朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪(その5)
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朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪(その5)
テーマ:朝鮮(南北朝鮮)
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朝鮮戦争の推移と韓国の歴史教科書
-殺人鬼・金日成と殺人鬼・李承晩の戦争犯罪
2013年11月
(続き)
朝鮮戦争が南北朝鮮に与えた影響
朝鮮戦争が朝鮮民族に与えた影響
極悪非道な戦争犯罪者・金日成の引き起こした朝鮮戦争は、朝鮮民族
全体に、歴史上かってなかった最大の災害を与えた。人的・物的・精神的と
あらゆる面において、朝鮮戦争災害はあまりにも大きく、その深刻な後遺症は、
休戦後、半世紀以上の歳月が流れ去った、今日の時点に至るも、
癒されることなく残っている。
(1)犠牲者数・被害者数
先ず指摘されなければならない点は、正確な統計数値の不足である。
各種機関や研究者によって、数値に相違がある。
①韓国側
韓国軍の犠牲者数・被害者数(死亡・負傷・行方不明)を、
国連軍側は、約25万7,000人、共産軍側は、約58万6,000人と発表している。
東京の『統一朝鮮新聞』は、1970年6月27日号で、98万8,403人と推定した。
数値に相違があることを前提として、先ず、韓国側から考察してみよう。
韓国政府資料を援用した『北韓30年史』は、韓国軍は、戦死
約14万7,000人、負傷約70万9,000人、行方不明約13万1,000人で、
犠牲者数・被害者数の合計は約98万7,000人としている。
この数字は『統一朝鮮新聞』の98万8,403人とほぼ一致する。
続いて、『北韓30年史』は、韓国側の民間人の犠牲者数・被害者数は、
北朝鮮軍に虐殺された者は12万3,936人、その他の死亡者は24万4,663人、
負傷者は22万9,625人、北朝鮮に拉致された者は8万4,532人、
行方不明者は33万312人、北朝鮮軍に強制徴兵された者は約40万人、
警察官の死傷者は1万6,816人など、合計約143万人と述べている。
このような資料をまとめると、韓国側の犠牲者数・被害者数は、
合計約240万人以上にのぼる。
②北朝鮮側
次に、北朝鮮側について考察してみよう。『北韓30年史』によると、
北朝鮮軍は、約52万人が死亡した。約40万6,000人が負傷した。
民間人の犠牲者数・被害者数は約200万人としているる。これらを合計すると
北朝鮮側の犠牲者数・被害者数は約292万人にのぼると推定される。
一方、『統一朝鮮新聞』は、北朝鮮軍の死亡者数は61万1,206人、
民間人の犠牲者数・被害者数は約268万人と集計している。
これを合計すると、北朝鮮の犠牲者数・被害者数は約329万人になる。
③国連軍側
他方、国連軍の犠牲者数・被害者数は、約15万人である。そのうち、
約14万人が米軍兵士である。『北韓30年史』は、国連軍の戦死者は
約3万5,000人、負傷者は、約11万5,000人、行方不明者は約1,500人で、
合計で、約15万1,500人であると述べている。『統一朝鮮新聞』は、
国連軍の戦死者は3万6,813人、負傷者は11万4,816人、行方不明者は
6,198人、合計15万7,827と集計している。
④中国側
中国軍の犠牲者数・被害者数は、『北韓30年史』は、約90万人と見ている。
『統一朝鮮新聞』は、戦死者18万4,128人、負傷者71万5,872人、
行方不明者2万1,836人、合計で92万1,836人と見ている。
両者の集計はほとんど一致している。
⑤南北あわせた犠牲者数・被害者数
これら資料を総括すると、南北朝鮮を合わせた朝鮮民族の
犠牲者数・被害者数は、何なんと、と532万人にのぼる。
当時の南北朝鮮の総人口を約3,000万人と推計するとき、
犠牲者数・被害者数は、5.6人当たり1人の割合である。
1950年の北朝鮮の人口は約974万人だったが、
1953年には849万人に減ってしまった。
北朝鮮の人口が減少した重要な原因の一つは、南に避難してきた
住民が多かったことである。
民間人の犠牲者数・被害者数は、朝鮮半島の歴史上、かつてないほど
大きかった。まさに、朝鮮戦争の悲劇であった。
⑥大規模な人口移動
さらに、朝鮮戦争の悲惨さとして指摘される点は、膨大な規模の
離散家族の発生である。南北に引き離された離散家族の数を
正確に集計することは不可能に近い。しかし、韓国の社会学者たちの
