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安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ(その2)

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安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ(その2)

 ──“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する

 

 

 

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中川八洋掲示板
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/12/14/210954


安倍晋三よ、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ ──“無交渉・無条約”策に徹する時、ロシアは北方領土を全面返還する

 


2016.12.14
北方領土をロシアに貢ぐ安倍

 

 

 

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

 

第二節 “対ロ売国奴河野一郎安倍晋三、いずれがより重罪か

 かつて外交官の曽野明に、ロシアから確実に北方領土を奪還する方法は、次のABC三心得を守り、この三心得から万が一にも逸脱しないことだと説明した時、曽野明が「その二番目は、親父(「吉田茂・総理」の事)の持論で、中川君は本当に“吉田茂の生まれ変わり”だ」と言った。

 

A 北海道をハリネズミ以上の重武装の要塞化する。  

B ロシアとは決して外交交渉をしない/平和条約は決して締結しない。  

C 「北方領土からロシア軍を撤兵させ、そのあと陸上自衛隊を進駐させる」形の領土返還とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

北方領土+千島諸島」の全面無条件返還の直前までロシアを追い込んでいた吉田茂・総理

 総理の吉田茂は、1954年のまだ政権から追放される以前、「もうしばらくすると、ロシアの方から、南樺太だけははっきりしないが、北方領土(=当時は、四島および千島列島および南樺太の全てを含む)を即時無条件返還したいと申し出てくるぞ」と側近に語っていた。吉田茂のこの推測は数学の解のように正確なものだった。

 

 ロシアはサンフランシスコ講和条約の調印を拒否して退場したため、日本との間に平和条約がなく、1952年4月29日以降のソ連政府代表部はソ連大使館になれず不法組織となっていた。この状態は、外交官扱いのソ連政府代表部の職員は、アグレマンの期限が切れれば帰国せざるを得ず、しかも補充されないから、1954年12月時点ではついに七名になっており、1955年中にはほぼゼロ名になることが確定していたからだ。

 

 つまり、対ロ外交では準天才級だった吉田茂は、「ロシアは、一日も早くソ連大使館を設置して、外交官(ほとんどがKGB第一総局の対日工作員)を大量に送り込みたいはずだから、必ず『北方領土を直ぐ無条件で返還するので、代わりに国交回復をさせていただきたい』と申し出てくる。しかも、それは既に秒読み段階だ」と判断していた。確かに(1952年4月時点)800名もいたソ連政府代表部は、不法組織になっただけでなく、その職員は(1954年12月時点)10名を割っていた(注8)。

 

 なお、ロシア民族には、国際法とか“法の支配”とかは、いっさい存在しない。権力の命令が法秩序の全てである。このように自生的秩序を欠如するため、一般にロシア民族は“紛争における法的な処理”は発想できず、未開部族と同じく物々交換がそれを代替する。だから、「北方領土の返還←→ロシア大使館の設置(=国交回復)」という物々交換が、外交交渉で敗れた場合/外交交渉をしてくれない場合の、ロシアの腹積もりとなっていた。

 

 ロシア民族を知り尽くしていた吉田茂は、こう透視して、ロシアに対する無交渉・無条約主義だけが、確実に北方領土を得撫島以北の千島列島を含めて容易に奪還できると確信していた。また、ロシア側も、吉田茂が1956年まで総理大臣であり続ければ、北方領土を得撫島以北の千島列島を含めて返還せざるを得ないと諦念していた。

 

 ところが、日本に不幸が舞い降りた。この重要な1954年12月、吉田茂が政権の座を追われることになったからだ。しかも、その後釜が、“スーパー外交音痴”鳩山一郎

 案の定、総理になるや、鳩山は、自分の名声を後世に残したい一心から、日ソ平和条約締結と北方領土の奪還を大声で自分の政治の最優先テーマだと宣言した。そして、ロシア工作員共産主義者であるという理由で外務省から馘首されていた“札付きの赤”杉原荒太を顧問にした。安倍晋三が“ロシア人”鈴木宗男を顧問にしているが、安倍は鳩山一郎そっくりで瓜二つである。

 

 その後、鳩山一郎は、この杉原によって、“不法組織”ソ連政府代表部の最後の七名の一人ドムニツキー(ベリア系のNKGB将軍)の操り人形になった。1955年1月以降の日本の対ロ交渉は、すべてロシアの言いなりになるほかなかった。鳩山が調印した「日ソ共同宣言」は、日本側の言い分はゼロ%で、ロシアの最終目標「ソ連大使館が設置できる国交回復」及び「北方領土はいっさい返還しない」を100%その通りに書いたものとなった。吉田茂の無交渉・無条約という最高の外交は、“お馬鹿”鳩山一郎と“ロシア人”河野一郎によって無惨に打ち砕かれて、日本は自滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(現在価格で)六百億円を手にすべく、北方領土をロシアに売ったコミュニスト河野一郎

