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赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型

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赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型 ──学界の極左化を放置してきた“堕落と腐敗の自民党”六十年間の無為は、日本人の国防否定主義を矯正不能にした







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http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/06/09/105034





赤い長谷部恭男を選んだ“左傾バネ”船田元は、知と学を完全喪失した“白痴”自民党議員の典型 ──学界の極左化を放置してきた“堕落と腐敗の自民党”六十年間の無為は、日本人の国防否定主義を矯正不能にした


2015.06.09

カテゴリ:集団的自衛権



筑波大学名誉教授  中 川 八 洋









 6月4日は、安倍晋三にとって悪夢のような日となった。いずれ安倍は、「六・四ショック」と名付けるだろう。

 衆議院の憲法審査会で、自民党が推薦した参考人の長谷部恭男(早大教授)が、「集団的自衛権の行使は、違憲」との見解を示したからだ。もちろん学者の見解は、最高裁判所の大法廷判決ではないから、「集団的自衛権の第九条解釈変更にともなう安保法制の立法作業に何らの法的拘束力を持つものではない」。が、安保法制がいまだ衆議院を通過していない段階だから、国会でのこの立法に対して劇的な暗雲を投げかけた事は否定できない。












半朝鮮人の小沢一郎に傾倒した船田元は、菅直人/福島瑞穂とも昵懇な、北朝鮮の“永田町細胞”の有力議員の一人 


  “極左人士”である長谷部恭男を参考人として自民党が推薦した問題の核心は、船田元がその人選をした経緯と原因を解明するマイナーな問題とは全く次元を異にして、自民党の腐敗と堕落の六十年間から発生したより根本的なメジャーな問題の方だ。と言っても、まずは、前者の矮小すぎる問題からメスを入れる。

 長谷部恭男を自民党の参考人にしたのは、憲法審査会の筆頭理事である船田元である。これが真相だとして間違いなかろう。ただ、船田元は、「自民党本部事務局の情報調査局の職員に一任したために起きた」と言い訳をしている。だが、仮にそうだとしても、憲法審査会が開催される前、船田元は長谷部恭男が自民党推薦で呼ばれているのを知っていた。船田元の責任が免ぜられる事は決してない。


 船田元については、NHKアナウンサー畑恵(参議院議員)と恋に落ちて“政界の失楽園”だと地元では大ブーイングとなったことが記憶されているが、この不倫による離婚・再婚問題は、船田元という政治家の正体を正面から見据えようとするなら瑣末すぎる。船田元の本質的問題は、1993年、小沢一郎に心酔して自民党を離党し「新生党」結成に参画し、共産主義シンパの細川護熙の左翼政権づくりに奔走した事実が、最も重視されねばならない。

 要は、船田元とは左翼バネが強く、いつでも左翼に向かって走り出す“左翼人士”だということ。小沢一郎は、周知の通り、北朝鮮人の土井たか子系の社会主義者だし、血統は日本人の父親と済州島出身の母親との間に生れた半朝鮮人である。さらに、異常な“母親っ子”だった小沢一郎は、ほとんど朝鮮人として育てられた。だから小沢一郎は実質朝鮮人となり、中共を宗主国と崇拝し「反米」を信条としたのである。今も北朝鮮人の山本太郎と仲良く国会で同一会派をつくっている。


 なお、小沢一郎が半朝鮮人/実質朝鮮人であるが故に朝日新聞は、1992年から2013年の「二十一年間」の永きにわたって、日本の政治を破壊するだけの「反日外国人」“壊し屋”小沢一郎を熱烈支援し続けたのである。

 そんな小沢一郎を師と仰いだばかりか、船田元は、福島瑞穂を同志として夫婦別姓を推進した。つまり、船田元は、“ルソー/マルクス『共産党宣言』/レーニンのドグマ”家族解体の信奉者で、極左人士の中の極左人士である。だから船田元は、“北朝鮮の永田町細胞”「日朝国交正常化推進議員連盟」のメンバーで、ここでもまた北朝鮮人の菅直人や福島瑞穂とは昵懇な仲である。















“長谷部恭男ショック”は、知と学を排斥する“選挙屋”“利権屋”自民党再生のきっかけになるか、それとも一過性で終わり“退廃”自民党は直ぐ忘れるのか



一方の長谷部恭男だが、船田元とよく似た人物。特定秘密法に賛成したりして、自らの極左本籍を“眼晦まし戦法”で隠そうとしたり、中々の芸達者である。むろん、その憲法学は「小林直樹→樋口陽一→長谷部恭男」の系譜にあって、共産党と並んで、日本の憲法学界を二分する一翼にある。

