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満洲でロシア兵が殺戮した日本人婦女子20万人の地獄に涙しない“非人間”安倍晋三(その2)

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満洲でロシア兵が殺戮した日本人婦女子20万人の地獄に涙しない“非人間”安倍晋三の冷酷非道さは、どこから?(その2)

──安倍のプーチン歓待は、“国際法”「領土は、道徳&《人間の尊厳》のシェルター」を蹂躙する“悪魔の祖先冒瀆”

 

 

 

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中川八洋掲示板
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2016/12/12/172629


満洲でロシア兵が殺戮した日本人婦女子20万人の地獄に涙しない“非人間”安倍晋三の冷酷非道さは、どこから?──安倍のプーチン歓待は、“国際法”「領土は、道徳&《人間の尊厳》のシェルター」を蹂躙する“悪魔の祖先冒瀆” 


2016.12.12
北方領土をロシアに貢ぐ安倍
筑波大学名誉教授 中 川 八 洋

 

 

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

 

第二節 ロシア兵の日本人婦女子大量殺戮を知らずに対ロ交渉するな!

 民族系論客とは、軽重の差異はあるが、歴史事実に全く無知な無教養人である。なのに、雑文にもならないハチャメチャ歴史評論を書き殴る。まさに、民族系論客は、歴史の歪曲と改竄をほしいままにするクズ人間たちと言えるだろう。

 

 その極端なケースが精神異常者の西尾幹二。西尾は、“歴史とは小説である”と嘯き、真赤な嘘歴史も「俺様が書いたのだから、真実だと信仰すれば真実なのだ」と、カルト宗教の教祖として歴史を徹底的に偽造し続ける。 

 

 さらに、民族系論客のほとんどは(全員は?)、多かれ少なかれ、(ロシアKGBの濃い工作下で)北朝鮮人の操り人形となって、「反日」歴史雑文評論を書いている。ニーチェヒトラー狂の分裂病系狂人・西尾幹二はその極端なケースだが、渡部昇一、櫻井よし子、八木秀次小堀桂一郎ほか多数がこの範疇にある。日本会議の事務総長・椛島有三も、暴力団的な恐喝が本業だが、北朝鮮人でロシア対日工作員の名越二荒之助にどっぷり洗脳された“金日成史観”の狂信者である。

 

 

 

 

 

 

満洲でのロシア軍の蛮行を下敷きにした、吉田清治の嘘歴史「従軍慰安婦強制連行の光景」  

 一例をあげよう。民族系論客は、極左学者と死闘の論争をすべき数百ある近現代史の重要争点歴史と、簡略的に言えば、たった一つだけ(or二つだけ、備考)を例外としていっさい論争したことがない。歴史偽造や歴史隠蔽に関して、民族系は共産党朝日新聞と共同行動をとってきた。「保守主義」の竹山道雄や私(中川)のように全面対決しているわけではない。

 

 このただ一つの例外とは、「共産党員・吉田清治朝日新聞の共同情報犯罪によって世界に拡散させられた《朝鮮人女性の戦場性奴隷のための強制連行》は真赤な捏造歴史だ」という主張。

(備考)「二つある」との説は、「南京虐殺」論争を含めている。  

 

 民族系論客は、歴史の学的教養をいっさい欠如するトンデモ素人のため、吉田清治が、捏造歴史『私の戦争犯罪──朝鮮人強制連行』を書くに当って、何を下敷きにして妄想たくましく創作したのかについて無知。だからこれについての言及がない。また、吉田清治噴飯物の真赤な詐称職業が明白なのに(注1)、これすら指摘できない。吉田の「済州島“女狩り”強制連行」捏造小説の嘘話は五十頁を超える長さなので、以下にほんの一部だけ引用する。  

「この工場の中で捕えた娘は十二人で、…トラックへ追い立て始めた。…次の建物に向かった。三十人ばかりの女が静かに蹲っていた。年とった女は追い払って…残った若い娘たちをトラックヘ連行した」(注2)。   

 島あげて“強度の親日済州島のコリアンが異口同音に強く否定するように、済州島史にはこんな法螺話/嘘話は噂や冗談ですら存在しない。悪質な妄想話なのは自明なこと。が、この引用文を「満洲“女狩り”強制連行」の歴史というならば、真実が描写されている。

 年齢的に私より上の世代でまともな愛国心ある教養人ならば、満洲引き揚げ者からその陰惨・残虐な満洲占領中のロシア軍の女狩り/男狩りの実態を、子供の頃に聞いて記憶している。だから、吉田清治の偽情報本を共産党が出版した時、「満洲侵攻ロシア軍」を「日本軍」に、「満洲」を「済州島」に摩り替えていることを直ぐ見破った。

 

 満洲に日ソ中立条約に侵犯して侵略したロシア軍は、その占領中、村や街や収容所を回り、若い日本人女性を見つけ次第、トラックに放り投げるように乗せて、建物の中に集め、地べたであろうと素っ裸にして死ぬまでレイプし続けるのが常であった。抵抗すれば、その場で射殺した。満洲からの引き揚げ者の中で、高等女学校の女学生や小学校高学年の女子生徒がほとんどいないのは、ロシア兵の“女狩り”で凌辱殺戮(自殺を含む)されたからである。