 戦後すぐ、マルクス資本論』ばかりを読み漁っていたコミュニスト河野一郎は、生涯にわたって、自分を日本国民だと考えたことはない。ひたすら総理になりたいとの野望一心で、共産党への入党も(戦後初の衆議院選挙での)共産党からの出馬も断った。“非・日本国民”河野一郎にとって自分の「敵国」である日本の領土などロシアに呉れてやっても惜しくなかった。詳しくは、『撃論』第七号の拙稿「“売国奴三代”河野太郎を日本から追放しよう」(注9)を参照されたい。  

 

 北方領土を日本が捨てなければ、北海道の貧窮に苦しむ漁民が永久にオホーツク海北洋漁業に出漁できない日ソ漁業協定を、河野一郎が独断で先に締結した理由は、日本側を北方領土放棄に追い込むためである。この結果、鳩山一郎は、何でもかんでもロシアの言いなりになって日ソ共同宣言に署名するか、手ぶらで日本に帰国せざるかの岐路に立ち茫然となった。功名に焦って愛国心がない鳩山一郎は、前者を選択した。1956年10月だった。

 

 なお、この日本騙しの策略で河野一郎は、「日露漁業」等のオホーツク海での漁業私企業を通じ、(ロシアからのご褒美である)当時のカネで20億円を手にした。ロシアは、この「20億円」を日本の漁業会社に違反操業させて稼がせて河野一郎に渡すよう命じ、自らの懐を痛めてはいない。   

 

    

表1;“対ロ売国奴河野一郎より百倍ひどい“史上最凶の対ロ売国奴安倍晋三

f:id:nakagawayatsuhiro:20161214210852p:plain

 

 

 

 

 

 

 

なぜ日本は、1961~78年、1989~96年、北方領土への無血進駐をしなかったのか

 日本人の政治家は、今の外務省の外交官もそうだが、ロシア工作員リクルートされていなければ、ロシアについて全く無知の“お馬鹿”しかいない。なぜなら、ロシアの侵略した領土の返還方式を全く知らないからだ。この度外れの無知において、日本人は“お馬鹿”というより、「日本人=白痴」と見做した方が、適格に的を射ていよう。

 

 ロシアは、侵略地を返還する場合、黙って返還する。交渉で返還することは原則的にない。ロシアは、国際法に則って何事も処理する米国や英国ではない。13世紀のモンゴル帝国のままのロシアは、自国軍隊を撤兵させ、それを固有の領土だと主張する隣国が陸軍部隊を進駐させるのを見届けるのをもって、領土返還の儀式を終了したと考える。この事は、1989年夏のアフガニスタン全土のアフガニスタンへの返還をみればわかるだろう。ロシアは外交交渉でアフガンから撤兵したわけではない。条約で撤兵したわけではない。

 

 あるいは、同じ1989年11月、ロシアは東欧諸国を解放するに、ヤルタ協定の締結相手国である英国と米国と交渉しなかったし、条約を結んだわけではない。ロシアは、「東欧が主権を回復したいというから」「われわれも新思考で対処したい」等と、勿体ぶったド派手演出で、ただ“撤兵する”旨を宣言しただけ。この時、撤兵の条件ではなく、“撤兵をできるだけ早くするため”との屁理屈で、「東欧侵略ロシア軍部隊の将兵の住宅建設費用」と「撤兵費用」を西ドイツからがっぽり召し上げただけ。無交渉・無条約が、ロシアの領土返還の基本的やり方で、これ以外をロシアは知らない。

 

 要するに、ロシアは侵略した領土を正当化するために条約や協定を欲するけれど、手放す時は条約や協定を徹底的に嫌悪し排斥する。理由は二つ。第一は、そのようなものは再侵略する時に障害になるからである。第二は、神に孕まれた無謬のロシアに、恥ずかしい領土放棄の証拠文書など存在してはならないと信仰しているからである。

 

 日本の外務省も政治家も、このロシア民族の基本行動を知らないから、ロシアが「北方領土を返還するので、どうぞ進駐して下さい」のシグナルだった、1961年から1978年の十七年間に及ぶ、北方領土の完全非武装化時代を、日本はフイにした。私は、東大在学中(1963~67年)、旧帝国陸軍の親英米系の元将校たちに、なぜ陸自は無血進駐をしないのかと説いて回ったが、皆、ただポカンとして無反応だった。日本人がロシア民族の対外行動パターンを熟知していた時代は、小村寿太郎外務大臣の引退をもって消えたのである。

