚げの記録 新版』時事通信社 1995年10月発行

第123頁
満州に侵入したソ連軍は、8月19日には、早くも外部との一切の通信交通を
遮断した。そして世界の目から隔絶された中で、ソ連の軍隊はほとんど例外なく、
被占領国民たる日本人の上に強奪・暴行・婦女暴行をほしいままにしたのである。

程度には若干の差はあったし、侵入直後が最も激しかった地区や、逆に日を追って
悪化したというような都市もあり、数日にして一応平静に帰した所もあれば、
占領の全期間、数ヵ月にわたった例もある。

兵器をもったソ連兵は、群れをなして日本人の各家庭や会社の事務所に押し入った。
そして手当たり次第、金めのもの時計、貴重品、衣類などを強奪する。

そして撫順など極めて少数の例外はあるが、婦人とみれば、老若を問わず
婦女暴行を働いた。
 


抵抗するもの、あるいは、これを阻止しようとするものは容赦なく射殺する。
窓を閉じ、扉に鍵をしめ、更には入口を釘で打ちつけていても無駄である。
軍隊が本気で民家に侵入しようとするならば、そんな程度のものを
打ちこわすのはいとも簡単であろう。家屋は無残にたたきこわされるだけだ。

しかもこの行動は「夜陰に乗じて」というわけではない。ソ連兵の強奪は
「盗む」とか、「奪う」というような段階ではなく、トラックを横付けにし、
「それはまるで運送屋のように、だれはばかることなく、せっせと運んだ」
と表現している体験記や、「何年もたった後でも、夜中エンジンの音を耳に
するとぞっとすることがあったくらいだ」という記述もある。
 




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筆者の意見:
筆者は満鮮国境・鴨緑江河口の安東市(現・丹東市)生まれで、敗戦の翌年、
1946年10月まで同市に住んでいた。安東市は満州の中で最も治安がよかった。
それでも、ソ連軍占領中は、ソ連軍兵士の略奪・暴行が絶えなかった。
若槻教授の上記記述には何らの誇張、虚偽はない。事実を正確に述べている。

2011年1月16日夜、NHK総合テレビから、スペシャル番組『日本人はなぜ戦争へと
向かったのか 第2回 巨大組織「陸軍」暴走のメカニズム』が放送された。

日ソ戦争(ソ連の対日参戦)敗戦後65年、平和な時代の日本国民が、知りたくない、
思い出したくない、正視できないのが、1945年、満州と北朝鮮で現実に起きて
多数の日本人女性が蒙った、良心を完全に失っていた鬼畜・ソ連軍兵士たちによる
強姦(性的暴行)事件である。犠牲となった日本人女性は、無能・無策・無責任な
旧日本帝国陸軍の最高指導者たちと高級参謀たちが引き起こした満州事変と、
それに続く満蒙開拓団送り込み政策の犠牲者でもある。戦争の惨禍を引き起こさない
ために、忘れることは許されないと思う歴史事実である。
 








5.北朝鮮における
      強姦、暴行、殺戮、強奪


編集委員:細川護貞・大井篤・豊田隈雄・阿川弘之・千早正隆・鳥巣建之助 
『高松宮日記 第八巻』中央公論社1997年12月発行 第175頁~第176頁

「北朝鮮に侵入せるソ連兵は、白昼、街道にて、通行中の婦女を犯す。
汽車の通らぬため歩いてくる途中、1日数度強姦せらる。

2人の娘を伴う老婦人は、かくして、上の娘は妊娠、下の娘は性病に罹る。

元山か清津にては(ソ連軍に)慰安婦の提供を強いられ、(引き受け者の)
人数不足せるを(補うものを)くじ引きにて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。

(慰安婦を)強要せられ自殺せるものも少なからず。
 




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6.東ドイツにおけるソ連軍兵士の強姦犯罪


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旧東プロイセン・カリーニングラード


アントニー・ビーヴァー著・川上洸訳
『ベルリン陥落1945』 (白水社 2004年8月発行)

本書の多くの頁において、1945年、凶暴なソ連軍兵士たちが、
ドイツ本土のみならず、侵入したどの地域においても、
すさまじいレイプ(=強姦)・殺戮・強奪を行った状況が、
赤裸々に述べられている。

ソ連軍兵士たちは、年齢に関係なく全ての女性をレイプ(=強姦)した。
彼らの性暴力行為は現代に生きる筆者の想像を超える凶暴さであり、
明白な【人道に反する罪】である。
 