 

 十歳の女児に飲まず食わずで、一日20~30名、三日間昼夜を問わず巨体のロシア兵に代わる代わるレイプされて、生きている事などあり得ない。この余りに悲惨な地獄絵ゆえに、このような情況から耐えて生還し祖国に引き揚げることのできたごく稀な少数者(婦女)は、その悲惨過ぎる酷さゆえに、戦後日本で自らの体験を決して語らなかった。

 

 かなりの数の“ロシア占領下の満洲体験記”が出版されているが、それらは実は、幸運な満洲引き揚げ者が見たり聞いたりした“二次体験記(目撃記)”といえる。レイプ殺戮と餓死・凍死した20万人を超える、野辺に骸となって野犬に食われ墓もない日本人婦女子は、冥界からでは「一次体験記」を書き残せなかったのは当然。

 

 死に際して彼らはさぞ無念だったろうと、我が祖先である彼らに胸を痛める時、本テーマの研究作業中の私の手は、しばしば凍えて動かない。なお数字「20万人」は控えめ。「25万人前後」が実態だと推計される。

 

 

 

 

 

 

 

悪魔ロシア人蛮行の“地獄絵”日本女性凌辱歴史を隠蔽した、共産主義者と民族系の“共同犯罪”

 これら“満洲体験記/回想録”は百冊をはるかに超える。そこで、うち日本国民ならば最低限読むべき本をここでとりあげ、ほんの一部を紹介しておく。  

「(1945年)十月の奉天の朝と夜は(厳寒で)暖房なしにはいられなかったが、中旬過ぎには北満の奥地から戦禍を逃れて続々と南下してくる(北満洲)開拓移民団の避難民が数十日(ほぼ一千㎞)も歩き続けた長途の疲労と飢餓で、奉天に着くや(道端で)バタバタと倒れるのだった(死んだ)」。

「ぼろを(身に)纏っている者はよかった。腰に筵を巻いて垢にまみれたまま、(裸体の背中部分か前の部分か)前後の区別もつかない(途中で支那人暴民に襲われ下着のパンツまで奪われて)全裸の婦女子もあった」(注3、カッコ内中川)。

 ロシア兵による残忍な凌辱光景目撃談は、目撃した生還者ですら99%以上が書こうとはしない。このため、極めて少ない。それでも、例えば、次のようなものがある。

「私達の列車の隣にソ連の軍用列車が停まっており、戦車や自動車、野砲などが積まれ、男女の兵が乗っていた。仲間と一緒に家畜用の貨車の中を覗いて驚いた。藁の上に若い女三人が全裸で、虫の息でころがされている。顔形から日本女性であることが推定されたが、声をかける事もできなかった」(注3)。

「(ロシア人は)女性を狙って毎夜のように難民収容所に押しかけてきた。娘さんが泣き叫びながら、大男のソ連兵に担がれて行方知れずになった(=帰ってこなかった)」(注3)。

「(新京の病院で入院していた8月20日頃)十二、三の少女から二十ぐらいの娘が十名ほど担架に乗せられて運ばれていた。それはまともに見る事のできる姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は、紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血が一杯ついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞き取れない。

 その次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない…」(注4)。

 ロシア兵の残虐な婦女暴行殺害は、13世紀の文永の役(1274年)/弘安の役(1281年)のモンゴル兵が対馬壱岐でやった暴虐と同じである。ロシア民族のエリートはモンゴル民族の血を受け継いだ民族的同系であるため、軍制はドイツ型だが、軍隊文化はチンギスカンのそれを継承した。

 

 だから21世紀に入った今も、プーチン皇帝が率いるロシア軍の軍隊文化は全く「チンギスカン→バトゥ」のまま。八百年経ったが全く変化していない。今から七十一年前の満洲における160万人のロシア兵が、上記のような凌辱と掠奪と殺害とをほしいままにしたのは、「現代ロシア軍=十三世紀のモンゴル軍団」である以上、不思議がる方がどうかしている。

 

 これからも日本人婦女子に繰り返されるロシア兵の暴虐を防ぎたいなら、今からでも遅くはない、一億日本人が一丸となって北条時宗になることだ。なお、モンゴル軍は、対馬/壱岐で捕虜にした日本女性の手に穴をあけここに縄を通して数珠つなぎに浜辺に並べ、兵士たちのレイプに供した。満洲におけるロシア軍の大規模日本女性レイプが、基本的には数十人を集めておいてこれを数百人/数千人単位で死ぬまでレイプし続けたが、これは記録が残っている1274年の対馬/壱岐におけるモンゴル軍団とそっくりである。

 

 

 

 

 

 

 

逃避行で餓死・凍死・病死した日本人婦女子の地獄絵に思いを致さない、倫理道徳なき安倍晋三

 我々が忘れてはならない、満洲におけるロシア軍占領下の逃避行で餓死・凍死・病死した日本人婦女子の惨状とは、こうであった。

「ある母親は、餓死した赤ん坊を紐で胸に括りつけて歩いていた。死体は腐敗し、死臭を放ち、蛆が湧き出し。母親の身体まで這っている。人々(周りの日本人)の言葉に耳を貸さず、完全に狂ってしまった姿だった。

