“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(5)─西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」(2/2)
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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140844
2014-03-01
“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?
(続き)
第三節 西尾は、人種差別を大義に戦争を煽動する“戦争屋”
西尾幹二が歴史の偽造をするに、いくつかの政治的意図がある。その一つが、「人種差別を許さない」である。しかも普遍的な人種差別を許さないなら、多少は理解できるが、「アメリカの人種差別のみ許さない」との偏向した信条である。
しかも西尾は、「米国の人種差別を打倒するためなら、日本国民は全員死んでもよい」「日本国は亡んでなくなってもよい」と考えている。正気ではない。極限の狂気。
西尾のこの主張は、日本の亡国ならびに日本国民の戦場・戦火での戦死・焼死・餓死を目的とし、その手段として「米国の人種差別を大義にしての対米戦争(による、日本国の廃墟/日本国民の絶滅)」を、日本人に煽動しているのは明らか。まさしく、ニーチェの国家廃滅・人間絶滅を絵に描いたようなニーチェ哲学そのものだし、ニーチェ的狂気の継承なしには発想できない狂気である。西尾幹二は、こう書いている。
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「日本がちょっとでも動き出せば叩き潰そうと待ち受けていた(米国の)戦意の歴史が存在した。そこに…排日運動などにすでに見え隠れしていた人種偏見が働いていなかったとはいえまい」(注1、五九八頁)。
「日米戦争においても、六対四、あるいはまた七対三の割合で責任はアメリカの側にある。そしてそのうち三割ぐらいは人種偏見を抱いていた(米国の)大統領たちの性格に原因がある」(注1、五五〇頁)。
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これほどの嘘は、歴史の偽造にかける西尾幹二の妄執が狂気の炎となって燃えていないとデッチアゲられるものではない。なぜなら、「<仮想敵国>米国はロシアに次ぐ」と定めた、日本国が国家の最高意思で米国を仮想敵国にした第一次帝国国防方針は一九〇七年四月であった。西尾は、これほどの最重要な歴史事実については、口を噤んで無かったことにする。歴史事実の隠蔽操作は、生来の大嘘つき西尾幹二の常套手口である。
また、過激な米国脅威論というか極端な米国敵視論の佐藤鉄太郎の“毒書”『帝国国防史論』(一九〇八年、注2)は海軍士官の間で広く読まれたが、ホワイト・フリートの来訪の前に印刷に付されていた。西尾の「米国の<日本=仮想敵国>視は、日本より先」は、歴史偽造を越えた妄説・狂説の典型なのは言うを俟たない。
中共や北朝鮮と同盟国になれとうそぶく“第二の本多勝一”西尾幹二
このような西尾流“歴史の改竄”“嘘歴史の創作”のやり方は、「南京大虐殺」という歴史の虚構を日本中に撒布した、中共の工作員で北朝鮮人の本多勝一が書いた『中国の旅』(一九七二年、朝日新聞社)のトリックと同じだと気付かれた読者は多いと思う。まさにその通り。日頃から「読者など騙せばよいのだ」と公言する西尾幹二は、実は、本多勝一の再来。西尾を第二の本多勝一と考えると、西尾の正体が鮮明に見えてくる。
実際にも西尾幹二は中国共産党や北朝鮮労働党(共産党)に異常な親近感情を持っている。いや、親近感情以上の同志意識といった方が正確。なぜなら西尾の本心は、日本は、中共や北朝鮮側に与して同盟を結び、これからでも米国と戦争をすべきだと考えているからだ。証拠を挙げる。西尾はこう言う。
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「日本は中国や朝鮮と手を取り合って欧米と対決するのが自然であり、多くの不幸や誤解を回避しうる道であったことはあらためていうまでもない」(注1、五六六頁)。
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日本と中共や朝鮮との間には「誤解」がないとの西尾幹二の狂説に従うならば、竹島問題も従軍慰安婦問題も尖閣諸島問題も拉致・強制連行問題も存在しないことになる。
これこそ、トリックスター西尾幹二の、分裂病の幻覚でなくて何であろう。しかも、中共や北朝鮮と同盟国になると、日本は「幸福」になるらしい。なんだか、麻原彰晃の説法を聞かされているようで、思わずゾッとする。
パリ会議で欺瞞と傲慢を晒した、人種差別を実践した直後の二枚舌国・日本
日本は、国内では人種差別をしない、穏やかな民族である。たとえば、 “仁慈と虐待”が的確な表現といえる、十九世紀の日本とロシアの、樺太アイヌに対する差異においてもよくわかる。
しかし、国際社会において、日本は公然と人種差別を支持する異様な国家である。たとえば、一九四〇年秋、日本が日独伊三国同盟を締結したが、それはナチ・ドイツの、人種差別の極地である(財産没収、職業選択・結婚自由の剥奪などの)ユダヤ人弾圧を容認することを認識した上での調印だった。この一九四〇年時点、ユダヤ人大虐殺は始まっていないため、それを知らなかったのは黙過できるが、それ以外のナチ政府のあこぎな人種差別の実情は、外務省も軍部も国民も熟知していた。
あるいは、第一次世界大戦が一九一四年に勃発したとき、英国は日本に日英同盟の基づき欧州戦線への陸軍の派兵を要請した。だが、日本の政府高官は、国会や新聞インタヴューなどさまざまの場所で、平然と人種差別に徹する旨を公言してこれを拒否した。具体的には、「白人のために、(黄色人種の)日本の若者の血は流せない」というもの。
ところが、西尾幹二ら民族系論客は、一九一九年のパリ講和会議で、人種差別撤廃条項を国際連盟規約として提案したことを、何か正義を体現するすばらしいことをなしたかに自画自賛する。西尾は、パリの日本政府代表ら「日本人は、全有色人種の希望の星」だったという(注1、五七一~三頁)。笑止。
なぜなら、国際法・国際機関との整合性も考えない、何とも幼児的な戯言だからである。いや、国際関係に不在の「<有色人種>対<白色人種>」を仮構した規約など、世界に紛争と戦争を巻き起こす弊害甚大で有害無益この上もない。六千年間の人類の戦争史に、宗教間戦争や民族間戦争はあるが、人種間戦争はゼロ。そのような戦争は、理論的にも万が一にも起きない。
ともあれ、ここで西尾幹二に問う。一九一四年から一九一七年の間、「白人のために黄色人種の血は流せない」との人種差別を、日本政府は日英同盟条約解釈の物差し(外交方針、公然たる対外政策)とした事実を、弁明せよ。西尾 は、自分の狂説・奇説に合致しない都合の悪い歴史事実は無かったことに隠蔽し蓋をする。かくも狡猾な歴史の改竄をした非歴史から、日本人は益するものを何一つ手にすることはできない。
日露戦争に勝利した後の日本の傲慢は、日本人をして人格的劣化を促進した。倫理道徳や国際法を尊重した“世界の紳士”だった明治日本人は、「一九〇五~一〇年」を境に消えた。「一九〇六~一四年」以降の日本人は、突然変異したごとく、野卑な二枚舌民族へと低級化した。その端的な事例が、パリ講和会議での連盟規約への人種差別撤廃条項の挿入提案。
(実際の日常行動ではなく)観念や思想における日本人の人種差別主義は、第一次世界大戦が勃発した頃から、突然、増殖した。「日英分断」「日米分断」を日本国内で画策していたドイツの対日情報工作によるようだが、もしそうだとしても、外国からの偽情報「人種差別」に洗脳されるのは、洗脳される日本人の知性が空洞だからだ。