第482頁
「ダーレム(ベルリン市内)の産院と修道院を兼ねる女子修道院
【ハウス・ダーレム】では、修道女、若い娘、老女、妊婦、
出産したばかりの母親が、みんな容赦なく暴行(=レイプ=強姦)された。」

第602頁
「ベルリンの二つの主要病院によるレイプ(=強姦)犠牲者の推定数は
9万5000人ないし13万人。東プロイセン、ボンメルン、シューレージエンでの
レイプ(=強姦)被害者140万人の死亡率は、ずっと高かったと考えられる。
全体では少なくともも200万人のドイツ女性がレイプ(=強姦)されたと推定される。
繰り返しレイプ(=強姦)された人も、過半数とまではいかなくても、かなりの数に
のぼるようだ。」
 


第614頁
「東プロイセンは、すべての被占領地のなかでいちばん悲惨な目にあった。
なによりもみじめなのは、(ドイツ本土へ)逃げ遅れた民間人の運命だった。
大多数の老若女性がソ連での強制労働に駆り立てられた。森林、泥炭地、
運河で、1日、15時間から16時間もこき使われた。2年間で半数をやや上回る
死者が出た。生き残った女性の半数近くがレイプ(=強姦)された。
大多数が結核や性病におかされた。」

第606頁 
「その夏(45年夏)を通じて、各国の新聞・雑誌はこの問題(ソ連軍兵士たちの
レイプ(=強姦))を掲載しつづけた。」

参考サイト:大戦直後のソ連軍兵士の性的暴行

参考Youtube:
2 Million German women were raped during WWII
by the Russian soldiers.
 









7.開拓団避難民の悲劇

2005年8月3日、NHK総合テレビから放送された『ソ連参戦の衝撃-満蒙開拓民は
なぜ取り残されたか』は、「当時、中国東北部(満州)に住んでいた国策開拓移民は、
【根こそぎ動員】で夫を日本軍に現地招集され、多くの家庭が母子老人家庭となっていた。

戦闘最前線に取り残された哀れな日本人母子老人家庭避難民は、戦闘に巻き込まれて
約3万人が死亡した。その後、病気と飢えで約21万人が死亡した」と報じている。

この番組では放送されなかったが、合田一道著『検証・満州1945年夏 -満蒙開拓団の
終焉』(扶桑社 2000年8月発行)は、満州各地の開拓団の日本人母子老人家庭避難民が、
ソ連軍と武装した中国人暴徒集団の両者に襲われて、【殺害】されたり、
【集団自決(=集団自殺)】に追い込まれたりした悲惨な状況を詳しく述べている。

財団法人満蒙同胞援護会(会長:平島敏夫 参議院議員・満鉄元副総裁)編
『満蒙終戦史 全928頁』(河出書房新社 昭和37年(1962年)7月発行)の第812頁~第813頁は
次に通り述べている。
 


受難は終戦時の満州在住の日本人約195万人(関東州内25万人を含む)すべての運命であった。
もちろん程度の差はある。しかしながら、ソ連軍の満州進撃の日から、遣送帰国の日まで、
不断の危機と苦難にさらされなかった日本人は、ほとんど皆無であったろう。

なかんずく、開拓農民の受難は数多くのの実例にも見られるように悲惨深刻を極めた。

この成行きは、しかし、当然ともいうべきであろう。敗戦とともに、旧満州国の権威は一挙に
崩壊した。ソ連軍の侵入、前満州国軍・蒙古軍の反乱、通信・交通の杜絶、原住民の蜂起
などが相次いで、いわゆる王道楽土は恐怖と混乱の世界に急転したのであった。
 


特に、ソ満国境の開拓団のなかには、ラジオさえ持たず、したがって日ソの開戦も終戦も知らず、
事実を知ったときには、関東軍(満州駐留の日本軍)と日本人役人はいち早く退避した後で、
ひとり曠野に取り残された形となったものが少なくなかった。

しかも、それまでに、開拓団の青年・壮年男子はことごとく徴兵されし、開拓団部落の大部分は
無力な老人・婦女子・子供のみであったことが混乱と悲劇を一層増大したのであった。

