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22 「内なる敵」に蓋いを被せる中西輝政

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22 「内なる敵」に蓋いを被せる中西輝政








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22 「内なる敵」に蓋いを被せる中西輝政


2008年04月22日 17:20







 “敵国の魔手”から祖国を守るには、まず「内なる敵」との壮絶な戦いが何にもまして優先される。通常、「外からの敵」とは軍事的進攻を指し、「内なる敵」とは、構内に浸透した敵国からの情報操作工作員、およびそれにリクルートされた味方内の敵通謀者を指す。

 さらに厳密には、この「内なる敵」は、?敵国のスパイ(officer)群や?これにリクルートされ蜘蛛の巣のように祖国内に張り巡らされた自国民の工作員(AGENT、エージェント)だけではない。「内なる敵」の最凶は、?外国から浸透してきた、国民全体が嗅がされて頭が麻痺するエーテルのごとき“悪魔の思想”や“転倒の情報”である。



 国家は、平時にあっては特に、この「内」に浸透した「敵なる人」と「敵なる思想」「敵なる情報」の二つの敵を排除する“戦争”を欠いてはならない。「浸透してきた人という<内なる敵>」に対する戦いを“カウンター・インテリジェンス”といい、「浸透してきた悪の思想や撒布された偽情報という<内なる敵>」に対する戦いを“カウンター謀略(思想)戦=対抗情報宣伝戦”という。





 戦前日本を例とすれば、?1919年からの共産主義の流入を阻止する、つまり“悪魔の思想”の浸透阻止という、思想内戦をしていれば、1930年代以降の日本のような、?国内の政治・軍事の中枢におけるあらゆる部署がソ連の工作員ばかりという、いわゆる国家がソ連に簒奪された状態にはなっていない。また、これらの巨大な赤い蜘蛛の巣を日本の政府と軍ならびにジャーナリズム・学界に張り巡らせた数十人をはるかに越えるソ連のGRU/NKGBのオフィサーのうち一人も国外退去させていないという、前代未聞の“カウンター・インテリジェンス不在”という、日本の国家的堕落も発生してはいまい。

カウンター・インテリジェンスは、“対抗思想戦/対抗情報戦”なしには、真に有効な結果をもたらすことはない。




さて、中西輝政の『国家情報論』であるが、実に奇妙なことに、ノンフィクション作品として、戦前の外国のスパイごっこをほんの少しばかり面白おかしく語るが、現在に続く、戦後のロシアの大規模な対日工作に関しては、そんなことはこの世にさも存在しないかのごとく、口を固く閉ざす。どれほどトンデモない偽情報工作を中西輝政がしているか、以下、例をいくつかあげて証明しよう。


まず最初に、鳩山一郎の対ソ北方領土返還交渉を大敗北(1955~6年)に陥れていくロシアの手口を復習することにしよう。こんな重要で初歩的なソ連の工作事件について、触れようともしないとは、中西がソ連の工作員だからである。








一、 ドムニツキー/馬島僴/杉原荒太/河野一郎にやられた「外交音痴」鳩山一郎


 反共・反ソだった吉田茂が退陣するや(1954年12月)、消滅寸前のソ連政府代表部の代理大使、実はKGB中将のドムニツキーが、直ちに音羽の鳩山御殿を訪ねる。このアレンジをしたのが、元外交官で参議院議員のコミュニスト杉原荒太である。吉田が戦後、尾形昭二その他とともに追放した“赤い外交官”のひとりである。

 当時の外務省には反共反ソの外交官が吉田によって固めれていたから、ソ連は「杉原荒太ー→鳩山一郎」の外務省の外のルートで鳩山の籠絡に成功した。ソ連は、1952年4月に米国の占領軍が去ったあと、直ちに、対日工作のフロント組織をつくっていた。尾形昭二の日ソ親善協会であり、馬島僴が事務局長を勤める日ソ国交回復国民会議である。



鳩山は、このようなソ連の策謀につき外務省から、口酸っぱく注意されながら、総理になった有頂天から聞こうとはしなかった。しかも、ドムニツキーは、朝日新聞その他の日本のマスメディア媒体を使って、鳩山ブームを演出していたから、鳩山は自分の人為的人気を政治家としての自分の本当の才能だと幼稚にも錯覚していた。しかも、これは、「稀代の外交音痴」鳩山が慢心に暴走したソ連工作の一つにすぎなかった。


鳩山一郎に対する罠のもう一つは、このためにシベリア拉致・強制労働の百万人の内、その0・3%にすぎない「未帰還の最後のグループ」三千名を“人質”にして、鳩山に「北方領土か、早期帰還か」を迫ったのである。実際には、鳩山がこのソ連のこけおどしに乗ったため、鳩山が何も交渉せず無視すれば1955年に帰還できたのに、この三千名の帰還は一年間遅れた。しかも、北方領土が還らないことになった。



さらに、ドムニツキーは、たまたま農林大臣で総理の椅子を狙う野心家でコミュニストであった河野一郎を北方漁業の利権で一本釣りに成功した。河野一郎は農地改革で大地主の息子から貧乏百姓に転落した少年時代の恨みから、青年時代マルクスばかりを読み漁って実質的な共産党員であった。



この河野一郎のソ連との密約は、1956年5月の日ソ漁業協定において、国交回復がなければ、日本の北方漁場への出漁ができないような協定条文を挿入したら、その見返りに、当時の金で20億円分(現在で400億円ぐらいか?)の魚を協定外で獲り放題してよいというものであった。実際に、河野一郎は、日露漁業(株)から20億円を手にした。自民党の幹事長であった岸信介が河野のこの売国行為に怒って農林大臣室に押しかけた話は有名であろう。実際に、一発殴ったらしい。

ともあれ、カウンター・インテリジェンスとは、このドムニツキーの工作を把握して直ちに国外退去させることだし、杉原荒太や尾形昭二そして馬島僴を逮捕できる法制度を創っておくことである。中西の「インテリジェンス・リテラシー」などの抽象語で、敵性国家の浸透(情報侵略)など防げはしないである。












二、“出口論”の大キャンペーン――対抗情報戦をしなかった日本


 ドムニツキーが、このとき日本に対して行った工作の第一がマスメディアであり、特に朝日新聞はソ連の言いなりの報道に徹した。雑誌『世界』と『中央公論』がこれに伴奏した。それらの大キャンペーンは、「領土よりシベリア未帰還者」「領土より魚」であり、また「国交回復すれば領土は直ちに還る」の“出口論”であった。

 日本は、日本に浸透したソ連が大規模に展開する情報戦に対抗して、対抗情報戦、すなわちカウンター謀略戦をしなかった。日本は、南樺太を含む北方領土が労せずして奪還できた、吉田茂が敷いた“無交渉の交渉”の果実が収穫できる寸前、インテリジェンスに無知で謀略戦など理解もできない欠陥政治家である鳩山一郎によって、ぶち壊したのである。


 それはともかく、カウンター・インテリジェンスと対抗情報宣伝戦の不可分性は、少しは理解できたかと思う。中西はなぜ、このような基本中の基本について具体的かつ学問的に語らず、路上のポン引きかのように、やたらにムードよろしく「インテリジェンス」という言葉ばかりを振り撒くのだろう。
 












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