 

 ロシアが領土問題の無交渉・無条約を旨としている以上、その返還の合意と儀式は「平和的撤兵と平和的進駐」以外の方法などある筈もないではないか。日本が北方領土を奪還できるチャンスは、上記の東欧解放の時、再び廻ってきた。1989年頃から国後・択捉島の軍事力はみるみるゼロとなり、これは1996年まで確かだった。この七年の間に日本が進駐すれば、エリツイン大統領などロシアは苦々しく思うだろうが、拱手して傍観したのは間違いない。  

 日本が南樺太も千島は占守島まで含めて、北方領土を完全奪還できるチャンスは必ず来る。このために、絶対に日露平和条約だけは締結してはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

安倍晋三よ、長門市で、プーチンに「日ソ共同宣言」の廃棄を通告せよ

 北方領土を奪還するための日本の方策は、1956年の河野一郎のような対ロ売国奴の暗躍などで自壊的にハチャメチャになっている。河野一郎の次は、1973年の田中角栄。続いて1980年代に入るや、「安倍晋太郎小沢一郎」などが掻き回してしまった。

 

 そして、2013年4月からは、河野一郎以上の“対ロ売国奴安倍晋三が、これまた我が国の対ロ外交を全面破壊した。この情況にあって、日本の対ロ外交を再建する方策は、一度原点に戻ってリセットするほかない。すなわち、1954年12月に戻ることである。

 

 ロシアは、米英と異なり、手続きのルールがないので、仕切り直しをすると当方が主張すれば、それで済む。対ロ外交は、郷に入っては郷に従えで、ロシア民族の対外行動と対称性symmetryを根本とすべきである。また、ロシア民族の文化からして、ロシアが困惑したり恐怖を感じたりしたとき以外に、ロシアは決して妥協しない。ロシアを妥協に追い込む方策は、日本の次の宣言こそがもっとも有効ということだ。

 

 即ち、安倍晋三が、プーチンに対し、鳩山一郎が1956年10月に調印した「日ソ共同宣言」を廃棄すると通告することである。この通告は、両国の大使館閉鎖になるため、プーチンは必ず真っ青になる。

 

 何故なら、ロシアの大使館は外交機関ではない。KGB第一総局(SVR)が管轄するその東京支局で、あくまでも謀略機関である。そもそもロシア外務省も、KGB第一総局の下部機関で、自由社会の外務省とは似て非なる組織である。そして、ロシアにとって、国後・択捉島と西麻布のロシア大使館のいずれが重要で価値が高いかと言えば、圧倒的に後者。つまり、ロシアは、ロシア大使館を堅持するためなら、その交換として国後・択捉島を必ず返還する。

(12月12日記)

 

関連エントリ

北方領土をロシアに貢ぐ安倍

 

1、服部英雄『蒙古襲来』、山川出版社、407頁。
 ところで、従来の蒙古襲来に関する専門書/研究書の代表は、相田二郎『蒙古襲来の研究』、吉川弘文館、か。私は、中学二年生(13歳)の時、この著を読んで暗記した。そして、博多湾の百道原(現在は「西新」という)や姪浜、あるいは今津などに遺る防塁の史跡を詳細に見て回った。生の松原の防塁跡は、まだ発掘作業が始まっていなかった。

2、杉山正明モンゴル帝国と長いその後 (興亡の世界史)』、講談社、287~92頁、などを参照の事。
3、リチェルソン『剣と盾―ソ連の情報戦略』、時事通信社、3頁。
4、『孫子』、岩波文庫、148~50頁
5、川添昭二『北条時宗』、吉川弘文館、141頁。

6、頼山陽『日本政記』、白川書院、218~20頁。
7、アルカディ・ワスクベルグ『毒殺―暗殺国家ロシアの真実』、柏書房、などが参考になろう。
8、正確な数字「800名」の資料が見つからないので、本稿ではソ連が表向き公表した数字「500名」が記載されている資料、久保田正明『クレムリンへの使節』、文藝春秋、14頁、を引用する。「占領中、五百人ものの人員を擁して活発な活動を展開したソ連政府代表部も段々と本国に引き揚げていき、当時は十名足らずが細々と働いているに過ぎなかった」。この「五百名」だって異常に多すぎる。彼らは政界・官界・労働界・教育界など日本のあらゆる要所にロシア細胞を構築した。
9、『撃論 第七号 』、75~7頁。

 

 

 


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