ごく少数の男子残留者が開拓団全員を護衛して集団南下を企図したのであったが、
この退避行の道程こそ、ほとんどが、見るも無惨な、地獄絵図となったのである。

ソ連軍または中国人暴徒の襲撃に遭って殺害され、自殺して、全滅した開拓団、及び
1,110名以上の自殺者を出した開拓団は、100団以上を算える。難民生活中の死亡を併せて、
満州の全開拓人口の約30%が死亡したものと見られる。
 





終戦時の満州開拓団等人口と日ソ戦争による死亡・未引揚者数

項目   開拓団   義勇隊   報国農場   合計
団数   944   102?   74    1,131
終戦時在籍者 243,488  22,828  4,112  270,428
調査済団数   847   91    67    1,005
同上在籍者 213,663    22,518   4,976  241,157
死亡者数  61,190   3,077    1,056   65,323
未引揚者数 23,746    2,218    623   26,587
帰還者数  128,710   17,223   3,297  149,230

(1953年(昭和28年)3月現在、外務省調査資料) 


同書第518頁~第519頁は「全満州にわたって、終戦前後の
混乱に殉難して亡くなった人は、調査統計に出ている数でも、
207,980人となっている。恐らく実際には20万人をずっと
上まわっていたといえよう。これらの人の最後はいろいろであった。
一番多かったのが伝染病によるもので、発疹チブスやコレラで
亡くなった。ついで栄養失調によるものが多く、このため、乳幼児が
バタバタと死んでいった。各地別の死亡者数は次の通りである。」
 







全満州各地別死亡者調査数

地名 埋骨箇所 死亡者数
大連:関東州 2 15,000
鞍山 1 1,500
遼陽 1 800
蘇家屯 1 450
奉天 3 37,000
撫順 3 5,000
本渓湖 1 250
安東 1 3,800
延吉 2 54,536
牡丹江 1 4,000
佳木斯 1 150
哈爾浜 6 7,715
斉斉哈爾 2 2,400  

熊岳城 2 60
大石橋 1 200
錦州 3 3,100
錦西 3 39
通化 2 4,500
鉄嶺 1 650
四平 1 60
公主嶺 1,000
新京 3 27,319
吉林 3,555
嫩江 1 700
興安街 4 1,999  

札蘭屯 1 200
五常 8 665
延寿方正 4 380
琿春 2 955
合計 207,980

第444頁に1945年(昭和20年)8月9日、日ソ開戦当時の全満州の
日本人の人口表が掲載されている。これによると関東州を除く19省市の
人口が1,320,858人、大連:関東州の人口が228,842人、
合計1,549,700人となっている。 


ちなみに、GHQ/SCAP(連合国最高司令官総司令部)が1950年に作成
した特別報告書『Special Report-Japanese Prisoners of War:
Life and Death in Soviet P.W.Camps』では
関東州を除く満州全地区が1,105,837人、大連:関東州が223,093人、
合計1,328,930人である。220,770人の差がある。
 



省市名 日本人人口
新京特別市 161,712
吉林省 75,233
竜江省 48,156
北安省 62,408
黒河省 14,059
三江省 65,612
東安省 61,396
牡丹江省 97,931
間島省 29,332
浜江省 41,222
哈爾浜市 78,695  

通化省 15,746
安東省 36,930
奉天省 177,739
奉天市 247,765
四平省 29,150
錦州省 62,914
熱河省 11,807
興安総省 23,383
不一致補正 -20,332
小計 1,320,858
関東州:大連 228,842
合計 1,549,700

満蒙終戦史は以上の通り 


 渡部昇一上智大学名誉教授の著書『昭和史 松本清張と私 大正末期~
二・二六事件』(ビジネス社 2005年12月発行)第191頁に「(1933年当時、
満州には)匪賊(ひぞく)と呼ばれるテロリストたちは推定100万人から
300万人いたといわれます。ほかにも「半農半賊=状況次第で匪賊になる」、
「宗教匪」、「政治匪=敗残兵」、「共匪=共産ゲリラ」・・・など神出鬼没、
昭和8年(1933年)だけでも、匪賊による都市襲撃は27件、列車襲撃は
72件を数えた、というデータがあります」と述べられている。これらの武装
中国人暴徒集団が一斉に、関東軍の保護を失った日本人母子老人家庭
避難民を襲って、レイプ、暴行、殺戮、強奪を行ったのである。
 


