韓国の歴史教科書を読む(1/2)
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精神異常(道徳性が完全欠落した)国家・民族、韓国
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自国の歴史を完全捏造する驚くべき国、それが韓国である。
自国の歴史を嘘八百で作文する恥ずかしい国、韓国。
朝鮮人とは恥というものが全く欠落している民族である。
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樹 懶 庵(じゅらいあん) より
http://www7.plala.or.jp/juraian/index.html
韓国の歴史教科書を読む
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韓国の歴史教科書を読む
反日は韓国人のアイデンティティの中核で、反日しない韓国人などもはや韓国人とは言えない。歴史教育は、このような反日イデオロギーの再生産を担う重要な装置である。学界では1990年代以降「植民地近代化論」が台頭し、日本統治時代の肯定的な変化を評価する方向に変わって来た。しかしその成果は歴史教科書にほとんど反映されておらず、依然として「日帝の悪辣で非人道的な収奪」をヒステリックに糾弾している。
植民地近代化論者らは2008年に近現代史の代案教科書を出版し、現行の左派民族主義に異議を唱えた。この教科書が直ちに採択されることはないだろうが、朝鮮日報や東亜日報のような保守言論が支持しており、一定の影響力はあると見られる。高校では2010年度から国定教科書による「国史」が廃止され、検定教科書による「韓国史」に移行することになっている。「韓国近現代史」は2012年度までで廃止され、「韓国文化史」「東アジア史」が新設される。要するに歴史教育の現場は混乱状態にあり、筆者が2009年9月にソウルで高校国史教科書を探しても見つからなかった。中学国史教科書はあったので、国定教科書による国史教育が当分の間続くのかも知れない。
もしかしたらすぐ時代遅れになってしまうかも知れないが、ここでは2009年度の教科書で韓国の反日教育を概観する。あわせて代案教科書の記述を読むことで、韓国人の歴史認識の幅を検討する。韓国語史料の翻訳には、無名氏のご協力を得た。記して感謝したい。
無名氏のブログ(韓国語)
http://blog.naver.com/pkt87
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国定中学校国史教科書
중학교 국사, 국사편찬위원회, 국정도서편찬위원회, 교육과학기술부, 2002년 초판, 2009년 8쇠.
三橋宏夫訳『韓国の中学校歴史教科書-中学校国定国史』明石書店,2008年.
中学校国史教科書に対する批判としては、既に藤岡寛次「韓国・中国『歴史教科書』を徹底批判する-歪曲された対日関係史-」小学館文庫(2001)がある。これは1996年版への批判だが、それが2002年版(2009年第8刷)でどの程度残っているのか検討する。なお、藤岡は韓国政府が2001年5月に出した日本の教科書に対する修正要求をも同時に批判しているが、ここでは教科書の内容だけに集中する。
執筆陣は次の通り。「国定教科書の執筆者は匿名」というデマを信じている日本人がいるらしいので、いちおう書き写しておく。
최성락(木浦大学校)
양기석(忠北大学校)
박종기(国民大学校)
이존회(ソウル市史編纂委員会)
전형택(全南大学校)
김흥수(前春川教育大学校)
심지연(慶南大学校)
不偏性の虚構
藤岡が呆れた歴史記述の不偏性に関する一文は、2002年版の序文にも残っている。
역사는 오늘의 삶을 비추어 주는 거울이며, 내일을 내다볼 수 있는 창이기도 하다. 따라서, 역사 서술은 과거가 어둡다고 하여 숨기거나 없는 것을 있다고 과장해서는 안 된다. 역사 서술은 치우침이 없고 엄격하여야 한다. (p. 2)
歴史は今日の生を照らす鏡であり、明日を見通せる窓ともいう。したがって、歴史の叙述は過去が暗いからと隠したり、ないものをあると誇張してはならない。歴史の叙述は偏ることなく厳格でなければならない。(p. 4)
これが「ないことをあると誇張」していることでなくて何であろうか。歴史叙述に絶対的な不偏性などあり得ず、必ず著者の立場が反映されているに決まっている。ましてや国定教科書に政府の政治的立場が反映されないはずがない。こうした歴史解釈の相対性を中学生に教えるのは早いかもしれないが、だからといってこんな嘘八百の綺麗ごとを教え込むのは、百害あって一利なしである。
この教科書で「過去が暗いからと隠していること」としては、古代日本の半島に対する影響、元寇への協力、倭寇への朝鮮人の関与、歴代中国王朝への事大・服属、文禄・慶長役における対日協力者、李氏朝鮮の知的荒廃と小中華思想、清からの独立における日本の役割、3.1運動への国際情勢の影響等があげられよう。「ないことをあると誇張していること」としては、古朝鮮の歴史化、文禄・慶長役における朝鮮の勝利、勢道政治悪役論、日帝収奪史観、独立運動の成果等があげられる。