ともあれ、当時の日本人の“人種差別マニアック”の一例をあげる。次のように語る山縣有朋は、“人種差別マニアック”の害毒を広く日本国内に流し伝染させたトンデモ日本人の一人だった。
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「黄人と白人との争ひにおいて白人が相連合すべきは火を観るより明かにして…黄人に対する白人連合の気勢を未然に予防するの策を講じること必要なるべし」(注3、一九一五年二月二十一日)。
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国防を人種差別で把握するという異常にして現実遊離の視点は、国際政治の冷厳な現実を無視したものだから、当然、国防を誤導し国益を毀損するものとなる。日本が自国の全面破壊となる大東亜戦争という自殺戦争を選択していく全盲外交は、マルクス・レーニン主義に汚染されたことに次いで、この観念的な“人種差別ごっこ”に狂奔したからでもある。
人種差別の国への戦争が正義なら、日本はなぜナチ・ドイツと戦争しなかったのか
「人種差別において米国は日本に戦争を仕掛けてきた」「人種差別と戦った大義において大東亜戦争は正義である」と言募る西尾幹二が、大嘘つきのペテン師なのは、歴史を学び始める小学生五年生でもすぐわかる。
なぜなら、ならば日本は、人種差別の極地を実践してしたヒットラー・ドイツに対して、率先して戦争すべきであったはず。しかし、なぜか西尾はこのことに口をつぐむ。また、ヒットラーのユダヤ人大虐殺が軽微に見えるほど、その十倍を越える大規模な民族絶滅(「民族浄化」、race cleansing、注4)を実行していた、悪魔の人種差別国・ソ連に対して、日本はなぜ戦争をしなかったのか。西尾幹二よ、なぜ口をつぐむのだ。
西尾は、“悪魔の人種差別国”ドイツと三国同盟を締結し、“超悪魔の人種差別国”ソ連と日ソ中立条約を締結したことと、人種差別国とは戦争を辞してはならないとの西尾自身の“対米戦争人種差別説”とは矛盾しない、と考えている。「万人の目においてこれほどの大矛盾が、西尾の頭だけ矛盾に見えない」。なぜだ。
このように、重度の分裂病患者は、公平な基準や視点は存在しえない。二重基準、三重基準が分裂病罹患者の常態である。『国民の歴史』と『GHQ焚書図書開封』で展開する、西尾幹二の日米戦争論は、精神病院から脱走した重度の精神異常者が喚く有害・猛毒の戯言の極み。それ以外ではない。
もし、そうでないと言うなら、“狂気の人”西尾幹二よ! 日本がヒットラー・ドイツと戦争しなかった理由を説明せよ。“歴史の佐村河内”西尾幹二よ! 日本がソ連と戦争しなかった理由を説明せよ。
しかも、人種差別をする国への戦争は大義だし戦争すべきだとする、西尾幹二の狂説「人種差別日米戦争論」は、西尾幹二が、現在、「日本国は、中共に宣戦布告せよ」「日本国は、ロシアに宣戦布告せよ」と、大声を挙げるべきに、小声さえ出さないことで、バレバレに破綻しているではないか。
ロシアは、一九八九年頃からチェチェン人を殺しまくっている。それから二十年以上が経ったが、今も続いている。ロシア民族固有の「民族浄化」の殺戮である。四千年の昔から人種差別に生きた漢民族の中共も、チベット人とウイグル人を殺しまくっている。
西尾は「日本は、ロシアや中共に対する戦争をせよ」と発言しないなら、自身の妄説・暴論が狂っていると「罪」を認めたことになる。西尾は、嘘八百の「日米戦争人種差別説」垂れ流しの偽情報犯罪の「罪」を猛省し、その撤回をしなければならない。だが、西尾は撤回しないだろう。重度の分裂病は、「反省」という良心を人間から完全消滅させる。
第四節 矮小な排日移民法問題が、どうして日本が亡国と数百万人の命を捨てる対米戦争の大義になるのか
『非国民の歴史』と正しく改題すべき西尾幹二の『国民の歴史』は、凄まじい歴史の偽造もさることながら、卒倒するような荒唐無稽な言説がオンパレードである。その一つが、日本人移民排斥をもって対米戦争の大義とする暴論妄説。こう書いている。
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「カリフォルニアにおける日系移民の排斥問題(人種差別)が日米戦争の最も基本的なモチーフの一つであったのではないか」(注1)。
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米国が、日系一世に対する土地所有を禁じる一九一三年のカリフォルニア州法律や一九二四年の排日移民連邦法律に関して、日本の民族系は、何か鬼の首でも獲ったかに騒ぎ立て米国を糾弾する。そして、大東亜戦争のうちの日米太平洋戦争を正当化する。
こんな正常から逸脱したハチャメチャな言説は、次の狂った主張(ゴチック体ー斜体)と同義になる。簡単な論理力を働かせれば自明ではないか。
二十二万人(1920年現在)の日本人移民が米国で受けた(一人も殺されてはいない、血なき)差別に対して、日本国は、三一〇万人以上(備考)の国民の死、ほぼすべての主要都市の廃墟、主要工場の焼失、満洲その他の海外権益の完全喪失、日本固有の領土の南樺太/国後・択捉などの喪失、明治憲法ほか民法その他の日本の宝であった法制度の改悪などの代償を支払っても米国に日本人移民の差別撤廃を強制する戦争をするだけの価値がある。
備考;このうち空襲の被害を含めた対米英豪戦争のぶんは、200万人ぐらいか。
米国の排日移民は、確かに、当時の日本人を「集団ヒステリー」にした。が、太平洋戦争の敗北を体験して、この「集団ヒステリー」は日本をソ連の属国にする共産革命の土壌を醸成するため日米戦争を起こそうとした内外の反日勢力が策謀したものではなかったか、ぐらいの自省と洞察が、戦後日本の合理的コンセンサスになった。
ところが、「排日移民」騒動から九十年、「敗戦」から七十年。今ふたたび、“反日の巨魁”西尾幹二ら民族系論客は、沈静化していた有害な亡霊で「集団ヒステリー」を墓場から叩き起こして徘徊させ、日本の正統な外交を誤導し日本の国益を毀損することを図っている。何が狙いか。日本国の亡国である。
米国についての無知蒙昧「移民が建国」を恥じず、米国の移民政策を難じる“傲慢”西尾幹二
そもそも、日本人は米国を知らない。特に、戦後、東京大学のアメリカ研究者(教授)たちのほとんどは共産党員だったため(たとえば斉藤真)、意図的に米国を歪曲して伝えた。米国理解の基本文書である米国憲法コメンタリー『ザ・フェデラリスト』は、東大では関係する教官すべてが緻密に精読していたが、意図的にその翻訳を出版しなかった(注2)。
一七八九年春に新生の小国(人口270万人)として誕生した米国は、コークの『英国法提要』を理念として、封建時代の残り香が漂う“百五十年前(一六二〇~三〇年代)の英国”への回帰を目指して建国された保守主義の国家である。当然、デモクラシーを必要悪として認めるが嫌悪し、美しき王制を懐旧する王制主義者(モナーキスト)たちが建国の主役であった。ジョージ・ワシントン(初代大統領)、アレグザンダー・ハミルトン(ワシントンの事実上の代行)、ジョン・アダムス(第二代大統領)を思い出せば、この事実は明らかだろう。
そして、米国民の“当然の資格”は、「元・イギリス国王の臣民であること」「プロテスタントのキリスト教徒であること」「国家の根本制度としての英国コモン・ローを尊重すること」「英語を母語とすること」の四条件を満たす、だった。
さらに、この「原・米国民」のうち、選挙権を持つ者は、原則として「イギリスからの入植者(settlers)」とし、これを体現すべく、一定以上の財産と教養の枠を厳しくはめた。移民(immigrants)を原則として政治から排除するためである。私は、スタンフォード大学に留学中、「ぼくの家系はsettlerで、immigrantではない」と語った学生に出会ったことがある。