 渡部名誉教授が匪賊と表現されている100万人~300万人の中国人
暴徒の大部分は、旧日本帝国軍部の【満蒙開拓団】政策によって土地を
奪われた農民たちである。1931年の満州事変以後、東宮鉄男(関東軍
陸軍大尉、張作霖殺害の実行犯)、石原莞爾(関東軍参謀、満州事変の
首謀者)、加藤完治(農業指導者)、石黒忠篤らは【満蒙開拓団】政策を
積極的に推進した。かれらは、誰ひとりとして、【土地と水、特に農地の
争奪こそが人類の紛争の根源】という発想を持たなかった。果てしなく続き、
解決の曙光さえ見えないイスラエルとパレスチナの悲惨な紛争も、原因は
【土地と水の争奪】である。ソ連軍と武装中国人暴徒集団のレイプ(強姦)、
暴行、殺戮、強奪によって約24万人の開拓団母子老人家庭避難民が死亡
した。旧日本帝国軍部の【満蒙開拓団政策】と、1945年7月の【開拓団の
日本人母子老人家庭は見棄てる】方針の痛ましい犠牲者である。
 


 『検証・満州1945年夏 -満蒙開拓団の終焉』第53頁~第71頁は、
団員、420人あまりが【集団自決】した哈達河(ハタホ)開拓団中央
グループの悲惨な最期について、納富善蔵さんの談話を載せている。
(麻山事件)

 哈達河(ハタホ)開拓団は鶏西(チーシー)市から東へ約8キロ、当時の
ソ連との国境のすぐ近くにあった開拓団である。 哈達河(ハタホ)開拓団
中央グループは逃避行の途中に、ソ連軍の戦車隊と武装した中国人暴徒
集団に前後をはさまれて身動きできなくなり、ついに全員集団自決の道を
たどったのである。中央グループが集団自決する前に、先頭グループ
約300人も、ソ連軍と武装した中国人暴徒集団に襲われて、殺害されるもの
や、負傷者が続出して集団自決していた。
 
 「まず団長がピストルで頭部を撃ち抜き死んだ。続いてあちこちで自殺が
始まった。銃を手にした男たちが、白い布で鉢巻きをしたり、目隠しした
わが妻、わが子を撃ち殺した。短刀でわが子の胸を突き刺し自分も死んで
いく母もいた。喉を突き血みどろになって転がる者、草をわしづかみにして
もだえる者、この世のものとは思えない恐ろしい情景だった」。 




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 (以下省略) 














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ロシアの天然ガスに依存したら日本の防衛は危機を迎える! 



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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/27/121337





「脱・ロシア天然ガス」なしに、危険な日本防衛──北海道の要塞化と「脱・原発」の一掃を急げ! 

2014-03-27






 安倍晋三首相は、国際感覚が“メーカーの海外営業マン”。政治家のもつべき国際感覚も外交能力も皆無で、衰退していく日本国の寂しい現況を淋しく代表する。

 現に、ロシアのクリミア侵略は、安倍が、日本国の総理として、世界を主導する好機の到来である。しかし、安倍晋三は、このチャンスをものにできないばかりか、日本の国防を危殆に瀕しさせようとしている。

 対ロシア問題は、一九四五年八月の満洲・樺太侵略をはじめ、ロシアの侵略の被害甚大な日本こそが主導するものであって、安倍がオバマ大統領に「対ロ制裁が甘すぎる」と叱咤して、ぐいぐいと米国をして“対ロ制裁のリーダー”だけでなく“対ロ軍事包囲のリーダー”に仕立て上げる、そのようなチャンスではないか。
 


 英国にしろ、フランスにしろ、米国同様、ロシアに侵略されてはいない。英仏は、クリミア戦争でロシアと戦争はしたが、その固有の領土をロシアに収奪されてはいない。

 ドイツと言えば、ビスマルクのように外交でロシア包囲に成功した政治家を除けば、ロシアとすぐ懇ろになる民族で信用はできない。ブレスト・リトフスク条約(一九一八年三月)や独ソ不可侵条約(一九三九年八月)を思い起こせば、ドイツの対ロ政策は分裂的で、世界の安定にとっての反面教師。
 






小村寿太郎と吉田茂──世界に誇れる、対ロ外交の模範的な外交官

 対ロ外交の天才といえば、誰しもウィンストン・チャーチルを思い浮かべる。これに匹敵する政治家は、ロナルド・レーガン米国大統領を除けば、確かに他にはいない。しかし、対ロ外交の秀才クラスなら、小村寿太郎や吉田茂など、日本史上にはいくたも散見できる。今こそ、日本人は、小村寿太郎や吉田茂の子孫であることの矜持を取り戻し、対ロ政策を抜本的に正常化する時がきたのである。