 

 (逃避行の)進む道の両側には(日本人の)死体が累々と続き、延びていく。歩きながら倒れ、再び起き上がらない(息を引き取る)。朝を迎えるたびに新しい死体が山をなす。私達家族は、弱り始めた父をTさんに庇ってもらい妹を背負って貰い、必死で生きた。木の皮をしゃぶり、草をかじった」(注3、カッコ内中川)。

 

「(延吉市での)大勢の収容所生活で、日に十数人、いや二十数人、幼児や子供が死んでいきました。(すでに赤ん坊の長男と二歳の妹も死んだ以上)これでは子供たちが皆死んでしまうと考えた母は、残る(五名のうち四名)私たち一人一人を中国人に預けました。当時五歳だった妹だけは、母が働く家で母と一緒でした」(注3、カッコ内中川)。

 

「拉古には、1万4千人の老幼、婦女子が収容されていた。その生活は全く悲惨で、食糧は少量の高粱と塩。燃料は古電柱を古釘や鎹などでひっかいて作るのである。

 

 最も哀れをとどめたのは幼い子供であった。栄養失調と麻疹(はしか)にかかった者は片っ端から死んでいった。多い日は七十人も死んだという。六百人ぐらいの子供が拉古で死んだ」(注3)。

 

「畳も布団もない収容所では、麻疹、百日咳、ジフテリア等の伝染病が広まり、五歳以下の子供はほとんど亡くなった」(注3)。

 

「(零下25度の小雪降る奉天駅で1945年11月21日正午、難民を迎えにホームに行った。無蓋車から降り立った)三、四十歳ぐらいの女性もこれまた麻袋を巻いただけの素足、裸姿で新聞紙にくるんだ赤ん坊をじっと抱きしめていた。ほとんどの者が素足、裸のままで、…(そのまま一㎞先の)収容所に向かって行進する。歩いて十五分くらいの所なのだが、2700名の全部が辿り着くのに、何と三時間もかかった。(この移動中の)途中で十二人が死んだ」(注3)。

 

 

 

 

附記1;日本国民ならば必ず読むべき四冊

 “プーチン犬”安倍晋三は、人間以下の家畜動物“犬”だから、読んではいまい。なお、外務省の外交官を含め、この四冊を読まずに、いかなる対露交渉もしてはならない。読まなくてよいのは、真正の日本人である対ロ国交断交論者だけだろう。この四冊を読んでいない「ロシア専門家」は、ロシア対日工作員と断定できる。

 

● 文芸春秋編『されど、わが満洲』、文藝春秋、1984年。

● 浅見淑子ほか『凍土からの声』、謙光社、1976年。

● 角田房子『墓標なき八万の死 満蒙開拓団の壊滅』、番町書房、1967年。

● 『昭和史の天皇』第六巻、読売新聞社、1980年。 また、1945年8月以降の満洲邦人の情況につき全体的な基礎知見をもちたい場合には、次の三冊が必読である。

● 満蒙同胞援護会『満蒙終戦史』、河出書房新社、1962年。

● 満洲開拓史刊行会『満洲開拓史』、1966年。

● 満ソ殉難者慰霊顕彰会『満ソ殉難記』、1980年。

 

 

 

 

附記2;満洲でロシア兵の大規模レイプは、事前にモスクワからの命令に関東軍参謀部が了解?  

 満洲ロシア軍のレイプというと、「敦化市における日満パルプ製造(王子製紙の子会社)の女性社員への数日間の集団強姦」など、いくつかだけが多少、今に記憶されている。だが、これらはほんの一部で、0.1%も満たさない。

 

 学術的な問題は、二つある。第一は、学界では戦後一貫して、満洲樺太での、ロシア軍による対邦人女性凌辱・殺害に関する統計学的な研究調査が検閲状態で積極的に排斥されたこと。

 

 第二は、関東軍ソ連軍の対日侵攻を、かなり前(1944年11月~1945年5月)から確信していたのに、在満洲の邦人婦女子の「奉天以南への疎開」を断固として拒否し続けた理由につき、一本の学術論文すらない異様さ。7月の段階でいえば、松村知勝と瀬島龍三が、この疎開禁止の急先鋒であった。推定だが、歴史の真実は、ロシア兵の慰安のため、日本人婦女を差し出すことを(ソ連軍の指揮下にあった)関東軍参謀部は1945年7月頃には「了解」と通告していたのではないか。

 

 事前疎開の禁止や、全く戦力にならない在満男児20万人を7月に動員したのも、その妻・娘をロシア兵が妨害なしでふんだんにレイプできるようにするためだったと考えられる。8月19日、日本人婦女子「数十万人」が未だ満洲の山野を暴民とソ連軍を避けて逃避行しているのを知りながら、さっさと武装解除して、国際法で認められている邦人保護権を関東軍が放棄したのも、このレイプ殺戮をロシア兵に堪能させるためであったと考えれば、腑に落ちる。

 

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

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