米国を“移民が建国”などと考える日本人は、よほどの無学・無教養。英国以外からの移民が大量に、アメリカの大地を踏むようになるのは、一八二〇年代からである。デモクラシーが徐々に米国の政治制度根幹を蝕むのは、一八二九年からのジャクソン大統領時代からである。それでも、デモクラシーという言葉は米国では排斥され、言葉democracyを使った最初の米国大統領は、ウィルソン(一九一三~二一年)で一九一四年だった。
一八二〇年代から米国は「移民」を受け入れるようになったが、先述の四条件を緩和しただけで基本はさほど変えなかった。すなわち、「アングロ・プロテスタント・英語が母語」を、「ヨーロッパ・キリスト教・母語を英語にする努力をすること」とした。
米国が「移民」につき制限を原則設定しなくなるのは、キング牧師の公民権運動を支持したアイルランド人のケネディ大統領によってであり、一九六一年以降である。具体的には、一九六三年にケネディが暗殺され後を継いだジョンソン大統領が一九六五年に制定した新移民法である。これは、米国が“多文化主義 マルチ・カルチュラリズム”という新種の極左イデオロギーに屈したと言えるが、このときの米国の保守主義者の同法への怒りはすさまじいものだった。
二〇〇六年に全米に爆発した千六百万人の中南米からの不法移民たちの騒ぎは、日常スペイン語を喋り英語を無視するように、「ケネディ/ジョンソン新移民法」は、米国社会の安定に欠くことのできない秩序に騒擾的な混乱を招いている。
さて、カリフォルリニア州での日本人移民差別騒動は一九一〇~二〇年代であって、この新移民法の一九六五年よりも四~五十年以上も昔である。移民が、「キリスト教、ヨーロッパ、母語の英語化」の条件を満たさなければならなかった時代の話である。メキシコを含め、中南米からの移民が禁止されていた時代の事件である。支那人の移民が厳格に禁止されていた時代の事件である。
すなわち、日本人の移民は、陸軍大国ロシアを破った“東洋の新しい強国”日本国の国民だからという理由において特別な例外として、米国はその移民を認めたのである。特別な例外であるから、特別なハンディを付加しただけである。
他に例外の国民がいるのに、そのうち日本人だけに差別したのとは異なる。一九九〇年代以降の日本の企業では、正社員と派遣社員とが同じ部屋で同じ仕事をしているが、その待遇はかなり顕著に差別されている。しかし、この差別は、その企業が定めているものであって、その企業で働きたいと応募した以上、派遣社員は受容するほかない。
当時の日本人のアメリカ移民とは、これと同じ。米国の内政として定めたルールに従うのが当然で、これに対する一定限度を越えたクレームは、“内政干渉”である。米国側の条件が不満なら、米国に移民すべきではない。
しかし、日露戦争に勝った日本国は傲慢不遜になり、米国の主権である内政の移民条件に国挙げて喚き散らすという乱暴狼藉を働くようになっていた。国際ルールを逸脱する野蛮人へと日本人は変貌した。
しかも、米国の日本人移民制限・差別は、日本政府として好機であった。彼らを満洲へと移民させ、満洲の経済発展と対ロ防衛力の強化に活用すべきであった。特に、一九二四年をもって、対米移民希望者全員を満洲へと振り替えて、一九三一年の満洲事変を七年ほど前倒しでしていれば、日本のその後は、大東亜戦争をせずとも済んだかもしれないし、少なくともリットン調査団(一九三二年)など歴史に存在しなかった。
『リットン調査団報告書』は、満洲は支那国の固有の領土とは言えず、その開発と発展に寄与した日本の諸権利を支那国(「国民党政府」)は十全に認めるべきであるとする。さらに『報告書』は、日本は暢気すぎるから、大量の支那人移民(=外国人労働者)に満洲を無血占領(bloodless occupation)されてしまった、とまで書いている(注3)。
ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)は一九二八年。満洲事変が一九三一年でなく、この条約以前であれば、完全な合法だった。米国政府の、一九二四年の日本人移民への大幅制限は、満洲進出へと日本が移民政策で舵をきる好機の何ものでもなかった。
「外国人労働者=支那人」に国を奪われようとする“二十一世紀の日本”
今日、日本では、「外国人労働者」という名の大量の支那人移民の問題が静かに進行している。いずれ遠からず、日本国を簒奪するに至るのは、一九〇五年以降の満洲簒奪の歴史が証明している。すなわち、支那人移民(外国人労働者)の制限は、いずれ、日本国の存亡において、日本国の国政を揺るがす問題となろう。
特に、日本政府は、安倍晋三を見てもわかるとおり、日本人の出生率低下に無関心である。十三億人の赤いチャイナに、出生率と新生児数が大幅に低下した日本が、二十一世紀中に「無血占領」されるのは火を見るより明らかだろう。
さて、西尾幹二は、この外国人労働者問題では、その容認論に激しく反対した論客ではなかったか(注4)。移民制限を日本の主権事項とする西尾の立場は、アメリカ日系移民差別への西尾の論難とは一八〇度も対極的である。西尾は、移民問題でダブル・スタンダードの言説を弄んでいる。
では、西尾幹二が、非理の内政干渉であるにもかかわらず、アメリカ日系移民差別を理不尽に糾弾するのは、日本が国益に違背してまで対米戦争を開始した大東亜戦争を正当化する理由に窮して、苦肉のへ理屈としてのデッチアゲだからである。しかし、取るに足りない移民差別で、国あげた戦争をすべきだなど、ジョークならともかく、正常な思考ではない。幻覚や妄想なしには発想できない。
詭弁にも窮して、KGB工作員の「日米分断」情報操作を活用する西尾幹二
しかも、「移民差別」は「人種差別」とは言えないが、思考が妄想に浮遊する西尾幹二にとって、そのような論理の飛躍は日常の症状である。この“幻覚の連鎖”において、西尾幹二は「米国の日本人移民差別→米国の人種差別→日本敵視→日米戦争」という虚構の歴史を捏造した。しかし、この西尾の妄想歴史を裏づける根拠など存在しない。
そこで、西尾は、禁じ手に手を出した。“アメリカの小田実”といわれる一九六〇年代のベトナム反戦運動家で、アメリカでは数少ない札付きの共産主義者ジョン・ダワーの“反米・反日の毒書”『人種偏見』を引用して、砂漠の蜃気楼と同じく実態のない幻覚上の嘘歴史をデッチアゲルことにした。『国民の歴史』第24章に、ダワーから引用がある。ダワーは、次のようなデタラメを書いた。しかし、妄想に生きて正気がひとかけらもない朦朧の西尾には、これほどの大嘘すらわからない。
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「(第二次世界)大戦は人種戦争であった」(注1、五四一頁)。
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日本は、支那大陸で蒋介石の国民党政権打倒の戦争を、八年間も遂行し、この地で四十五万という日本人の命を犠牲にした黄色人種同士の日中戦争は、西尾幹二にかかると日本の敵側の支那人はすベて白人だったという。あるいは、インパール作戦で日本が戦争した相手は、英国だが、それはインド人部隊が混成されていた。つまり、西尾幹二は、インド人は白人だという。
しかも、ダワーの『人種偏見』は、学界では共産党員学者しか引用しないシロモノ。実際にもダワーは、『人種偏見』を書くに、日本共産党の赤旗など丸写しして、日本を中傷誹謗する罵詈雑言ばかりを羅列した。健常の日本国民なら嘔吐を催す内容。
