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スターリンの犯罪を忘れるな (その2)

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スターリンの犯罪を忘れるな (その2)

 

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スターリンの犯罪を忘れるな
 2012年3月 Minade Mamoru Nowar

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0825StalinDaiakunin.html

 

 

 

スターリンの犯罪を忘れるな
                            2012年3月 Minade Mamoru Nowar

 

 

 

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

 

スターリン非難
フルシチョフ秘密報告抜粋:主な内容
出典:毎日新聞(朝刊)1956年6月10日~6月17日

米国務省は、1956年6月4日、極秘筋から入手した文書として
スターリンを非難したフルシチョフ・ソ連共産党第1書記の秘密報告を発表した。

これは第20回ソ連共産党大会の11日目に当たる1956年2月25日、
モスクワのクレムリン宮内の議場においてフルシチョフ・ソ連共産党第1書記が、
大会代議員だけに報告したものである。

その内容は、これまで、ソ連当局から公表されていないが、すでに秘密会出席の
代議員を通じて、ソ連国内に広く伝えられたといわれる。また断片的にその内容の
一部が外国にもれ、すでに全世界に大きな波紋を巻き起こしている。

米国務省は、この文書の発表に際して、「最近、国務省はフルシチョフ報告演説の
訳文と称する文書の写しを極秘筋から入手した。この文書は、多くの問い合わせに
答えるために発表されるものである。この訳文はソ連以外の某国共産党の党指導上の
参考用として出されたものと解される。

国務省は、この文書の真実性については保証しないが、文書そのものが
すベてを物語っているので、これを発表する」と説明した。

発表文書は58頁、約2万6,000語にのぼる。
毎日新聞社は発表文全文を入手した。以下、主な内容を紹介する。




「スターリンはあまりに粗暴である」として
レーニンはスターリンの書記長解任を提案していた

レーニンは、党とソ連国民の将来の運命を心配して、
スターリンの性格に対する評価を完全に修正し、
スターリンが極端に粗暴であり、同志たちに対して
礼儀正しい態度をとらず、気まぐれで権力を乱用する
といった諸事実から、スターリンを党書記長の地位から
他へ移す問題を考慮する必要があると指摘したほどである。

1922年12月にレーニンは党大会にあてた書簡で次のように述べている。

「同志スターリンは書記長の地位を引継いでから、はかり知れない権力をその手中に集めた。
そして私は、彼が常に必要な注意を払って、こうした権力を行使できるかどうか危ぶむものである」

レーニンの遺訓として、党史上極めて重要で、しかし有名な政治的文献であるこの書簡は
第20回党大会の代表に配布された。

諸君はすでにそれを読み、しかも、くり返しくり返し読んだに違いない。諸君は、レーニンが党、
人民、国家ならびに党政策の将釆の方向を気づかった率直な言葉に感動したことであろう。

さらに、レーニンは次のように述べている。

「スターリンは全く粗野で、この欠点は、我々の間、および我々共産主義者間の接触では
我慢できるが、書記長としての地位を保つ上に我慢できないものとなっている。

「この理由から、私は同志諸君が、スターリンを書記長から解任させ、他のもの、とりわけ
一つの性格、つまり同志に対してより以上の寛容性、より以上の忠実性、より以上の親切心、
より以上の思いやりを持ち、移り気な気持の少いものを選ぶ方法を検討するよう提案する
ものである」



このレーニンの書簡は、スターリンを書記長のイスから追い出す問題を討議した
第13回党大会の席上、代表たちに対して明らかにされた。

しかし、代表たちはスターリンが書記長に留任することに賛成する旨主張し、
スターリンが、レーニンの批判に注意して、レーニンに重大な懸念を起させた欠点を
克服することができるようにとの希望を表明した。

スターリンが、党および国家の指導についてとったやり方を分析するとき、また一歩退いて、
スターリンが行ったすべてのことについて考えるとき、我々はレーニンの心配していたことは
当然の心配であったことを確信せざるをえない。

レーニン時代には、ほんの始まったばかりであったスターリンのネガティブな特徴は、
彼の晩年には、スターリンによる重大な権力乱用と変り、わが党に、はかり知れぬ害を
与えたのである。