古朝鮮の歴史化
朝鮮に関する信頼できる文献記録で最も古いものは、『史記』に登場する衛満朝鮮である。衛満は中国の武将で、紀元前200年ごろ徒党千余名を率いて朝鮮に亡命し、準王をだまし討ちにして政権を奪い取った。準王の古朝鮮については何も記録がないので、衛満以前の朝鮮は先史時代と見るべきである。
しかし韓国政府の立場では、中国の植民地である衛満朝鮮から朝鮮史を始めることは許されない。そこで神話に過ぎない檀君朝鮮や箕子朝鮮を歴史だと言い張ることになる。特に「朝鮮人による朝鮮」である檀君朝鮮は重要で、朝鮮史が中国史と同程度に古いことを誇るためにも絶対に必要である。したがって檀君神話が13世紀の『三国遺事』までしか遡れず、その内容がいかに荒唐無稽であっても、民族主義的イデオロギーによって檀君朝鮮の歴史化が要請される。
단군의 고조선 건국은 우리 나라의 역사가 매우 오래 되었음을 말해 준다. 또, 단군의 건국 사실과 홍익인간의 건국 이념은 우리 민족이 어려움을 당할 때마다 자긍심을 일깨워 주는 원동력이 되었다. (p. 18)
檀君の古朝鮮建国はわが国の歴史がとても古いことを物語る。また、檀君の建国の事実と「弘益人間」の建国理念は、以後、わが民族が困難にあうたびに自負心を呼び覚ます原動力となった。(p. 20)
一方的施恵論
古代日本は朝鮮半島から大きな文化的影響を受けたが、逆に日本が半島南部に与えた影響も少なくない。硬玉製勾玉や円筒型土器、榮山江流域の前方後円墳はその例である。ところが韓国政府としては、「文物の流れは朝鮮半島から日本への一方通行だった」ことが任那日本府説を否定する重要な論拠なので、日本からの影響を認めるわけには行かない。そこで半島から日本への影響を強調する一方で、日本からの影響は一切無視する一方的施恵論を主張することになる。
しかし藤岡が批判した1996年版に比べれば、一方的施恵論は大きく後退した。旧版では「文化を伝えてあげた」「技術を教えてあげた」といった恩着せがましい「してあげた」のオンパレードだったが、2002年版では文化的影響に関する記述は大幅に削除された。残った記述も「してあげた」式表現は避け、恩着せがましさはなくなっている。
또, 가야의 일부 세력이 일본에 진출하여 일본의 고대 문화 발전에 이바지하였다. (p. 42)
また、伽耶の一部勢力が日本に進出し、日本の古代文化発展に奉仕した。(p. 44)
신라의 불교는 일본에 큰 영향을 끼쳤다. (p. 72)
新羅の仏教は日本に大きな影響をおよぼした。(p. 74)
事大主義
藤岡によると、1996年版の李氏朝鮮の建国に関する記述は次のようになっていた。
新王朝は、国号を朝鮮と定めた。『朝鮮』は、すなわち古朝鮮の伝統を受けつぐという意味で、檀君に民族の独自性を求めるという意味が含まれている。だから朝鮮という国号には、悠久の伝統文化と民族意識が反映されており、民族史に対する主体的自覚が含まれていた。
これは明国に依頼して「朝鮮」「和寧」から国号を選んでもらった史実に真っ向から反する歴史歪曲である。2002年版では記述はあっさりしたが、「過去が暗いからと隠す」姿勢は変わっていない。
새 왕조를 세운 세력은 고조선을 계승한다는 뜻에서 나라 이름을 '조선'이라 하고, 도읍을 한양으로 정하였다. (p. 127)
新王朝を建てた勢力は古朝鮮を継承するという意味で国名を「朝鮮」とし、都を漢城に定めた。(p. 129)
文禄・慶長の役
藤岡が指摘している通り、日本に対しては一貫して「侵略」という言葉が使われる反面、日本以外に対して使われるのは稀である。秀吉の朝鮮出兵も「侵略」と表現される一方、13世紀のモンゴルの侵略は一貫して「侵入」という言葉が使われている。要するに日本人はモンゴル人より悪辣だと言いたいらしい。
文禄の役で日本軍の快進撃は西北部では平壌で止まり、以後到着した明軍によって漢城付近まで押し戻された。教科書はこうした戦況の逆転を、朝鮮水軍と義兵の功績としており、明軍は気の毒にも付録扱いされている。
수군이 승리를 거두고 의병의 활동이 활발하게 전개될 무렵, 명의 원군까지 도착하여 조선은 왜군에 반격을 가하게 되었다. (p. 148)
水軍が勝利を収め、義兵の活動が活発に展開されている頃、明の援軍まで到着して朝鮮は倭軍に反撃を加えるようになった。(p. 150)
また藤岡の指摘通り、教科書は朝鮮民族が一致団結して日本軍の侵略に抵抗したような印象を与えている。実際には日本軍を解放軍として大歓迎した下層民が大勢おり、臨海君・順和君の二王子を縛って日本軍に突き出した役人もいた。中学校の教科書にこうした対日協力者の事跡を書く必要はないだろうが、だったら序文にあんな偉そうなことを書くべきではない。
戦争の結果について、教科書は次のように朝鮮の勝利、日本の敗北としている。
7 년간의 전쟁은 조선의 승리로 끝났고, 일본의 침략 의도는 좌절되었다. 일본은 조선의 항복을 받지도 못했고, 영토를 얻지도 못했다. 그렇지만 이 전쟁으로 가장 큰 피해를 본 것은 조선이었다. (p. 149)