「百人斬りは実際にあった」「香港の路上で尼僧を強姦・殺害した」「石井731部隊は医学的実験殺人をふんだんにしていた」「三光作戦は本当だった」「南京大虐殺は事実である」「日本兵が赤ン坊を放り投げて銃剣で刺し殺した」などなど、真赤な嘘歴史を延々と書いている(注5)。むろん、ダワーは、通常の歴史学者ではない。米国人には「反日」を、日本人には「反米」を煽動して“日米分断”を図る、ソ連KGB第一総局所属の優秀な工作員である。その洗脳技術は、尾崎秀実クラスといわれている。
西尾が“スーパー極左”ダワーの大嘘歴史本に共振するのは、民族系を装う西尾の本当の正体が“スーパー極左”だからである。また、西尾は生まれたときから嘘、嘘、嘘ばかりをついて八〇年。彼が座右におきたい書が必ず、虚偽と嘘で書かれたアジプロ本だけとなるのは、同類のよしみ/同病のよしみによる。
つまり、ダワー(=日本共産党)と意気投合する西尾幹二とは、“日本憎悪のニヒル”が本性で、赤いイデオロギーにしか共鳴しないことを露呈した。そんな西尾が書いた『中学歴史』や『国民の歴史』が、歴史であろうはずはない。
(ニーチェも理解できない西尾幹二の“哲学音痴” ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅵ)へつづく)
注
第一節
1、『SAPIO』二〇〇六年六月十四日号、九八~九頁。
2、西尾幹二『国民の歴史 』、産経新聞ニュースサービス、五五四~六四頁。引用文の頁数は、本文。
3、『新しい歴史教科書―市販本 』扶桑社、二五八~九頁。
4、防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本営海軍部・聯合艦隊〈1〉 』、朝雲新聞社、一三二頁。
5、『日本外交史 』第七巻、鹿島平和研究所出版会、一二八頁。
第二節
1、『戦史叢書 比島攻略作戦 』、一一九頁。
2、「オレンジ計画」についての概説的な論文。
• a、三木秀雄「アメリカ海軍とオレンジ計画--ハワイ奇襲と連続攻勢作戦--」『軍事史学 通巻一〇六・一〇七号 第二次世界大戦2』、錦正社、六一~八〇頁。
• b、平間洋一「オレンジ計画と山本戦略」、同上、『第二次世界大戦2』、八一~九五頁。
• c、W.R.プレイステッド「アメリカ海軍とオレンジ計画」、細谷千博/斎藤真編『ワシントン体制と日米関係 』、東京大学出版会、四一五~四〇頁。
エドワード・ミラー著『オレンジ計画』は、原題が“the US Strategy to Defeat Japan 1897-1945”。これは、通常の研究者ならば「一八九七年」は「一九〇六年」とするし、「Defeat Japan」ではなく(一九四一年までの)実態に合わせて「Defense Philippines」とするのを考えれば、何か異質さが感じられ、しっくりこない。また、日本の「帝国国防方針」や帝国海軍の軍事演習などにつきいっさい知見がなく、専門家とみなすのには違和感をもつ。
ただ、実際の軍事力からの検証分析をしないなど幾つかの欠陥に目を瞑れば、机上プランとしての「オレンジ計画」を概観できる。たとえば、(「ホワイト・フリート」から十七年後の)一九二五年頃、フィリッピンは守れないから基本的に捨てるけれども、捨てずに防衛をするためのフィリッピンまでの奇襲特攻の奇策がないものかと思案していることなどがわかる(注3)。
このことは、「一九〇八年から米国は日本本国に対して戦争を企図していた」との、西尾幹二の妄説が真赤な嘘との証明にはなっている。「オレンジ計画」が、多少、米国海軍の戦争プラン的になるのは、一九三三年三月のルーズベルト大統領の出現を待たねばならなかったが、それでも、戦争プランらしくなるにそれから数年を要している。一九〇七年からの、日本の帝国海軍の具体的な戦争プランには比すべきもない。
3、ミラー『オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略 』、新潮社、一三一頁。
4、『国民の歴史 』、五七〇頁。
5、『戦史叢書 大本営海軍部・聯合艦隊〈1〉開戦まで 』、一三三~五頁。
6、『国民の歴史』第二四章/第二五章、五三九~八七頁。
第三節
1、『国民の歴史』。頁数は本文。
2、佐藤鉄太郎は、自著『帝国国防史論 』で、たとえば、次のように主張した。「テオドア・ルーズベルト氏(大統領)の意中には、<排日・戦争・海軍>の三者がいかなる状態において存在するやを推知することができるのである。もし強いてこれらの(米国への日本人移民)制限を脱せんと欲せば、武力(戦争)をもって(米国と)相対するの外なく、武力にて彼(米国)に対すること能はずんば、我が国民は永劫、太平洋を退かねばならない」(下巻、三〇八~九頁、原書房、復刻版、丸カッコ内中川)。
鉄太郎は、西尾と同じく人格も精神も正常ではなかった。米国への日本人移民が減らされたら、どうして当時の日本海軍の太平洋覇権が喪失するのか。移民への扱いと海軍力とは全然無関係。「反米」日本人の「反米」は、狂気から発生する。
鉄太郎は、この趣旨で、日本人移民の制限を口実にアメリカへの全面戦争をすべしと、若い海軍士官を洗脳し続けた。一世代を経た山本五十六らが、「日本の国益を忘却した野蛮人的なエキセントリック反米野郎」になった原因の一つに、“対米戦争デマゴーグ”佐藤鉄太郎が刷り込んだ害毒も無視できない。
3、『山県有朋意見書 』、明治百年叢書16、原書房、三四六頁。
4、ロシアの「民族浄化」史の分野には、日本だけ世界唯一に専門家がいない。参考文献として、次の三冊を挙げておこう。 T.Piotrowski,The Polish Deportees of World WarⅡ,Mcfarland & Company. M.Hope,Polish Deportees in the Soviet Union,Veritas Foundation Publication Centre. P.Polian,Against their Will,CPU Press.
第四節
1、『国民の歴史』、五四八頁。
2、『ザ・フェデラリスト』(福村出版)の邦訳出版は、ソ連邦崩壊が定まった一九九一年であった。その訳は、一九五〇年代には完成していたのに、共産党の命令で出版が禁止されていたと聞く。反共に通じる保守主義の思想で貫かれていたため検閲されたらしい。岩波文庫本は、85編のうち、主に重要でない31編しか収録していない。54篇の削除である。米国憲法が保守主義なのを日本人に知らせないための検閲済み出版。
3、『リットン調査団報告書』、一九三二年十月。英文・邦訳文は、国際連盟協会(外務省の外郭団体)が『日支紛争に関する国際聯盟調査委員会の報告 (1932年) 』として、同時出版した。リットン伯爵は、親日の英国貴族。日本側にもかなり有利な書きぶりで、これを理由に(一九三三年三月に)連盟を脱退した松岡洋右の発想やスタンスは理解を越える。松岡は、国益のわからぬ“ならず者外交官”だった。
4、西尾幹二『「労働鎖国」のすすめ―外国人労働者が日本を滅ぼす (カッパ・ビジネス) 』、光文社カッパブックス、一九八九年。
5、ジョン・ダワー『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流 』、平凡社ライブラリー、原著一九八六年、九四~九頁。改題『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー) 』。
中川八洋
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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/140844
2014-03-01
“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(V)──西尾の真赤な嘘話「人種差別(ユダヤ人大虐殺)のナチ・ドイツと同盟した日本は、人種差別撤廃を大義に米国と戦争した」は、詭弁? 分裂病妄想?