我々は、スターリン生存中に起ったようなことを二度と再びくり返さないように、
この問題を真剣に考え、正しく分析しなければならない。

スターリンは、指導の面でも、仕事の面でも、絶対に集団性を認めず、
彼に反対するすべてのものに対してばかりでなく、気まぐれで専制的な性格をもった
彼の考えと相入れないとみえるものすべてに対して、残酷な暴力を振ったのである。



上記の一部抜粋:

スターリンは「人民の敵」という概念を創作した。この言葉は理論闘争にたずさわっている人々の
イデオロギー的誤りを立証することなど不必要だという結果を自動的にもたらした。

また、スターリンと意見の合わない人間、単に敵意を持っているのではないかと疑われるだけの人々、
あるいは、悪評のある人たちに対して、極めて残酷な弾圧を加えることをも可能にした。

「人民の敵」というこの概念は、実際にどんな種類の理諭闘争をやることもできなくさせた。

強制的自供(自白)で有罪・まっ殺

大体において、そして実際に「有罪」のただひとつの証拠として使われたものは
-現在の法学のあらゆる規範に逆行して-被告自身の自供(自白)であった。

そしてその後の調査が証明しているように、自供(自白)は被告に対する肉体的圧迫によって
得られたのであった。

こうしたことは、まぎれもなく、革命の合法性を侵犯することにもなり、また、過去において、
党の方針を守りぬいてきた、多数の、全く無実の人々が犠牲にされるという事実を招いた。

かって党の方針に反対した人々についても、我々は、彼らがしばしば、十分な理由もなしに
肉体的にも、まっ殺されてしまったことを明言しなければならない。

「人民の敵」という言葉は、とくに、こうした人々をまっ殺するためにとり入れられた。

党および「人民の敵」として、まっ殺された多くの人々が、レーニンの在世中には、
レーニンと共に働いていたということは事実である。

彼らの一部は、レーニンの在世中にも誤りを犯した。しかし、レーニンは、それにもかかわらず、
彼らの誤りを正し、彼らを党の戦列に引き留めるためにあらゆる努力を続けた。

国民との関係で、スターリンのやり方はまったく違っていた。

レーニンの特色-すなわち人民と共に辛抱強く働き、根気よく骨折って彼らを教育すること、
強制はせず、むしろ思想的な影響によって人々が従ってくるように説得する能力-
こういったものは、スターリンにとっては、まったく縁のないものであった。

スターリンは、納得させ、教育するというレーニン主義の方法をふり捨てた。

スターリンは、行政的暴力、大量弾圧、テロといった方法をとって、イデオロギー闘争という
方法を放棄した。スターリンは懲罰機関を通じて、次第に、大規模、かつ頑強に振る舞い、
同時に、しばしば、あらゆる道徳規範やソ連の法律を侵犯した。





上記の一部抜粋:

7,679名が無実の罪

また各地方でも、広くでっち上げの事件が行われた。スヴェルドロフ州のNKVD本部は、いわゆる
ウラル暴動派なるものを発見した。

この当時の調査物件は、ほとんどすべての地方、州、共和国に右翼のトロツキスト、スパイ・テロ、
サボ組織が存在したこと、また一般的に、こうした組織の首脳部は、州、あるいは共和国党委員会や、
中央委員会の第一書記だとされたのであった。

このような諸事件の奇怪なでっち上げや、あらゆる種類の中傷的自白が受入れられた事実、
お互いの間に、強制告発が実施された結果、多数の、正直・誠実で無実の共産党員が刑死した。

こよらの事件の大部分は、いまや明らかにされており、彼らの大部分は、その罪に根拠がなく、
でつち上げであったため、罪は取消されている。

1954年から現在まで、最高法廷の軍事指導委員会が7,679名の名誉を回復した。
そのうちの多数は死後に名誉を回復された。

党、政府、経済部門の人々、軍人の大量逮捕は、わが国、および社会主義の発展の進路に
恐るべき害を及ぼしたのである。














 





 

 

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

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