7年間の戦争は朝鮮の勝利に終わり、日本の侵略の意図は挫折した。日本は朝鮮を降伏させられず、領土も得られなかった。それにもかかわらず、この戦争で最大の被害を受けたのは朝鮮だった。(p. 151)
그러나 조선으로부터 여러 가지 문화재와 선진 문물이 일본에 전해져, 일본은 문화 발전을 이를 수 있었다. (p. 150)
しかし、朝鮮からいろいろな文化財や先進文物が日本に伝わり、日本の文化発展に寄与した。(pp. 151-152)
これを読んだ学生は、勝利したはずの朝鮮が最も大きな被害を被り、敗北したはずの日本が最も利益を得たことに疑問を感じないのだろうか。李氏朝鮮時代の小中華思想は、軍事的・経済的劣勢に目をつぶり、文化的・道徳的優越感に耽る精神的勝利法だった。この教科書の記述も、現実から目を背け根拠のない優越感に耽る精神的勝利法を教えているようである。
朝鮮通信使
1996年版では、江戸時代の朝鮮通信使に関しても「私たちの先進文化と技術を伝えてあげた」という恩着せがましい記述になっていた。2002年版ではそうした恩着せがましさは後退し、何やら韓流ブームを連想させる記述になっている。
통신사는 일본의 요청을 받고 일본에 건너가 극진한 대우를 받았으며, 일본의 문화 발전에 공헌하였다. 그들이 다녀간 후에는 일본내에 조선의 문화와 풍속이 펴질 정도였다. (p. 150)
通信使は日本の要請を受けて日本に渡り、手厚い待遇を受け、日本の文化発展に貢献した。彼らが訪れた後には、日本国内に朝鮮の文化と風俗が広まるほどであった。(p. 152)
勢道政治悪役論
李氏朝鮮末期には王妃の親族が実権を握り国政を専断する勢道政治が猛威を振るった。教科書はこの勢道政治こそが李朝衰退の原因であるかのように記述している。
이렇게 세도 정치가 계속되면서 각종 부정 부태로 인해 나라는 어지러워졌고, 모든 고통은 백성들에게 돌아갈 수 밖에 없었다. (p. 176)
このような勢道政治が続き、各種の不正腐敗によって国は乱れ、あらゆる苦痛は民衆に帰ってくるしかなかった。(p. 178)
しかし王権が弱体化することが腐敗と混乱を呼ぶなら、日本は平安時代から江戸時代までずっと衰退し続けたのでなければならない。李朝の衰退には、朱子学原理主義が大きく影響したように思われる。これによって生産活動を蔑視する両班文化が蔓延し、朝鮮名物の党争を激化させ、軍事的弱体化と経済的停滞性をもたらしたと考えられるのである。しかし朱子学を攻撃したのでは、日本に対する文化的優越感を危うくすることになる。そこで勢道政治がスケープゴートに選ばれたのだろう。
이에 백성들은 나라의 정치가 바로잡히고, 서양의 침략으로부터 나라가 안전하기를 원하였다. (p. 189)
民衆は国の政治が正され、西洋の侵略から国が守られることを願った。(p. 191)
開港への道
1996年版では、朝鮮は日本の開港要求を受け入れれば西洋列強があとに続くことを恐れて拒絶したことになっていた。藤岡は国書に「皇」の字が入っていたため拒否したと書けば、朝鮮が中国の属国だったことが知られてしまうため隠したのだと批判した。2002年版は国書に言及している分、前進したと評価すべきだろう。確かに反日感情を煽るような文章だが、一部の学生は「いったいどんなことが書いてあったんだろう」と疑問を抱き、朝鮮の事大主義について知ることになるかも知れない。
한편, 메이지 유신을 통해 새로운 국가 체제를 갖춘 일본도 통상 수교를 요구해 왔으나 그 외교 문서에 일본 국왕이 조선 국왕을 낮추어 보는 표현과 종래의 외교 관행에 어긋나 내용이 있어 조선 정부는 이를. (p. 194)
一方、明治維新を通して新しい国家体制を整えた日本も通商修好を要求してきたが、その外交文書に日本国王(天皇)が朝鮮国王を見下す表現と従来の外交慣行に反する内容があったので、朝鮮政府はこれを拒否した。(p. 196)
ただし「天皇」と呼ぶのが韓国政府の公式的な立場のはずなのに、国定教科書が「国王」で一貫しているのは奇妙なことである。このため日本語版では、いちいちカッコつきで「天皇」を補っている。
일본에 거주하고 있던 박열은 일본 왕실의 결혼식이 거행되던 날에 일본 국왕 부자를 제거하기 위한 준비를 하다가 발각되어 일제가 패망하기까지 22년 동안이나 감옥에서 고통을 겪었다.(pp. 276-277)
日本に居住していた朴烈は、日本王室[皇室]の結婚式が行われた日に、日本国王[天皇]親子をとり除く準備をしていて発覚し、日帝が敗北するまで22年間も監獄で苦痛を味わった。(p. 279)
김구가 이끈 한인 애국단의 단원인 이봉창은 1932년에 일본 도쿄에서 한국 침략의 원흉인 일본 국왕을 처단하기 위해 국왕의 마차에 폭탄을 던졌으나 성공하지 못하였다.(p. 277)
金九が率いた韓人愛国団の団員李奉昌は、1932年に日本の東京で韓国侵略の元兇である日本国王[天皇]を処断するため国王の馬車に爆弾を投げたが成功しなかった。(p. 277)