(続き)
第三節 西尾は、人種差別を大義に戦争を煽動する“戦争屋”
西尾幹二が歴史の偽造をするに、いくつかの政治的意図がある。その一つが、「人種差別を許さない」である。しかも普遍的な人種差別を許さないなら、多少は理解できるが、「アメリカの人種差別のみ許さない」との偏向した信条である。
しかも西尾は、「米国の人種差別を打倒するためなら、日本国民は全員死んでもよい」「日本国は亡んでなくなってもよい」と考えている。正気ではない。極限の狂気。
西尾のこの主張は、日本の亡国ならびに日本国民の戦場・戦火での戦死・焼死・餓死を目的とし、その手段として「米国の人種差別を大義にしての対米戦争(による、日本国の廃墟/日本国民の絶滅)」を、日本人に煽動しているのは明らか。まさしく、ニーチェの国家廃滅・人間絶滅を絵に描いたようなニーチェ哲学そのものだし、ニーチェ的狂気の継承なしには発想できない狂気である。西尾幹二は、こう書いている。
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「日本がちょっとでも動き出せば叩き潰そうと待ち受けていた(米国の)戦意の歴史が存在した。そこに…排日運動などにすでに見え隠れしていた人種偏見が働いていなかったとはいえまい」(注1、五九八頁)。
「日米戦争においても、六対四、あるいはまた七対三の割合で責任はアメリカの側にある。そしてそのうち三割ぐらいは人種偏見を抱いていた(米国の)大統領たちの性格に原因がある」(注1、五五〇頁)。
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これほどの嘘は、歴史の偽造にかける西尾幹二の妄執が狂気の炎となって燃えていないとデッチアゲられるものではない。なぜなら、「<仮想敵国>米国はロシアに次ぐ」と定めた、日本国が国家の最高意思で米国を仮想敵国にした第一次帝国国防方針は一九〇七年四月であった。西尾は、これほどの最重要な歴史事実については、口を噤んで無かったことにする。歴史事実の隠蔽操作は、生来の大嘘つき西尾幹二の常套手口である。
また、過激な米国脅威論というか極端な米国敵視論の佐藤鉄太郎の“毒書”『帝国国防史論』(一九〇八年、注2)は海軍士官の間で広く読まれたが、ホワイト・フリートの来訪の前に印刷に付されていた。西尾の「米国の<日本=仮想敵国>視は、日本より先」は、歴史偽造を越えた妄説・狂説の典型なのは言うを俟たない。
中共や北朝鮮と同盟国になれとうそぶく“第二の本多勝一”西尾幹二
このような西尾流“歴史の改竄”“嘘歴史の創作”のやり方は、「南京大虐殺」という歴史の虚構を日本中に撒布した、中共の工作員で北朝鮮人の本多勝一が書いた『中国の旅』(一九七二年、朝日新聞社)のトリックと同じだと気付かれた読者は多いと思う。まさにその通り。日頃から「読者など騙せばよいのだ」と公言する西尾幹二は、実は、本多勝一の再来。西尾を第二の本多勝一と考えると、西尾の正体が鮮明に見えてくる。
実際にも西尾幹二は中国共産党や北朝鮮労働党(共産党)に異常な親近感情を持っている。いや、親近感情以上の同志意識といった方が正確。なぜなら西尾の本心は、日本は、中共や北朝鮮側に与して同盟を結び、これからでも米国と戦争をすべきだと考えているからだ。証拠を挙げる。西尾はこう言う。
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「日本は中国や朝鮮と手を取り合って欧米と対決するのが自然であり、多くの不幸や誤解を回避しうる道であったことはあらためていうまでもない」(注1、五六六頁)。
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日本と中共や朝鮮との間には「誤解」がないとの西尾幹二の狂説に従うならば、竹島問題も従軍慰安婦問題も尖閣諸島問題も拉致・強制連行問題も存在しないことになる。
これこそ、トリックスター西尾幹二の、分裂病の幻覚でなくて何であろう。しかも、中共や北朝鮮と同盟国になると、日本は「幸福」になるらしい。なんだか、麻原彰晃の説法を聞かされているようで、思わずゾッとする。
パリ会議で欺瞞と傲慢を晒した、人種差別を実践した直後の二枚舌国・日本
日本は、国内では人種差別をしない、穏やかな民族である。たとえば、 “仁慈と虐待”が的確な表現といえる、十九世紀の日本とロシアの、樺太アイヌに対する差異においてもよくわかる。
しかし、国際社会において、日本は公然と人種差別を支持する異様な国家である。たとえば、一九四〇年秋、日本が日独伊三国同盟を締結したが、それはナチ・ドイツの、人種差別の極地である(財産没収、職業選択・結婚自由の剥奪などの)ユダヤ人弾圧を容認することを認識した上での調印だった。この一九四〇年時点、ユダヤ人大虐殺は始まっていないため、それを知らなかったのは黙過できるが、それ以外のナチ政府のあこぎな人種差別の実情は、外務省も軍部も国民も熟知していた。
あるいは、第一次世界大戦が一九一四年に勃発したとき、英国は日本に日英同盟の基づき欧州戦線への陸軍の派兵を要請した。だが、日本の政府高官は、国会や新聞インタヴューなどさまざまの場所で、平然と人種差別に徹する旨を公言してこれを拒否した。具体的には、「白人のために、(黄色人種の)日本の若者の血は流せない」というもの。
ところが、西尾幹二ら民族系論客は、一九一九年のパリ講和会議で、人種差別撤廃条項を国際連盟規約として提案したことを、何か正義を体現するすばらしいことをなしたかに自画自賛する。西尾は、パリの日本政府代表ら「日本人は、全有色人種の希望の星」だったという(注1、五七一~三頁)。笑止。
なぜなら、国際法・国際機関との整合性も考えない、何とも幼児的な戯言だからである。いや、国際関係に不在の「<有色人種>対<白色人種>」を仮構した規約など、世界に紛争と戦争を巻き起こす弊害甚大で有害無益この上もない。六千年間の人類の戦争史に、宗教間戦争や民族間戦争はあるが、人種間戦争はゼロ。そのような戦争は、理論的にも万が一にも起きない。
ともあれ、ここで西尾幹二に問う。一九一四年から一九一七年の間、「白人のために黄色人種の血は流せない」との人種差別を、日本政府は日英同盟条約解釈の物差し(外交方針、公然たる対外政策)とした事実を、弁明せよ。西尾 は、自分の狂説・奇説に合致しない都合の悪い歴史事実は無かったことに隠蔽し蓋をする。かくも狡猾な歴史の改竄をした非歴史から、日本人は益するものを何一つ手にすることはできない。
日露戦争に勝利した後の日本の傲慢は、日本人をして人格的劣化を促進した。倫理道徳や国際法を尊重した“世界の紳士”だった明治日本人は、「一九〇五~一〇年」を境に消えた。「一九〇六~一四年」以降の日本人は、突然変異したごとく、野卑な二枚舌民族へと低級化した。その端的な事例が、パリ講和会議での連盟規約への人種差別撤廃条項の挿入提案。
(実際の日常行動ではなく)観念や思想における日本人の人種差別主義は、第一次世界大戦が勃発した頃から、突然、増殖した。「日英分断」「日米分断」を日本国内で画策していたドイツの対日情報工作によるようだが、もしそうだとしても、外国からの偽情報「人種差別」に洗脳されるのは、洗脳される日本人の知性が空洞だからだ。
ともあれ、当時の日本人の“人種差別マニアック”の一例をあげる。次のように語る山縣有朋は、“人種差別マニアック”の害毒を広く日本国内に流し伝染させたトンデモ日本人の一人だった。