 ロシアは、強硬な反ロ政策のみにしか妥協しない。とりわけ、強力な軍事力が迫ると、自ら妥協する。たとえば、日本国の北方領土なら、それは外交交渉で奪還するものではない。日本が北海道を軍事的要塞化して、南樺太の奪還をできる軍事態勢(posture)を完成すれば、ロシアは突然、無条件で北方領土を返還してくる。
 


 これを対ロ外交政策における、“無交渉の交渉”という。このことは、一九八九年十一月の「東欧」解放(=東欧諸国の米欧への返還)を見れば、一目瞭然ではないか。それは、外交交渉で返還をロシアに同意させた訳ではない。

 ロシアは、一九八九年にはいると勝手に、一九四五年のヤルタ協定の履行といい得る、東欧の返還をみずから演出した。レーガンの核トマホークによる核包囲に恐怖したからである。このように、ロシアは、軍事的恐怖をしたとき、すぐさま自ら占領地を返還する癖がある。ロシアのこの癖は、一四八〇年のロシア建国以来の民族文化で、今日も変わっていない。

 新ロシア帝国の新皇帝プーチンが主導しての、今般のクリミア半島へのロシアの侵略は、オバマ米国大統領が対ロ核軍縮交渉をしたり、日本の安倍晋三が極東シベリアの開発に協力したり、ロシアに甘く出たために当然起こるべくして起きた侵略であった。ロシア民族にとっては、“ロシアに対する友好の外交態度は、「ロシアの属国になります、ロシアの言いなりになります」と同義”だから、オバマと安倍は、これを受諾するとのメッセージを送ったことになる。すなわち、クリミア半島の強奪・侵略は、オバマと安倍に責任の半分はある。
 







オバマよ、核戦力を三倍にせよ、黒海に第六艦隊の全艦を出撃させよ

 オバマ大統領は、米国大統領の中では、“バカ”の代名詞になったカーター大統領に優るとも劣らぬ、反・軍事の非・米国的な大統領である。カーターが反・原発含みの核不拡散策の無原則適用と「人権」の無原則輸出で、世界に無秩序化の傾向を生み出し、それがソ連の(「ザ・ネクスト」として北海道侵略含みの)アフガニスタン侵略(一九七九年十二月二十七日)となったのは記憶をしている人はまだ多々いるはずだ。

 このアフガニスタン侵略で、米国には新しい珍語が現れ、ニューヨーク・タイムズほか新聞などを大きく賑わした。「Caterization」という言葉で、直訳すれば「カーター化」である。一九八〇~二年頃に用いられた当時の意味は「暗愚の大統領になること」であった。アフガン侵攻の直前、一九七八~八〇年二月の二年間、私はウィーンでカーター大統領の核不拡散に対しただ一ヶ国孤立して全面激突する日本政府首席代表だった。
 


 オバマは、まさしく「Caterized カーター化した」大統領で、この期に及んで、G8からの追放とか、ロシア政府高官の資産凍結とか、高官へのビザ発給の停止とか、蚊が刺した程度のおざなりの制裁でお茶を濁している。ロシアは、米国からの金融制裁までは折込済みだから、オバマのおざなり制裁は、“プーチンの犬”となった安倍晋三に多少の冷や水をかける効果があったぐらいで、ロシアには無効である。

 ロシアは、軍事力のみにしか、反応しない。特に、核戦力には過剰に恐怖する民族。だが、外交下手のオバマは、こんなことも知らない。代わりにオバマは、健康保険の国民皆保険制度とか同性愛の結婚合法化とか、内政の左傾化ばかりの推進に関心をもつ、まさしく「第二のカーター」。それ以外ではない。
 


 オバマがなすべきは、二つ。まずは直ちに対ロ核軍縮交渉の全面破棄宣言を発出し、核戦力の三倍強化の計画を米国民に訴えることだ。次に、海軍力の増強を米国民に訴えるとともに、第六艦隊と一空母打撃群(空母機動部隊)を黒海で遊弋させて、ウクライナを守るという断固たる意志をロシアに見せるべきである。

 砲艦外交を、過去のものとなった古典的なやり方として排斥すべきではない。海軍とは、クラウゼヴィッツの言う「外交の延長上にあって、外交の手段でもある」本質は永遠に変わってはいない。