1996年版では江華島条約で「朝鮮国ハ自主ノ邦」とした点にまったく触れていなかったが、2002年版では言及されている。いかにもあっさりした記述で、学生はその意義をまったく理解できないだろうが、前進には違いない。
강화도 조약에서는 조선이 자주 국가임을 밝혔지만, 조선에 불리한 규정이 포함되어 있었다. (p. 198)
江華島条約では朝鮮が自主国家であることを明らかにしたが、朝鮮に不利な規定が含まれていた。(p. 200)
日本の「侵略」と清の「干渉」
この教科書では、日本のやることなすこと全て「侵略」「強奪」とヒステリックに糾弾しながら、清は単なる「干渉」と表現される。藤岡によるとこの露骨な差別化は、現代韓国人に根強い属国根性の現れで、日本は単なる白昼強盗だが清はいざという時は頼りになる父親とみなしているためと解釈した。その正否はともかく、表現の差別化は2002年版でも変わっていない。
그러나 조선에 세력을 침투시킬 기회를 엿보던 청이 군대를 보내 흥선 대원군을 납치해 감으로써 민씨 세력이 다시 정권을 잡았다. (p. 200)
しかし朝鮮に勢力を浸透させる機会をうかがっていた清が軍隊を送って興宣大院君を拉致し、閔氏勢力が再び政権を握った。(p. 202)
갑신정변 이후에도 조선에 대한 청의 내정 간섭은 여전히 심하였다. (p. 202)
甲申政変以後も朝鮮に対する清の内政干渉は相変わらず激しかった。(p. 204)
이처럼 일본군의 침략 행위가 노골화되자, 농민군은 일본군 타도를 내세우며 다시 일어났다. (p. 209)
このように日本軍の侵略行為が露骨になると、農民軍は日本軍打倒を掲げて再び立ち上がった。(p. 211)
갑오개혁은 제대로 시행되지 못하였다. 이는 정치적, 사회적 불안과 일본의 침략적인 간섭에 대한 국민들의 반감이 컸기 때문이다.(p. 212)
甲午改革はきちんと行われなかった。これは政治的、社会的不安と日本の侵略的干渉に対する国民の反感が大きかったためである。(p. 214)
朝鮮が宗主権をふりかざす清から最終的に独立できたのは、日清戦争の結果締結された下関条約による。しかし教科書は下関条約に一言も触れず、あたかも高宗の宣言によって独立が実現したかのように書いている。この点では1996年版より後退し、民族主義に依拠した歴史歪曲がいっそう甚だしくなった。
청ㆍ일 전쟁이 일본의 승리로 굳어지면서 그동안 개혁에 소극적이던 흥선 대원군이 물러나고, 각각 일본과 미국에 망명 중이던 박영효, 서광범 등이 귀국하여 개혁을 추진하였다. 정부는 국왕의 이름으로 우리 나라가 독립국임을 내세우고, 홍범 14조를 발표하여 개혁의 내용과 정신을 밝혔다. (p. 211)
清日戦争が日本の勝利に終わり、それまで改革に消極的だった興宣大院君が退き、それぞれ日本とアメリカに亡命中だった朴泳孝、徐光範などが帰国して改革をおし進めた。政府は国王の名でわが国が独立国であることを掲げ、洪範14条を発表して改革の内容と精神を明らかにした。(p. 213)
日本の「侵略」とロシアの「干渉」
清と同じく、ロシアも何をしようが「侵略」には該当しないことになっている。
항일 의병 운동이 전개되면서 나라 안이 소란해진 틈을 타 그들의 세력을 확대하고자 하였다.(p. 224)
抗日義兵運動が展開され、国内の騒乱に乗じて、ロシアは彼らの勢力を拡大しようとした。(p. 226)
청ㆍ일 전쟁 후 러시아는 만주 철도 부설권을 획득하는 등 세력을 확대시키고, 우리 나라에도 세력을 침투시키려 하였다.(p. 233)
清日戦争後、ロシアは満州鉄道敷設権を獲得するなど勢力を拡大させ、わが国にも勢力を浸透させようとした。(p. 235)
一方日本は何をやってもその背後には邪悪な意図があり、侵略であるとされる。この露骨な用語上の差別は、1996年版から変わっていない。
단발령은 겉으로는 조선의 근대적 개혁을 내세운 것이었으나, 여기에는 한국의 전통을 끊음으로써 한국인의 민족 정신을 약화시키기 위한 일본의 정략이 숨어 있었다.(p. 223)
断髪令は表面的には朝鮮の近代的改革を掲げたものだったが、これには韓国の伝統を断ち切って韓国人の民族精神を弱めようとする日本の政略が隠されていた。(p. 225)
개항 이후 계속된 일본의 경제적, 정치적 침략과 명성 황후 시해로 분노한 국민들의 반일 감정이 단발령을 계기로 폭발하여 항일 의병이 일어나게 되었다.(p. 223)
開港以後続いていた日本の経済的、政治的侵略と明成皇后殺害に怒った国民の反日感情が、断髪令をきっかけに爆発して抗日義兵が起きるようになった。(p. 225)
대한 제국은 러- 일 전쟁에서 승리한 일본에 외교권과 군사권을 차례로 강탈당하였다. 우리 민족은 이러한 일본의 침략에 대항하여 강력한 민족 운동을 전개하였다.(p. 232)
大韓帝国は露日戦争で勝利した日本に外交権と軍事権を次第に強奪されていった。わが民族はこのような日本の侵略に対抗して、強力な民族運動を展開した。(p. 234)
テロ礼賛