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「黄人と白人との争ひにおいて白人が相連合すべきは火を観るより明かにして…黄人に対する白人連合の気勢を未然に予防するの策を講じること必要なるべし」(注3、一九一五年二月二十一日)。
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国防を人種差別で把握するという異常にして現実遊離の視点は、国際政治の冷厳な現実を無視したものだから、当然、国防を誤導し国益を毀損するものとなる。日本が自国の全面破壊となる大東亜戦争という自殺戦争を選択していく全盲外交は、マルクス・レーニン主義に汚染されたことに次いで、この観念的な“人種差別ごっこ”に狂奔したからでもある。
人種差別の国への戦争が正義なら、日本はなぜナチ・ドイツと戦争しなかったのか
「人種差別において米国は日本に戦争を仕掛けてきた」「人種差別と戦った大義において大東亜戦争は正義である」と言募る西尾幹二が、大嘘つきのペテン師なのは、歴史を学び始める小学生五年生でもすぐわかる。
なぜなら、ならば日本は、人種差別の極地を実践してしたヒットラー・ドイツに対して、率先して戦争すべきであったはず。しかし、なぜか西尾はこのことに口をつぐむ。また、ヒットラーのユダヤ人大虐殺が軽微に見えるほど、その十倍を越える大規模な民族絶滅(「民族浄化」、race cleansing、注4)を実行していた、悪魔の人種差別国・ソ連に対して、日本はなぜ戦争をしなかったのか。西尾幹二よ、なぜ口をつぐむのだ。
西尾は、“悪魔の人種差別国”ドイツと三国同盟を締結し、“超悪魔の人種差別国”ソ連と日ソ中立条約を締結したことと、人種差別国とは戦争を辞してはならないとの西尾自身の“対米戦争人種差別説”とは矛盾しない、と考えている。「万人の目においてこれほどの大矛盾が、西尾の頭だけ矛盾に見えない」。なぜだ。
このように、重度の分裂病患者は、公平な基準や視点は存在しえない。二重基準、三重基準が分裂病罹患者の常態である。『国民の歴史』と『GHQ焚書図書開封』で展開する、西尾幹二の日米戦争論は、精神病院から脱走した重度の精神異常者が喚く有害・猛毒の戯言の極み。それ以外ではない。
もし、そうでないと言うなら、“狂気の人”西尾幹二よ! 日本がヒットラー・ドイツと戦争しなかった理由を説明せよ。“歴史の佐村河内”西尾幹二よ! 日本がソ連と戦争しなかった理由を説明せよ。
しかも、人種差別をする国への戦争は大義だし戦争すべきだとする、西尾幹二の狂説「人種差別日米戦争論」は、西尾幹二が、現在、「日本国は、中共に宣戦布告せよ」「日本国は、ロシアに宣戦布告せよ」と、大声を挙げるべきに、小声さえ出さないことで、バレバレに破綻しているではないか。
ロシアは、一九八九年頃からチェチェン人を殺しまくっている。それから二十年以上が経ったが、今も続いている。ロシア民族固有の「民族浄化」の殺戮である。四千年の昔から人種差別に生きた漢民族の中共も、チベット人とウイグル人を殺しまくっている。
西尾は「日本は、ロシアや中共に対する戦争をせよ」と発言しないなら、自身の妄説・暴論が狂っていると「罪」を認めたことになる。西尾は、嘘八百の「日米戦争人種差別説」垂れ流しの偽情報犯罪の「罪」を猛省し、その撤回をしなければならない。だが、西尾は撤回しないだろう。重度の分裂病は、「反省」という良心を人間から完全消滅させる。
第四節 矮小な排日移民法問題が、どうして日本が亡国と数百万人の命を捨てる対米戦争の大義になるのか
『非国民の歴史』と正しく改題すべき西尾幹二の『国民の歴史』は、凄まじい歴史の偽造もさることながら、卒倒するような荒唐無稽な言説がオンパレードである。その一つが、日本人移民排斥をもって対米戦争の大義とする暴論妄説。こう書いている。
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「カリフォルニアにおける日系移民の排斥問題(人種差別)が日米戦争の最も基本的なモチーフの一つであったのではないか」(注1)。
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米国が、日系一世に対する土地所有を禁じる一九一三年のカリフォルニア州法律や一九二四年の排日移民連邦法律に関して、日本の民族系は、何か鬼の首でも獲ったかに騒ぎ立て米国を糾弾する。そして、大東亜戦争のうちの日米太平洋戦争を正当化する。
こんな正常から逸脱したハチャメチャな言説は、次の狂った主張(ゴチック体ー斜体)と同義になる。簡単な論理力を働かせれば自明ではないか。
二十二万人(1920年現在)の日本人移民が米国で受けた(一人も殺されてはいない、血なき)差別に対して、日本国は、三一〇万人以上(備考)の国民の死、ほぼすべての主要都市の廃墟、主要工場の焼失、満洲その他の海外権益の完全喪失、日本固有の領土の南樺太/国後・択捉などの喪失、明治憲法ほか民法その他の日本の宝であった法制度の改悪などの代償を支払っても米国に日本人移民の差別撤廃を強制する戦争をするだけの価値がある。
備考;このうち空襲の被害を含めた対米英豪戦争のぶんは、200万人ぐらいか。
米国の排日移民は、確かに、当時の日本人を「集団ヒステリー」にした。が、太平洋戦争の敗北を体験して、この「集団ヒステリー」は日本をソ連の属国にする共産革命の土壌を醸成するため日米戦争を起こそうとした内外の反日勢力が策謀したものではなかったか、ぐらいの自省と洞察が、戦後日本の合理的コンセンサスになった。
ところが、「排日移民」騒動から九十年、「敗戦」から七十年。今ふたたび、“反日の巨魁”西尾幹二ら民族系論客は、沈静化していた有害な亡霊で「集団ヒステリー」を墓場から叩き起こして徘徊させ、日本の正統な外交を誤導し日本の国益を毀損することを図っている。何が狙いか。日本国の亡国である。
米国についての無知蒙昧「移民が建国」を恥じず、米国の移民政策を難じる“傲慢”西尾幹二
そもそも、日本人は米国を知らない。特に、戦後、東京大学のアメリカ研究者(教授)たちのほとんどは共産党員だったため(たとえば斉藤真)、意図的に米国を歪曲して伝えた。米国理解の基本文書である米国憲法コメンタリー『ザ・フェデラリスト』は、東大では関係する教官すべてが緻密に精読していたが、意図的にその翻訳を出版しなかった(注2)。
一七八九年春に新生の小国(人口270万人)として誕生した米国は、コークの『英国法提要』を理念として、封建時代の残り香が漂う“百五十年前(一六二〇~三〇年代)の英国”への回帰を目指して建国された保守主義の国家である。当然、デモクラシーを必要悪として認めるが嫌悪し、美しき王制を懐旧する王制主義者(モナーキスト)たちが建国の主役であった。ジョージ・ワシントン(初代大統領)、アレグザンダー・ハミルトン(ワシントンの事実上の代行)、ジョン・アダムス(第二代大統領)を思い出せば、この事実は明らかだろう。
そして、米国民の“当然の資格”は、「元・イギリス国王の臣民であること」「プロテスタントのキリスト教徒であること」「国家の根本制度としての英国コモン・ローを尊重すること」「英語を母語とすること」の四条件を満たす、だった。
さらに、この「原・米国民」のうち、選挙権を持つ者は、原則として「イギリスからの入植者(settlers)」とし、これを体現すべく、一定以上の財産と教養の枠を厳しくはめた。移民(immigrants)を原則として政治から排除するためである。私は、スタンフォード大学に留学中、「ぼくの家系はsettlerで、immigrantではない」と語った学生に出会ったことがある。