 なお、日本の憲法学界は、現在、共産党系と樋口陽一系の共産主義・社会主義者が99%を占め、その他は1%しか居ない。この1%は民族系が中心をなし、例えば八木秀次など、学問業績ゼロの六流学者にもなれない“非学者”がほとんど。


 反社会主義・共産主義である、保守主義系もしくは英米憲法系の憲法学者は、日本には、専業憲法学者に限って言うならば一人も居ない。日本の憲法学界は、ソ連や北朝鮮と全く同じ情況で、自由社会のそれではない。“二十一世紀の世界の奇観”というべき、日本は“思想における共産国”である現況を示す、端的な証左の一つである。

 長谷部恭男の憲法学については、次回に解剖する。ここでは、長谷部が北朝鮮人が大好きである事実だけ触れて、後は本稿では省略。長谷部は、三級ほど学年が下の、北朝鮮人の憲法学者・杉田敦(法政大学教授)とは無二の親友である。また、北朝鮮人でコミュニスト芸人である太田光(爆笑問題)から声がかかると、実に楽しく長時間談笑する。長谷部の血統については未調査で知らないが、果たして日本人か?

 ただ、長谷部の実質的な師である樋口陽一については、一言。


 樋口陽一は、フランス革命のジャコバン党とそのボスであるロベスピエールを崇拝する、血塗られたフランス革命狂徒。全体主義の独裁体制を人類の理想だと考える樋口は、世界標準でいえばスーパー極左である。これがために、7月14日のバスティーユ牢獄襲撃のフランス革命記念日で、もし授業があったりゼミ日に当たっていると、女子学生に花束を買ってこさせ自分に贈呈させる儀式を東大教授時代、欠かすことなく実行していた。

 この延長上で、樋口陽一は、ロベスピエールを継承するレーニンやヒトラーを熱烈に崇拝する。このヒトラー独裁の全体主義体制に適合する「エセ憲法」を論じたのが、ナチ党員のカール・シュミット。この故に、樋口はカール・シュミットの諸著作を座右の書としていた。


 簡単に言えば、レーニン/スターリン/毛沢東/金日成の「憲法」は、余りに“飾り窓”色が露わで、憲法が実際には不在の“無憲法の全体主義体制”を逆に裏づける証左となりすぎている。一方、カール・シュミットの憲法理論は、ヒトラー・ナチズムがさも憲法にも基づいているかに見せることのできる“白昼公然の全体主義憲法”論である。

 そこで、樋口陽一は、日本のように「憲法無しは認めない」「レーニンや毛沢東のように<憲法とは飾り窓でよく、実際の政治権力は憲法をすべて完全無視してよい>との政治制度は、認めない」国柄において、カール・シュミットのような“白昼公然の全体主義憲法”路線の憲法こそ適合すると考えたのである。


  “白昼公然の全体主義憲法”を是とする憲法思想は、一般通念上も、自由社会の要である英米系憲法思想においても、憲法思想ではない。実態的に“無憲法のドグマ”そのものである。この無憲法のドグマを信奉する狂気の憲法学者が、日本の憲法学界の99%を占めるのである。長谷部恭男も、この一人である。

 そして、衆院憲法審査会は、この“無憲法のドグマ”を狂信する反・憲法の大学教授三名を参考人として、その見解を聞こうと呼んだのである。安倍晋三にとって、今般の失態は、なぜ起きたのか。


 ジャーナリズム的で刑事的とも言うべき、矮小的に真相を追究するならば、血統は正しき日本人である極左人士・船田元が、安倍の安保法制を阻止するため、「六・四衆院憲法審査会」を計画的に仕組んだ事を明らかにして、国会明けに、船田元の自民党からの追放、つまり除名処分をする事で決着をつけるのが解決方法の一つ。

 だが、「六・四ショック」の問題は深く、このようなことでは解決しない。①自民党が、現在日本の憲法学者の99%が共産党系か全共闘系である由々しき現状を知らないことの方が問題ではないのか。また②日本国の根幹を徹底的に揺るがし、時代を重ねるごとに必然的に日本の共産革命に直結していく「大学の憲法学者の99%がコミュニスト/ナチスト/マルキスト」という怖ろしい事態の進捗は、1955年に自民党が結成され岸信介が首相の座を追われた1960年の安保騒動にかけて、当時の多くの識者が警告した国家の重大な病気であった。だが、自民党はそれらの声に耳を傾けず無視した。この無視から、すでに六十年間の二世代が経った。