この教科書が中学生に伝えようとしている最も重要な価値観は「反日」である。反日こそが至高の価値であり、反日のためならどんな行為も正当化される。その中には、単に「親日的な発言をした」というだけの理由で外国人を殺すことも含まれる。
미국에 살고 있던 전명운과 장인환은, 일본의 추천으로 우리 나라에 외교 고문으로 와 있던 미국인 스티분스가 미국으로 돌아가 일본의 한국 침략을 지지하는 발언을 하자, 그를 샌프란시스코에서 사살하였다. (p. 236)
アメリカに住んでいた田明雲と張仁煥は、日本の推薦でわが国に外交顧問として来ていたアメリカ人スティーブンスがアメリカに戻って日本の韓国侵略を支持する発言をすると、彼をサンフランシスコで射殺した。(p. 238)
의병장으로 국내외에서 항일전을 전개하고 있던 안중근은, 우리 나라 침략에 앞장섰던 이토 히로부미가 러시아 대표와 회담하기 위하여 하얼빈에 도착했을 때, 그를 사살하여 민족의 독립 의지를 분명히 보여 주었다(1909). (p. 236)
義兵将として国内外で抗日戦を展開していた安重根は、初代統監としてわが国侵略の先頭に立っていた伊籐博文がロシアの代表と会談するためにハルビンに到着したたとき、彼を射殺して民族の独立の意志を明らかに示した(1909年)。(p. 238)
이재명은 일본의 앞잡이인 이완용을 칼로 찔러 부상을 입혔다. 나철과 오기호 등은 5적 암살단을 조직하여 을사조약에 찬성한 을사5적 등 매국노를 처단하여 하였으나 서공하지 못했다 (p. 236)
李在明は日本の手先だった李完用を刀で切りつけ負傷させた。羅喆と呉基鎬などは五賊暗殺団を組織し乙巳条約に賛成した乙巳五賊など売国奴を処断しようとしたが、成功しなかった。(p. 238)
反日こそが至上の価値なのだから、日本が押し付けた法律など守る必要はない。むしろ積極的に法律を否定してこそ、韓国人としての正しい行動といえる。
유관순은 재판정에서 "나는 당당한 대한의 국민이다. 대한 사람인 내가 너희들의 재판을 받을 필요도 없고 너희가 나를 처벌할 권리도 없다." 라고 외치면서 항거하였다. (p. 267)
柳寛順は裁判所で「私は堂々たる大韓の国民である。大韓の人である私がお前たちの裁判を受ける必要もなく、お前たちが私を処罰する権利もない。」と叫び、抵抗した。(p. 269)
김익산은 조선 총독부에 폭탄을 던졌고, 김상욱은 독립 지사들에게 잔인한 고문을 일삼던 종로 경찰서에 폭탄을 던져 큰 피해를 주었다. 그리고 나석주는 동양 척식 주식 회사에 들어가 그 간부를 사살하고 일제 경찰과 시가전을 벌이기도 하였다. (p. 276)
金益相は朝鮮総督府に爆弾を投げ、金相沃は独立志士に残忍な拷問を行った鐘路警察署に爆弾を投げて大きな被害を与えた。そして、羅錫疇は東洋織績株式会社に入っていきその幹部を射殺し、日帝警察と市街戦をくり広げた。(p. 278)
反日のためなら外国でのテロもためらう必要はない。韓国の立場こそが絶対的に正しいのだから、必ずや現地で共感を得られるはずである。
한편, 같은 한인 애국단원인 윤봉길은 상하이의 흥커우 공원 (현재는 루 쉰 공원) 에서 열린 일본군의 상하이 점령 축하 기념식장에 폭탄을 던져 일본군을 응징하였다. 윤봉길 의사의 의거는 당시 일본의 침략을 경계하고 있던 중국인들에게 커다란 감동을 주었으며, 중국 정부와 중국인들이 한국인의 항일 독립 투쟁에 적극적으로 협력하는 중요한 계기가 되기도 하였다. (p. 277)
一方、同じ韓人愛国団員の尹奉吉は上海の虹口公園(現在は魯迅公園)で開かれた日本軍の上海占領祝賀記念式場に爆弾を投げつけて日本軍をこらしめた。尹奉吉義士の義挙は当時日本の侵略を警戒していた中国人に大きな感動を与え、中国政府と中国人が韓国人の抗日独立闘争に積極的に協力する重要なきっかけともなった。(p. 279)
収奪史観
日本による近代化は、1905年の第二次日韓協約を契機に本格化した。この教科書は近代化の恩恵を受けた朝鮮人がひとりもいなかったかのように強弁し、決して日本の行為を肯定的に評価したり、ましてや感謝してはならないことを教えている。
일본은 우리 나라의 근대회를 위한 사업이라는 명분으로 도로와 수도 시설을 갖추고, 은행, 학교, 병원 등을 설립하였다. 이러한 시설은 우리 나라에 와 있는 일본인을 위한 것임에도 불구하고, 이에 필요한 시설비는 우리 정부가 일본 정부로부터 차관을 얻어 부담하도록 강요하였다.(pp. 248-249)
日本はわが国の近代化のための事業という名目で道路と水道施設を整え、銀行、学校、病院などを設立した。こうした施設はわが国に来ている日本人のためのものであるにもかかわらず、これに必要な施設費は私たちの政府が日本政府から借款を得て負担するよう強要した。(pp. 250-251)
1910年の日韓併合条約をもって韓国は日本に併合されるが、教科書はこれを「日帝の奴隷状態」と表現している。列強の植民地となることが奴隷状態なら、当時アジア・アフリカの大部分が奴隷状態だったことになるが、この教科書は韓国人だけが不当で不条理な扱いを受けたような印象を与えている。