推計によると、南朝鮮から北朝鮮に移住または拉致された人数は
約30万人、北朝鮮から南に脱出してきた人数は45万人から
72万人の間と推計される。これを合計すると75万人から
100万人前後の人口が移動したことになる。
一般的には、北から南に移住した避難民は約300万人、
離散家族の数は約1,000万人にのぼるといわれる。
これは、朝鮮戦争によって、大がかりな人口移動が発生したことを
意味している。
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(2)生産設備とインフラの破壊・国土の荒廃
韓国・北朝鮮の双方、つまり、朝鮮半島全体において、学校・教会・寺院・
病院・民家をはじめ、工場・道路・橋梁などの大半が破壊された。
つまり、南北を問わず、社会経済上の基盤、インフラストラクチャーの
大半が破壊された。
①北朝鮮の惨状
北朝鮮においては、朝鮮戦争開戦前年の1949年のレベルと比較して、
鉱業は80%、工業は60%、農業は78%の割合で、生産力が減少した。
金属製品・電気製品・建設製品・漁獲高では、生産は60%から90%落ちた。
鉄鋼・銅・アルミニウム・アルカリ化学肥料部門では、生産の減少は
より深刻であった。
約90万エーカーにのぼる農地が荒廃した。60万戸の民家と5,000に
のぼる学校、1,000に近い病院が破壊された。
飢餓が北朝鮮全域に蔓延した。
②韓国の惨状と米国の援助
韓国においては、休戦直後、家を失って路上をさまよう戦災民は200万人を
超えていた。総人口の20~25%が飢餓に直面していた。朝鮮戦争開戦前年の
1949年の年間国民総生産と同等の、財産上の被害を蒙った。
各種の産業生産施設の大半が破壊された。一般住宅も約60万戸が破壊された。
鉄道、道路、及び橋梁などのインフラストラクチャーの大半が破壊された。
製造業の場合、ソウル~仁川間の工業地帯と、江原道の三防工業地帯が
大きな被害を蒙った。紡織・印刷・出版業、さらには、皮革・製紙・化学工業も
大きな被害を蒙った。1951年末の時点における韓国政府の調査によると、
工業部門の戦争被害は、建物44%、工場施設42%に達した。
鉱業部門の被害も大きかった。1951年8月末の時点で、韓国の戦災総額の
23.3%を鉱業部門が占めていた。
電力部門の場合、総発電施設の約80%が損傷した。
農業生産は27%減少した。
1950年代の米国の援助は、韓国の産業生産活動だけでなく、国民の経済生活
全般を復旧する最も重要な要因となった。
具体的には、1953年~1961年の間に、米国から、総額22億8000万ドル
という莫大な援助が与えられた。
1954年~1961年の間の、韓国における総投資率は年平均12.0%で
あったが、そのなかの、国民貯蓄率は年平均3.7%にすぎない。
つまり、復旧のための投資は、ほとんど全部、米国の援助によるものであった。
従って、米国の援助の内容は、そのまま、韓国の産業構造を決定したのである。
米国の援助は、鉄道、消費財、穀物が主であった。
鉄道車両の導入を中心とする交通部門と、教育および厚生部門に対する導入が
集中的だった。これはいいかえると、製造業の施設財導入が大変少なかったことを
意味する。
総括すれば、朝鮮戦争によって、韓国経済は、自主的な成長の可能性を
事実上喪失したのである。
特に、韓国の経済的要求や必要とは関係なく成された米国の経済援助を土台に、
消費財軽工業を根幹とする工業化が進められることによって、産業の対外依存的
成長と農業の沈滞現象が現れるようになったのである。
参考資料:
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第308頁
6.25戦争の結果
北韓が引き起こした6.255戦争は、自由と平和に対する挑戦であり、
同族相残の悲劇だった。
この戦争によって、数多くの人々が生命と財産を失った。
戦争による南韓の死傷者数だけでも150万人に達し、数多くの戦争孤児と
離散家族が発生した。
戦争で国土は荒廃し、工場、発電所、建物、橋梁、鉄道などの経済施設も
徹底して破壊された。
人命と物質的被害だけでなく、精神的被害も甚大だった。南北韓の間には
戦争によって敵対感情がみなぎり、その結果、平和的な統一よりは、
対決の局面に陥る民族の悲劇が拡大されていった。
小学校~通信大学の歴史教科書
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朝鮮戦争が引き起こした惨禍 (抜粋)
出典:朝鮮史研究会編 『朝鮮の歴史』 第329頁 三省堂1995年2月発行
朝鮮戦争は、北緯38度線を境に、南への進攻と、北への進攻がくり返された
ところから、「アコーデオン戦争」と名もついた。