 「六・四ショック」は、その時々の選挙には無関係だということで、自民党が六十年間にわたり知や学に対する無為という、腐敗と堕落が産んだもの。これを問題にし猛省してこそ自民党は初めて日本国の政権政党となりうるが、そのような自民党の自己正常化は起きるだろうか。













「立憲主義」を聞きたい? ならば、日本で「立憲主義」を正しく理解する“たった一人の現存する学者”の謦咳に接するのが最優先されるが、なぜしないのか



 船田元は、記者の質問に、「【六・四憲法審査会】のテーマは立憲主義であったのに、予想を超えた展開になった」と答えている。これが本当だとすれば、船田元は、さらに犯罪的なことを企図していたことになる。船田元への糾弾の手は、さらに強めなければならない。

 “無憲法の全体主義体制”を信奉したり“白昼公然の全体主義憲法”を理想とする憲法学者とは、“立憲主義”を全面破壊することを目論んでいるのである。つまり、日本の憲法学者の99%は、“反・立憲主義”である。“反・立憲主義者”三名に“立憲主義”の話しを聞いた、衆議院憲法審査会は、逆立ちも度がすぎていよう。


  “立憲主義”は、原語がconstitutionalismの英語であるように、中世英国において発祥し、英米において発展してきたアングロサクソンの法思想である。これを説明するには、コーク卿の『英国法提要』(全4巻、厚さは70㎝)、ブラックストーンの『イギリス法釈義』、ハミルトンらの『ザ・フェデラリスト』その他の理解が必要である。

 だが、日本の憲法学者500名を集めても、前述の本をほんの一冊でもほんの一部でも読んだものはゼロ名。この事実は、日本の憲法学者で“立憲主義”を正しく説明できるものはゼロ名である理由を明らかにする。


 ところが、これらの極左人士しかいない憲法学者の、その憲法の教科書を開くとどれもこれも“立憲主義”について言及している。当然、それらはすべて、嘘八百の記述である。口から出任せの捏造フィックションの記述である。“立憲主義”についていっさい知らないのだから、真赤な嘘を書くのは当り前と言えば当り前。それ以上に日本の憲法学者は全員、そもそも“反・立憲主義”に立つのだから、“立憲主義”について正しく書く必要はないと考えている。

 日本で“立憲主義”を理解していたのは、1889年の明治憲法を起草した伊藤博文と井上毅。それ以降は全くおらず、戦後では英国憲法思想の伊藤正巳(東大教授→最高裁判所判事)が初めて“立憲主義”を理解した学者だといえよう。


 だが伊藤正巳には、東大法学部卒の弟子が居ない。理由は簡単で、ゼミの条件がラテン語の習得を絶対としたためである。確かに、マグナ・カルタやブラクトンが読めないようではコーク卿の超大著を研究する事は不可能である。だが、伊藤正巳が、学生がゼロになる事態よりも多くの東大生が門下生となる「原文がラテン語の場合、英訳でもよろしい」に条件緩和をしなかったことは惜しまれる。門下生のほとんどは研究者になるのでない。官界や司法界に入るのだから、“法の支配”や“立憲主義”を知る事の方がはるかに重要なのは言うまでもなかろう。

 伊藤正巳が死没した後は、結局、日本では私がたった一人の、英米憲法思想の根幹をなす“法の支配”や“立憲主義”を理解した、例外的な日本の生き残り知識人となった。1981年に絶滅した佐渡島の最後の国産朱鷺(トキ)の心境である。


 なお、伊藤正巳も私も、学者の世界では憲法学者には扱われない。憲法思想の専門家とか英米憲法思想の専門家とかに分類される。つまり、法律学の一ジャンル憲法学を外から批判し物申す隣接学問の学者である。

 話を戻す。衆院憲法審査会が“立憲主義”を知りたいと真にそう思ったならば、日本でただ一人しかいない“立憲主義”を正しく概説できる私のところに話を聞きに来たはずだ。だが、船田元は来なかった。

 菅直人や福島瑞穂の仲間である船田元は、共産党系の憲法学者と元内閣法制局長官らが昨年から全力をあげている“デッチアゲの嘘・立憲主義”を基準として改正安保法制を「違憲」として妨害する“安保法制つぶし”の策謀を全国的規模に燃え上がらせるべく、“立憲主義”の見解を専門家から聞くと詐称し、衆院憲法審査会に長谷部恭男を「自民党参考人」として招致したのである。





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中川八洋












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