이로써 오랫동안 독자적인 문화를 창조하면서 발전해 온 우리 민족은 나라를 빼앗기고 일제의 노예 상태로 떨어지게 되었다. (p. 255)
こうして長い間独自の文化を創造しながら発展して来たわが民族は国を奪われ、日帝の奴隷状態に陥るようになった。(p. 257)
日本の植民統治は、初期には義兵等の抵抗に対処するため苛酷な武断統治だったが、1919年の3.1独立運動を契機に文化政治に転換し、1930年代後半に皇民化政策が実施されるまでは比較的緩やかだった。しかしこの教科書は、あらゆる日本の行為を悪辣で狡猾なものと解釈するよう教えている。
그러나 이러한 일제의 새로운 식민지 정책은 친일파를 길러 우리 민족을 이간, 분열시키려는 교활한 정책으로서, 한민족의 단결을 억제하고 독립 운동을 막으려는 방침에는 변함이 없었다. (p. 257)
しかし、このような日帝の新しい植民地政策は親日派を養ってわが民族を仲たがいさせ、分裂させようとする狡猾な政策であり、韓民族の団結を抑え独立運動をくい止めようとする方針には変わりがなかった。(p. 259)
李榮薰らの実証的研究は土地収奪の虚構性を鮮明に暴いて見せたが、その成果はほとんど取り入れられていない。なお、「民衆の土地」は「門中の土地」の誤訳と思われる。門中は朝鮮の父系親族の組織で、ここでは「一族や村の共有地」と訳すのがよいと思われる。
식민 지배하에서 한민족은 일제의 경제적인 수탈에 큰 고통을 받았다. 이 가운데에서 가장 큰 피해는 토지를 약탈당한 것이었다.(p. 258)
植民支配下で韓民族は日帝の経済的な収奪にひどい苦痛を被った。この中でもっとも大きな被害は土地を侵奪されたことだった。(p. 260)
일제는 우리의 국권을 빼앗은 직후 토지 약탈을 적극적으로 추진하였다. 총독부는 토지 소유 관계를 근대적으로 정리한다는 명분을 내세워 이른바 토지 조사 사업을 추진하였다.(p. 258)
日帝はわが国の国権を奪った直後、土地の略奪を積極的におし進めた。総督府は土地所有関係を近代的に整理するという名分を掲げて、いわゆる土地調査事業をおし進めた。(p. 260)
또, 신고주의를 원칙으로 하였기 때문에 토지 신고를 제대로 하지 않은 많은 사람들이 피해를 입게 되었다. 즉, 신고 절차가 복잡하고 까다로웠으며, 일제가 실시하는 것이었으므로 반일 감정이 앞서 이에 따르지 않은 경우도 있었다. (pp. 258-259)
また、申告主義を原則としたため、土地申告をきちんと行わなかった多くの人々が被害を被ることとなった。すなわち、申告手続きが複雑でややこしく、日帝が実施するものだったため反日感情が先に立ち、これに従わない場合もあった。(p. 261)
더구나 문중 토지나 마을 사람들의 공유지, 그리고 왕실이나 공공기관에 속하였던 많은 토지는 주인 없는 토지로 분류되어 총독부의 소유지로 되는 경우가 많았다.(p. 259)
さらに民衆の土地や村の人々の共有地、そして王室や公共機関に属していた多くの土地は持ち主のいない土地に分類され、総督府の所有地となる場合が多かった。(p. 261)
총독부는 이렇게 약탈한 토지를 동양 척식 주식 회사 등 일본인이 경영하는 토지 회사나 한국으로 건너오는 일본인에게 싼 값으로 넘겨주어, 일본인들이 많은 토지를 소유할 수 있는 여건을 마련해 주었다.(p. 259)
総督府はこのように略奪した土地を東洋拓殖株式会社など日本人が経営する土地会社や韓国に渡ってきた日本人に安く譲り渡し、日本人が多くの土地を所有できる条件を整えた。(p. 26 )
1930年代には朝鮮北部に多くの重化学工業プラントが導入され、植民地にはあり得ないほどの工業化が進んだ。教科書はそれが大陸進出のための軍需産業だったことを強調し、決して肯定的に評価してはならないことを教えている。
이와 같이, 일제는 한국의 산업에 대한 침탈을 적극적으로 추진하면서, 한국을 대륙 침략의 발판으로 삼기 위해 철도와 도로, 항만과 통신 등의 시설을 갖추었다.(p. 262)
こうして、日帝は韓国の産業に対する侵奪を積極的におし進め、韓国を大陸侵略の足がかりとするため鉄道と道路、港湾と通信などの施設を整えた。(p. 264)
皇民化政策は日中戦争が激化した1930年後半から実施されたが、この教科書では年次を記載していない。皇国臣民の誓詞の制定は1937年、小学校での朝鮮語廃止は1938年、創氏改名は1939年、韓国語新聞の廃刊は1940年、勤労報国隊の制定は1941年、女子挺身隊の制定は1943年である。しかもこの記述は3.1独立運動の直前に置かれているので、よほど注意深い学生でないと皇民化政策が1910年代からずっと行われたかのように錯覚するだろう。
그리고 일제는 우리의 민족 정신을 뿌리뽑기 위해 이른바 일ㆍ선 동조론을 주장하였고, 내선 일체와 황국 신민화 등의 구호를 내걸었다. 또, 우리말 사용을 금하고 일본어만 쓰도록 하였으며, 우리 역사의 교육도 금하였다. 한글로 간행되던 신문도 폐간시키고, 우리말과 역사에 대한 연구도 금지시켰다. (p. 261)