南は洛東江から、北は鴨緑江まで、朝鮮半島全体に戦線が動いたため、
人的にも物的にも、戦争被害は甚大なものになった。
しかも、国連軍の物量作戦が被害の程度を一層深刻なものにした。
国連軍の弾薬使用量は、太平洋戦争における米軍の弾薬使用量を
上まわったといわれる。
戦争による犠牲者は、北朝鮮人民軍は、戦死者、約50万8,000人、
負傷者、約10万人、中国共産党軍は、戦死者・負傷者合わせて約50万人であった。
一方、韓国軍の戦死者・負傷者は約99万人、米軍の戦死者・負傷者は
約39万7,000人、米国以外の国連軍の戦死者・負傷者は29万9,000人に達した。
民間人の犠牲者は、行方不明者を含め、南北合わせて200万人を超えたといわれる。
施設の被害をみると、韓国では建物の40パーセント、生産設備の30~75パーセントが
破壊され、60万戸の住宅が被害を受けた。
一方、米軍の「絨毯爆撃」を受けた北朝鮮の被害状況は惨憺たるものであった。
平壌だけでも60万戸の住宅が焼失した。1953年の北朝鮮の工業生産は
1949年の64パーセントに、農業生産は76パーセントにまで落ち込み、
多くの北朝鮮国民が、衣食住のすべてにわたって、こと欠く状況であった。
このような戦争被害の深刻さは、相手の体制に対する憎悪を拡大した。
南北分断の固定化を一層促進することになった。戦禍によって引き裂かれ、
再会の道を断たれた離散家族は、1,000万人にも達したことは、
分断の解消を求める声をますます切実なものにする要因になった。
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You Tube : 韓国独立記念館:全体の広さは東京ドームの約80倍。韓国屈指の
観光施設で、韓国の若者たちは、小学生時代、中学生時代、高校生時代を含め、
最低3回は訪れる。年間、数百万人が訪れ、見学の都度、日本に対する憎悪と
恨みを強め、心に刻みつけていくといわれている。
関連サイト:韓国従軍慰安婦問題-日本の誠実な謝罪と膨大な
賠償金支払いの事実を日韓両国国民に知らせよ
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参考サイト:北朝鮮の強制収容所-この世の地獄
国連総会、北朝鮮の人権侵害非難決議
2005年12月16日、国連総会の本会議において、北朝鮮の外国人拉致を含む
【長期間にわたる、組織的、広範で、重大な人権侵害】を非難する欧州連合(EU)や
日米両国などの共同提案の決議案を賛成88、反対21、棄権60で採択した。
中国とロシアは反対した。韓国の盧武鉉政権は棄権した。
国連総会の北朝鮮非難決議の要旨は次の通り。
①
国連総会は北朝鮮の組織的で広範囲かつ重大な人権侵害に深刻な懸念を表明。
これに含まれる具体例は次の通り。
(1)強制的失踪(しっそう)という形の外国人拉致に関連する未解決の諸問題。
(2)政治犯らを収容する多数の強制収容所の存在や強制労働、公開処刑など。
(3)外国から送還された脱出住民(脱北者)への虐待や死刑などの懲罰など。
(4)宗教、表現、平和的集会や結社の自由に対する厳しい制限など。
(5)売春や強制的な結婚のための女性の人身売買など。
(6)人権状況を調査する国連人権委員会特別報告者への協力拒否。
②
乳幼児の栄養不良がまん延し、危機的な人権状況となっていることを深く憂慮。
③
援助物資を行き渡らせるため、世界食糧計画(WFP)を中心とする
国連機関の完全で自由かつ円滑な活動を認めるよう要請。
Google News 2007年12月19日
国連総会、北朝鮮の人権侵害非難決議を過去最多支持で採択
国連総会は18日、北朝鮮の人権侵害に「非常に深刻な懸念」を示し、
拉致被害者の即時帰国の保証などを北朝鮮に強く求める決議案を
賛成101、反対22、棄権59で採択した。
北朝鮮の人権非難決議の採択は3年連続で、
賛成票は過去最多を記録した。
北朝鮮の核問題の一定の進展とは別に、国際社会が
北朝鮮の人権侵害に依然、厳しい視線を向けていることが示された。
韓国は昨年は賛成したが、
今年は南北関係への配慮から棄権した。
中露は反対票を投じた。
今年の決議は、
拉致被害者の即時帰国の保証など具体的行動を初めて要求し、
北朝鮮が「透明な形で緊急にこの問題を解決する」ことを求めている。
また、北朝鮮での国民への拷問や非人道的な拘束、公開処刑、
人身売買など組織的、広範囲にわたる重大な人権侵害への懸念を
表明し、即時中止を要求している。
出典:読売新聞(朝刊)2012年10月5日第7面
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