米国を“移民が建国”などと考える日本人は、よほどの無学・無教養。英国以外からの移民が大量に、アメリカの大地を踏むようになるのは、一八二〇年代からである。デモクラシーが徐々に米国の政治制度根幹を蝕むのは、一八二九年からのジャクソン大統領時代からである。それでも、デモクラシーという言葉は米国では排斥され、言葉democracyを使った最初の米国大統領は、ウィルソン(一九一三~二一年)で一九一四年だった。
一八二〇年代から米国は「移民」を受け入れるようになったが、先述の四条件を緩和しただけで基本はさほど変えなかった。すなわち、「アングロ・プロテスタント・英語が母語」を、「ヨーロッパ・キリスト教・母語を英語にする努力をすること」とした。
米国が「移民」につき制限を原則設定しなくなるのは、キング牧師の公民権運動を支持したアイルランド人のケネディ大統領によってであり、一九六一年以降である。具体的には、一九六三年にケネディが暗殺され後を継いだジョンソン大統領が一九六五年に制定した新移民法である。これは、米国が“多文化主義 マルチ・カルチュラリズム”という新種の極左イデオロギーに屈したと言えるが、このときの米国の保守主義者の同法への怒りはすさまじいものだった。
二〇〇六年に全米に爆発した千六百万人の中南米からの不法移民たちの騒ぎは、日常スペイン語を喋り英語を無視するように、「ケネディ/ジョンソン新移民法」は、米国社会の安定に欠くことのできない秩序に騒擾的な混乱を招いている。
さて、カリフォルリニア州での日本人移民差別騒動は一九一〇~二〇年代であって、この新移民法の一九六五年よりも四~五十年以上も昔である。移民が、「キリスト教、ヨーロッパ、母語の英語化」の条件を満たさなければならなかった時代の話である。メキシコを含め、中南米からの移民が禁止されていた時代の事件である。支那人の移民が厳格に禁止されていた時代の事件である。
すなわち、日本人の移民は、陸軍大国ロシアを破った“東洋の新しい強国”日本国の国民だからという理由において特別な例外として、米国はその移民を認めたのである。特別な例外であるから、特別なハンディを付加しただけである。
他に例外の国民がいるのに、そのうち日本人だけに差別したのとは異なる。一九九〇年代以降の日本の企業では、正社員と派遣社員とが同じ部屋で同じ仕事をしているが、その待遇はかなり顕著に差別されている。しかし、この差別は、その企業が定めているものであって、その企業で働きたいと応募した以上、派遣社員は受容するほかない。
当時の日本人のアメリカ移民とは、これと同じ。米国の内政として定めたルールに従うのが当然で、これに対する一定限度を越えたクレームは、“内政干渉”である。米国側の条件が不満なら、米国に移民すべきではない。
しかし、日露戦争に勝った日本国は傲慢不遜になり、米国の主権である内政の移民条件に国挙げて喚き散らすという乱暴狼藉を働くようになっていた。国際ルールを逸脱する野蛮人へと日本人は変貌した。
しかも、米国の日本人移民制限・差別は、日本政府として好機であった。彼らを満洲へと移民させ、満洲の経済発展と対ロ防衛力の強化に活用すべきであった。特に、一九二四年をもって、対米移民希望者全員を満洲へと振り替えて、一九三一年の満洲事変を七年ほど前倒しでしていれば、日本のその後は、大東亜戦争をせずとも済んだかもしれないし、少なくともリットン調査団(一九三二年)など歴史に存在しなかった。
『リットン調査団報告書』は、満洲は支那国の固有の領土とは言えず、その開発と発展に寄与した日本の諸権利を支那国(「国民党政府」)は十全に認めるべきであるとする。さらに『報告書』は、日本は暢気すぎるから、大量の支那人移民(=外国人労働者)に満洲を無血占領(bloodless occupation)されてしまった、とまで書いている(注3)。
ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)は一九二八年。満洲事変が一九三一年でなく、この条約以前であれば、完全な合法だった。米国政府の、一九二四年の日本人移民への大幅制限は、満洲進出へと日本が移民政策で舵をきる好機の何ものでもなかった。
「外国人労働者=支那人」に国を奪われようとする“二十一世紀の日本”
今日、日本では、「外国人労働者」という名の大量の支那人移民の問題が静かに進行している。いずれ遠からず、日本国を簒奪するに至るのは、一九〇五年以降の満洲簒奪の歴史が証明している。すなわち、支那人移民(外国人労働者)の制限は、いずれ、日本国の存亡において、日本国の国政を揺るがす問題となろう。
特に、日本政府は、安倍晋三を見てもわかるとおり、日本人の出生率低下に無関心である。十三億人の赤いチャイナに、出生率と新生児数が大幅に低下した日本が、二十一世紀中に「無血占領」されるのは火を見るより明らかだろう。
さて、西尾幹二は、この外国人労働者問題では、その容認論に激しく反対した論客ではなかったか(注4)。移民制限を日本の主権事項とする西尾の立場は、アメリカ日系移民差別への西尾の論難とは一八〇度も対極的である。西尾は、移民問題でダブル・スタンダードの言説を弄んでいる。
では、西尾幹二が、非理の内政干渉であるにもかかわらず、アメリカ日系移民差別を理不尽に糾弾するのは、日本が国益に違背してまで対米戦争を開始した大東亜戦争を正当化する理由に窮して、苦肉のへ理屈としてのデッチアゲだからである。しかし、取るに足りない移民差別で、国あげた戦争をすべきだなど、ジョークならともかく、正常な思考ではない。幻覚や妄想なしには発想できない。
詭弁にも窮して、KGB工作員の「日米分断」情報操作を活用する西尾幹二
しかも、「移民差別」は「人種差別」とは言えないが、思考が妄想に浮遊する西尾幹二にとって、そのような論理の飛躍は日常の症状である。この“幻覚の連鎖”において、西尾幹二は「米国の日本人移民差別→米国の人種差別→日本敵視→日米戦争」という虚構の歴史を捏造した。しかし、この西尾の妄想歴史を裏づける根拠など存在しない。
そこで、西尾は、禁じ手に手を出した。“アメリカの小田実”といわれる一九六〇年代のベトナム反戦運動家で、アメリカでは数少ない札付きの共産主義者ジョン・ダワーの“反米・反日の毒書”『人種偏見』を引用して、砂漠の蜃気楼と同じく実態のない幻覚上の嘘歴史をデッチアゲルことにした。『国民の歴史』第24章に、ダワーから引用がある。ダワーは、次のようなデタラメを書いた。しかし、妄想に生きて正気がひとかけらもない朦朧の西尾には、これほどの大嘘すらわからない。
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「(第二次世界)大戦は人種戦争であった」(注1、五四一頁)。
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日本は、支那大陸で蒋介石の国民党政権打倒の戦争を、八年間も遂行し、この地で四十五万という日本人の命を犠牲にした黄色人種同士の日中戦争は、西尾幹二にかかると日本の敵側の支那人はすベて白人だったという。あるいは、インパール作戦で日本が戦争した相手は、英国だが、それはインド人部隊が混成されていた。つまり、西尾幹二は、インド人は白人だという。
しかも、ダワーの『人種偏見』は、学界では共産党員学者しか引用しないシロモノ。実際にもダワーは、『人種偏見』を書くに、日本共産党の赤旗など丸写しして、日本を中傷誹謗する罵詈雑言ばかりを羅列した。健常の日本国民なら嘔吐を催す内容。