そして日帝は私たちの民族精神を根絶やしにするため、いわゆる日鮮同祖論を主張し、内鮮一体と皇国臣民化のスローガンを掲げた。また、韓国語の使用を禁じ、日本語だけを使わせ、私たちの歴史を教えることも禁じた。ハングルで刊行されていた新聞も廃刊させ、韓国語と歴史に対する研究も禁止させた。(p. 263)
나아가, 일제는 우리의 이름까지도 일본식 성과 이름으로 바꾸어 사용하도록 강요하였고, 각지에 일본 신사를 세워 참배하도록 하였으며, 어린 학생들까지도 황국 신민 서사를 외도록 강요하였다. (p. 261)
さらに、日帝は私たちの名前までも日本式氏と名前に変えるよう強要し、各地に日本の神社を建てて参拝させ、子どもたちにも皇国臣民の誓詞を覚えるよう強要した。(p. 263)
일제는 여성들도 근로 보국대, 여자 근로 정신대 등의 이름으로 끌고 가 노동력을 착취하였다. 더욱이 많은 수의 여성을 강제로 동원하여 일본군이 주둔하고 있는 아시아 각 지역으로 보내 군대 위안부로 만들어 비인간적인 생활을 하게 하였다. (p. 262)
日帝は女性たちも勤労報国隊、女子勤労従軍挺身隊などの名で連行し、労働力を搾取した。さらに多くの数の女性を強制的に動員して、日本軍が駐屯しているアジアの各地域に送って軍隊慰安婦として非人間的な生活をさせた。(p. 264)
慰安婦については、1996年版では「女性までも挺身隊という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になったりした」と、挺身隊が全員慰安婦だったかのような書き方になっていた。これが改められたことは、前進と評価すべきだろう。
金星出版社版・韓国近現代史
고등학교 한국근ㆍ현대사, (주)금성출판사, 2003년 초판, 2009년 6쇠.
「韓国近現代史」は金大中・盧武鉉政権が親北左派史観を高校生に教え込むために導入した科目で、教科書は検定制である。大韓教科書版の日本語訳が明石書店から出ているが、ここでは最も左派的で、盧武鉉政権中には採択率が最も高かった金星出版社版を検討する。右派の教科書フォーラムや大韓商工会議所が攻撃したのも、この教科書である。論争は主に大韓民国建国や朴正煕政権の評価をめぐってのものだが、それらは日本人の知ったことではないので、ここでは反日教育に集中する。
「外国人の目に映った韓国人」の項は、欧米から見た朝鮮 - 別バージョンの検討に訳文を示した。
執筆陣は次の通り。ハンギョレ(2008年10月8日付)によると、筆頭著者の金漢宗は次期教科書の執筆を辞退したとのことである。
김한종(ソウル大学校師範大学歴史教育科)
홍순권(ソウル大学校人文大学英文学科)
김태웅(ソウル大学校師範大学歴史教育科)
이인석(ソウル大学校師範大学歴史教育科)
남궁원(ソウル大学校師範大学歴史教育科)
남정란(韓国教員大学校歴史教育科)
日本統治の特殊性
この教科書は第1部で近現代史の概説を与えているが、その中に「日帝のわが国支配の特殊性」という項目がある。そこでは「日帝は世界でその類例を見出し難い程度に徹底した方法でわが民族を抑圧し収奪した。日帝の植民統治方法が他の国の植民支配と異なる点を見てみよう。」という前置きに続いて、朴殷植『韓国痛史』(1915)からの抜粋が掲載されている。長いが全文引用する。
대체로 세상의 강포(強暴)한 자는 날로 약국을 침탄하고, 약한 종족을 도태하는 것을 일삼으나, 그 참독(惨毒)을 받은 자가 즐비하나, 우리 한국과 같은 나라는 없는 것 같다. 고금의 망국으로서 비교하여 예를 들자면, 스웨덴이 노르웨이와, 오스트리아가 헝가리와 모두 합병했다고 이르지만, 그 민족의 대우는 등급을 두지 않는데 한국인도 이렇다고 할 수 있겠는가. 터키가 비록 이집트를 합병했었으나 아직도 그 왕을 그대로 있게 하여 조상의 제사받드는 것을 쉬지 않게 했지만, 우리 한국의 황제는 오랑캐로부터 작위를 받은 처지가 되었다. 영국이 캐나다 등지에서 그 헌법을 갖도록 허락하고 보장해 주며, 의회를 세워 이를 유지하도록 하고, 다른 나라와 체결한 조약을 모두 일일이 보존하도록 하는데, 한국인은 이런 것들을 획득할 수 있었는가? (p. 23)
およそ世界の強暴な国は日に日に弱国を侵呑し, 弱い種族を淘汰することを事としており、その惨毒を受けた者が列をなすが、わが韓国のような国はないようだ。古今の亡国として比較して、例えば、スウェーデンがノルウェーと、オーストリアがハンガリーといずれも合併したとは言うが、その民族の待遇は等級を置かないのに、韓国人もこのようだと言えるか。トルコがたとえエジプトを合併したがいまだその王をそのままにして祖先の祀りが途絶えないようにしたが、韓国の皇帝は蛮夷から爵位を受ける体たらくになった。英国がカナダ等の地でその憲法を持つことを承認し保障してやり、議会を建てこれを維持させ、他の国と締結した条約を全ていちいち保存するようにしているが、韓国人はこうした権利を獲得することができたのか?