 なお、イタリアに母港のある米国の第六艦隊とは、旗艦が約二万トンの揚陸指揮艦「マウント・ホイットニー」。この揚陸指揮艦には、固定翼の艦載機が搭載できない。直ちに、ノーフォーク(バージニア州)に配属されている五空母打撃群のうち一つを廻して、第六艦隊に加え、大型原子力空母を黒海のクリミア沖に常駐・遊弋させる必要がある。
 


 それにしても、レーガン大統領が「六百隻体制」(実数五百八十隻)に強化した米海軍は、今や「二百八十隻」。とりわけオバマ大統領の海軍縮小の反軍思想は、新ロシア帝国を台頭させた最凶の主因となった。最低でも「米海軍四百隻体制」への再強化は喫緊の課題。画餅のようになった第二艦隊を実戦部隊へと復活することを急がねばならない。米国は、「原子力空母十五隻体制」を再建すべきだ。

 安倍晋三は、直ちに米国に行き、「“ストロング・アメリカ”の再生は、世界の平和だ!」「海軍力こそは、ストロング・アメリカの要石だ」と、声を大にして演説し、日米共同の空母機動部隊の創設など日米携えた米海軍の再強化を加速させるべきだろう。このような日本の具体的行動こそ、集団的自衛権の真なる核心である。
 








北方領土で安倍晋三・森喜朗の対ロ叩頭が、ロシアのクリミア侵略決断を鼓舞──北方領土侵略とクリミア・黒海侵略は、ロシアにとって同じサイクル

 日本人の国際音痴の病気は加速的に年々悪化している。それは日本人が、国内政治や経済問題に特化した、はなはだしい鎖国状態の視野狭窄を年々ひどくしているから発生している。要は、日本民族は、今や過剰な「福祉国家」政策と民族系論客の“反米お祭りごっこ”で、とうとう低級な六流民族に転落した。

 とりわけ、ロシアについて全くの無知蒙昧な日本人ばかりとなった現況は、日本の国家存続が危ぶまれる事態。日本の政治家で日本の行く末を案じている者はゼロになってしまったが、これとピタリ符号する。


 ロシアは、樺太・国後・択捉・得撫島への侵略とクリミア半島・黒海への侵略を不可分のサイクル化で行ってきたが、こんな初歩的な歴史すら、日本人で知る者はいない。日本のロシア専門家の九九%がロシア工作員である現況と、一般日本人のロシア音痴とは密接に関係しているが、この重大問題はいずれの機会に論じるとする。
 


 さて、歴史のイロハだが、次の通り。

1、「プチャーチンの日本来航(一八五三年八月二十一日、長崎)→樺太の主権の半分をロシアに譲渡/得撫島のロシア領化を容認(下田条約締結、一八五五年二月)」は、ロシアの対トルコ侵攻(一八五三年秋)と同時。これが英仏とロシアとのクリミア戦争(一九五四年四月~六年三月)へ発展。

 クリミア戦争で英仏に対してロシアが劣勢になったために、一八五四年夏には得撫島のロシア兵は一兵残らず逃散。下田で条約交渉をした川路が得撫島放棄をする理由はなく、川路聖謨の極度な対ロ宥和(appeasement)のひどさがわかる。ミュンヘンでヒットラーのズデーテン割譲を認めた英国チェンバレン首相と川路(江戸幕府の勘定奉行)は同類で、「侵略者の奴隷外交官」である。
 


2、「日本の対ロ樺太放棄の樺太・千島交換条約交渉(一八七四年三月~翌七五年五月締結)」で、樺太の平和的侵略・強奪に成功したが故に、ロシアは次なる目標としてトルコに宣戦した。一八七七年四月であった。この戦争に大勝したロシアは、ベッサラビア地方と黒海の東南海岸部を獲得した。

 尚、近年、「樺太・千島交換条約」を「ぺテルブルク条約」と称する学者がいるが、それはすべてロシア工作員である。この名称変更の悪意は、①七万六千平方㎞の樺太を日本から奪取し、その代わりに五千平方㎞の(得撫島以北の)不毛の島々を名目的に与えたロシアの対日帝国主義が露骨にわかるのを防ぐためが第一の理由、②樺太・千島交換という条約名だと、「千島」が日ロ間では国後と択捉を含まないことを明瞭にする。だから、この事実を日本人にわからせないようにするのが第二の理由。日本人は、決して「ペテルブルク条約」と称してはならない。
 