「百人斬りは実際にあった」「香港の路上で尼僧を強姦・殺害した」「石井731部隊は医学的実験殺人をふんだんにしていた」「三光作戦は本当だった」「南京大虐殺は事実である」「日本兵が赤ン坊を放り投げて銃剣で刺し殺した」などなど、真赤な嘘歴史を延々と書いている(注5)。むろん、ダワーは、通常の歴史学者ではない。米国人には「反日」を、日本人には「反米」を煽動して“日米分断”を図る、ソ連KGB第一総局所属の優秀な工作員である。その洗脳技術は、尾崎秀実クラスといわれている。
西尾が“スーパー極左”ダワーの大嘘歴史本に共振するのは、民族系を装う西尾の本当の正体が“スーパー極左”だからである。また、西尾は生まれたときから嘘、嘘、嘘ばかりをついて八〇年。彼が座右におきたい書が必ず、虚偽と嘘で書かれたアジプロ本だけとなるのは、同類のよしみ/同病のよしみによる。
つまり、ダワー(=日本共産党)と意気投合する西尾幹二とは、“日本憎悪のニヒル”が本性で、赤いイデオロギーにしか共鳴しないことを露呈した。そんな西尾が書いた『中学歴史』や『国民の歴史』が、歴史であろうはずはない。
(ニーチェも理解できない西尾幹二の“哲学音痴” ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅵ)へつづく)
注
第一節
1、『SAPIO』二〇〇六年六月十四日号、九八~九頁。
2、西尾幹二『国民の歴史 』、産経新聞ニュースサービス、五五四~六四頁。引用文の頁数は、本文。
3、『新しい歴史教科書―市販本 』扶桑社、二五八~九頁。
4、防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本営海軍部・聯合艦隊〈1〉 』、朝雲新聞社、一三二頁。
5、『日本外交史 』第七巻、鹿島平和研究所出版会、一二八頁。
第二節
1、『戦史叢書 比島攻略作戦 』、一一九頁。
2、「オレンジ計画」についての概説的な論文。
• a、三木秀雄「アメリカ海軍とオレンジ計画--ハワイ奇襲と連続攻勢作戦--」『軍事史学 通巻一〇六・一〇七号 第二次世界大戦2』、錦正社、六一~八〇頁。
• b、平間洋一「オレンジ計画と山本戦略」、同上、『第二次世界大戦2』、八一~九五頁。
• c、W.R.プレイステッド「アメリカ海軍とオレンジ計画」、細谷千博/斎藤真編『ワシントン体制と日米関係 』、東京大学出版会、四一五~四〇頁。
エドワード・ミラー著『オレンジ計画』は、原題が“the US Strategy to Defeat Japan 1897-1945”。これは、通常の研究者ならば「一八九七年」は「一九〇六年」とするし、「Defeat Japan」ではなく(一九四一年までの)実態に合わせて「Defense Philippines」とするのを考えれば、何か異質さが感じられ、しっくりこない。また、日本の「帝国国防方針」や帝国海軍の軍事演習などにつきいっさい知見がなく、専門家とみなすのには違和感をもつ。
ただ、実際の軍事力からの検証分析をしないなど幾つかの欠陥に目を瞑れば、机上プランとしての「オレンジ計画」を概観できる。たとえば、(「ホワイト・フリート」から十七年後の)一九二五年頃、フィリッピンは守れないから基本的に捨てるけれども、捨てずに防衛をするためのフィリッピンまでの奇襲特攻の奇策がないものかと思案していることなどがわかる(注3)。
このことは、「一九〇八年から米国は日本本国に対して戦争を企図していた」との、西尾幹二の妄説が真赤な嘘との証明にはなっている。「オレンジ計画」が、多少、米国海軍の戦争プラン的になるのは、一九三三年三月のルーズベルト大統領の出現を待たねばならなかったが、それでも、戦争プランらしくなるにそれから数年を要している。一九〇七年からの、日本の帝国海軍の具体的な戦争プランには比すべきもない。
3、ミラー『オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略 』、新潮社、一三一頁。
4、『国民の歴史 』、五七〇頁。
5、『戦史叢書 大本営海軍部・聯合艦隊〈1〉開戦まで 』、一三三~五頁。
6、『国民の歴史』第二四章/第二五章、五三九~八七頁。
第三節
1、『国民の歴史』。頁数は本文。
2、佐藤鉄太郎は、自著『帝国国防史論 』で、たとえば、次のように主張した。「テオドア・ルーズベルト氏(大統領)の意中には、<排日・戦争・海軍>の三者がいかなる状態において存在するやを推知することができるのである。もし強いてこれらの(米国への日本人移民)制限を脱せんと欲せば、武力(戦争)をもって(米国と)相対するの外なく、武力にて彼(米国)に対すること能はずんば、我が国民は永劫、太平洋を退かねばならない」(下巻、三〇八~九頁、原書房、復刻版、丸カッコ内中川)。
鉄太郎は、西尾と同じく人格も精神も正常ではなかった。米国への日本人移民が減らされたら、どうして当時の日本海軍の太平洋覇権が喪失するのか。移民への扱いと海軍力とは全然無関係。「反米」日本人の「反米」は、狂気から発生する。
鉄太郎は、この趣旨で、日本人移民の制限を口実にアメリカへの全面戦争をすべしと、若い海軍士官を洗脳し続けた。一世代を経た山本五十六らが、「日本の国益を忘却した野蛮人的なエキセントリック反米野郎」になった原因の一つに、“対米戦争デマゴーグ”佐藤鉄太郎が刷り込んだ害毒も無視できない。
3、『山県有朋意見書 』、明治百年叢書16、原書房、三四六頁。
4、ロシアの「民族浄化」史の分野には、日本だけ世界唯一に専門家がいない。参考文献として、次の三冊を挙げておこう。 T.Piotrowski,The Polish Deportees of World WarⅡ,Mcfarland & Company. M.Hope,Polish Deportees in the Soviet Union,Veritas Foundation Publication Centre. P.Polian,Against their Will,CPU Press.
第四節
1、『国民の歴史』、五四八頁。
2、『ザ・フェデラリスト』(福村出版)の邦訳出版は、ソ連邦崩壊が定まった一九九一年であった。その訳は、一九五〇年代には完成していたのに、共産党の命令で出版が禁止されていたと聞く。反共に通じる保守主義の思想で貫かれていたため検閲されたらしい。岩波文庫本は、85編のうち、主に重要でない31編しか収録していない。54篇の削除である。米国憲法が保守主義なのを日本人に知らせないための検閲済み出版。
3、『リットン調査団報告書』、一九三二年十月。英文・邦訳文は、国際連盟協会(外務省の外郭団体)が『日支紛争に関する国際聯盟調査委員会の報告 (1932年) 』として、同時出版した。リットン伯爵は、親日の英国貴族。日本側にもかなり有利な書きぶりで、これを理由に(一九三三年三月に)連盟を脱退した松岡洋右の発想やスタンスは理解を越える。松岡は、国益のわからぬ“ならず者外交官”だった。
4、西尾幹二『「労働鎖国」のすすめ―外国人労働者が日本を滅ぼす (カッパ・ビジネス) 』、光文社カッパブックス、一九八九年。
5、ジョン・ダワー『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流 』、平凡社ライブラリー、原著一九八六年、九四~九頁。改題『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー) 』。
中川八洋
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