지들의 한국에 대한 사정(施政)은 대만(타이완)에서 행하는 것과 마찬가지로 차이나는 것이 없게 했는데, 대만은 나라도 아닌데, 같게 취급하고 있으나 이것은 망국으로서 더욱 낮은 자로 취급하는 것이다. 또한, 대저 사람은 옷을 걸치고 곡식으로 배를 채우는 것이나, 흙을 먹고 샘물을 마시는 벌래와는 같지 아니한 즉, 생활을 돕게 하는 것은 오직 산업일 뿐이다. 저 영국이 인도와 이집트에서, 프랑스가 베트남에서, 미국이 필리핀에서 비록 강한 힘으로써 그 국권을 차지했으나, 백성의 재산은 진실로 그 자신이 보존하도록 맡겼다. 일본은 가난한 나라이다. 궁한 백성이 많아 재정이 날로 쪼들리고 부채는 날로 늘어만 간다. 그러므로 가혹한 세금과 난폭한 착취를 한국인에게 가하는 데 있어서 그 조목이 번거롭다. 그리고 빈 손으로 한국에 건너오는 가난한 일본 국민들이 벌떼같이 몰려오는데, 우리 국민의 재산을 빼앗지 않고는 생활을 해나갈 수 없다. 그들 정부는 식민하는 데만 급하여 또한 그들에게 줄 물자가 없으니, 비록 한국인에게 관대한 정치를 베풀어 생명의 줄을 보존케 하려 한다해도 형새가 불가능하다. 이로써 보건대, 옛과 이제의 망국의 참상이 한국보다 더 심한 곳을 어디에서 찾아볼 수 있겠는가. 하늘과 땅은, 아득하고 애잔한 숨결은 깜박깜박하여 고통스러움을 호소하든 것을 스스로 그칠 수 없다.(p. 23)
彼らの韓国に対する施政は台湾で行うものと同じで差異が生じないようにしたが、台湾は国でもないのに同じ扱いをしているが、これは亡国としてもっと低い者として扱うものだ。また、およそ人は服を着て穀食で腹を満たすものだが、土を食らい泥水を飲む虫と同じではない。すなわち、生活を助けるのはただ産業があるだけだ。あの英国がインドとエジプトで、フランスがベトナムで、米国がフィリピンでたとえ力づくでその国権を奪ったが、民衆の財産は真に自分自身が保存できるようにした。日本は貧しい国だ。窮乏した民衆が多く、財政はますます悪化し負債はますます増えて行く。だから苛酷な税金と横暴な搾取を韓国人に加えるためその条目が煩雑なほど多い。そして空手で韓国に渡って来る貧しい日本国民が雲霞のように群がって来るが、わが国民の財産を奪わなくては生活して行けない。彼らの政府は植民することだけに急で、また彼らに与える物資がないため、たとえ韓国人に寛大な政治を施して生命の列を保存しようとしても事情が許さない。このように見れば、昔と今の亡国の惨状が韓国より酷い所をどこに見出すことができるか。天と地は遥かで、弱弱しい息づかいがぜいぜいと苦痛を訴えることを自ら止めることができない。
まず感じ取れるのは、強烈な小中華意識とそれに比例した自己憐憫の激しさである。特に「韓国は蛮族から爵位を受ける体たらくになった」「国でもなかった台湾と同じ扱いを受けている」という文言は、傲慢きわまりない。英国とカナダに言及しながら、虐げられたアメリカ原住民のことが少しでも頭をかすめたとは思えない。『韓国痛史』が出版された1915年にはまだ武断統治中だったから、弾圧は比較的苛酷だったかもしれないが、各国の植民統治の初期段階と比較しようとする実証主義的態度はかけらも見られない。たとえ資料の限界があったとしても、朴殷植は南米の人口を10分の1に減らし、奴隷貿易で巨万の利を稼ぎ、アヘンを蔓延させたヨーロッパ列強の植民支配よりも日本の方が悪逆非道だと本気で信じていたのだろうか。
そもそも朴殷植は、歴史家というよりは政治的アジテータに近い。おそらくこの教科書の著者たちは、日本の植民統治が史上最悪だったと言いたくて仕方ないのだろうが、客観的史料でそれを証明できなかったのだろう。現代の民族主義的史学者が、植民地近代化論からの批判に正面から向き合わず、古色蒼然たる政治的アジビラの引用で済ませているのは、不誠実としか言いようがない。
(続く)
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↓日本のサヨク共産主義者、アナーキスト ・特亜勢力(シナ共産党工作員、反日韓国朝鮮人、反日なりすまし日本人) は日本を破滅に導く売国奴であり、日本の弱体化、中共への植民地化を進める「日本滅亡推進勢力」であると思われる方はクリックをお願いします 悪事千里を走る
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韓国の歴史教科書を読む(1/2)
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