3、メドベージェフは首相として二〇一二年七月三日、択捉島に上陸した。また、それ以前の二〇一〇年十一月一日、大統領として国後島に上陸した。これは北方領土を日本には返還しないというメッセージであると同時に、二〇一四年二月末に実際に開始したクリミア半島への侵略を、ロシア軍とロシア国民にほのめかすその準備行動でもあった。

 上記の三つの歴史は、トルコ領をロシアに強奪させた一半の責任は日本にあることを示す。日本が自らの固有の領土である樺太と得撫島を放棄したことが、黒海周辺のトルコ領におけるロシアの侵略と“黒海のロシア内海化”を助長したのである。北方領土で日本は一歩も譲ってはならない。日本は、ロシアの黒海艦隊が潰滅・消滅するまで、ウクライナとは運命共同体であることを片時も忘れてはならない。
 







「脱・原発」ではなく、「脱・ロシア天然ガス」へ舵を切れ!──樺太などロシアからの天然ガス輸入に、国家叛逆の外患罪を適用せよ

 二〇一一年三月の「福島第一原発」の軽微な事故に始まる、日本における「脱原発」という非科学の集団ヒステリーは今も終息しない。それを背後で操っているのが、共産党だけでなく、外国であるロシアや中共だという事実につき真剣に考える愛国者は日本には一人もいないようだ。

 この不必要な「脱原発」で、日本の天然ガスや石油輸入に占めるロシアからのシェアは激増し、今や日本の総輸入量の「一割」を占めるまでになった。ロシアは、エネルギーを外交支配・無血侵略の道具としか考えておらず、この「一割」はすでに危険水域を越えている。

 日本は原発すべてを稼動させ、ロシアからの石油と天然ガスの輸入量をゼロとする国家安全保障を優先する“国防第一の正常な国家”への第一歩を踏み出す必要がある。
 


 この意味で、ロシアへの天然ガス依存を強めて、ロシアの対日侵略を助長している事実において、「脱・原発」を叫ぶ新聞やテレビあるいは個人に対して、死刑を含む刑法第八二条の外患罪を適用できるよう法律を制定する必要がある。

 また、クリミア半島侵略は、当然、北海道への侵略が間近いことを示す。「間近い」という意味は二つ。第一は、「日本人の明日は、ロシア人の二十年後」であり、仮に北海道への侵略が「二十年後」であっても、時間感覚が長いロシア人にとっては「明日、そうする」と決意しているのと同じである。第二に、「二十年後」などあっという間に到来する。一九八九~九一年に冷戦が終焉したとはしゃいだ軽佻浮薄な日本人よ、今般のロシアのクリミア侵略・強奪を想定していたか。
 


 私は、現在の事態を二十年前の一九九一年十二月末に確固として想定し、翌九二年、二〇一二年に出版する予定のものを二十年間前倒しで出版した。『蘇るロシア帝国』(学研)である。

 当時、日本人の多くは、「新ロシアは平和的な国家に変貌した」と、私のこの本をありえないことの想定だと嘲笑し無視した。が、二十年後のロシアの現実は、寸分違わず、『蘇るロシア帝国』の通りである。

 ロシアの対外行動は、過去五百年間変わらない。だから、数学の方程式を解く正確さで予測が可能。私と同じ予測ができなかった者は、頭が悪くIQが水準にいかない上に、ロシア史について余りに無知すぎるからである。自らの無知を恥じて欲しい。
 


 日本が早急に自国になすべきことは、北海道の要塞化である。「防衛計画の大綱」を全面見直しして、戦車千五百両ほどを石狩岳の山中に地下一五〇㍍以上の深さで備蓄するとともに、この戦者部隊の兵員十万人を収容する地下一五〇㍍の地下壕を建設するのを急がねばならない。兵員十万人の根拠は、「一ヶ師団1万1千人、戦車250両」で六ヶ師団からなる一ヶ戦車軍団の編成をすると、軍団本部要員、師団本部要員、偵察部隊要員、歩兵戦闘車部隊要員などを合わせたもの。

 全くの予算の垂れ流しである無駄な公共事業や福島原発事故関連復興予算を削れば、この程度の予算はすぐ調達できる。国家が存立して初めて公共事業も福島復興もできるのである。本末を転倒してはならない。      (二〇一四年三月二十五日記)




中川八洋
 












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