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5 毛沢東崇拝の「反米」中西輝政は、「親米」に牙をむく―荒唐無稽な「幣原喜重郎=A級戦犯」論

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5 毛沢東崇拝の「反米」中西輝政は、「親米」に牙をむく―荒唐無稽な「幣原喜重郎=A級戦犯」論









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5 毛沢東崇拝の「反米」中西輝政は、「親米」に牙をむく―荒唐無稽な「幣原喜重郎=A級戦犯」論



2008年04月22日 17:33








中西輝政は、奇怪な論表が多い。学者ではないから学問的にハチャメチャなのはいいとして、そこには必ず極左のマルクス主義が頭を隠して尻隠さずで潜んでいる。『諸君!』2006年2月号のエッセー「幣原喜重郎こそA級戦犯」は、このひとつにすぎない。


このエッセーで中西氏が言いたいことは、幣原がいなければ日支戦争は1937年7月でなく、1927年の南京事件で始まったから、毛沢東による赤化支那があと10年早くできた。それゆえ時代と支那情勢を正しく読んだ幣原によって「赤い中国」の誕生が遅れたのは実に「悔しい!」「許さない!」、ということであろう。


 「親英米」の幣原の実際の外交には稚拙な面も失策も多々あるが、「1927年の支那」が「1915年の対華21か条を突きつけられた支那」ではもはやないと理解したことは、当時の日本の政治家・官僚の中では時代を見抜くずば抜けた炯眼の持ち主であった。それよりも中西氏の荒唐無稽は、1924年6月から1927年4月と、1929年7月から1931年12月までの外務大臣が、10年後の1937年7月の盧溝橋事件から1945年9月2日の戦艦ミズーリでの降伏までの間の大東亜戦争における「敗戦責任」があるとする点である。こんな連関付けは、まさしく‘風が吹けば桶屋が儲かる’の大法螺こじつけである。中西氏は次のように言う。


 「A級戦犯以外に、日本国民に対してあの敗戦の責任を負わせるべき人物がいるのか・・・いるとすれば・・・1人は間違いなく幣原喜重郎である」(43頁上段)


中西氏のこの荒唐無稽なこじ付けのための、でっち上げた奇怪で笑止な非歴史とは、1927年の南京事件に対する武力行使もしない、幣原の対支協調路線が、1931年の満州事変を不可避にしたのであるというこんなバカバカしい架空話を石原莞爾が聞いたらなんというだろうか。

『リットン報告書』ですら、日本の支那の権益と満州の権益とを峻別して、満州の日本の権益の方は支那側に侵害される謂れはないと結論づけている。当時の英米は、ハル・ノートでもわかるように、支那(China)と満州(Manchuria)を峻別しており、混同していたのは中西氏のように日本だけであった。なお石原莞爾は英米的に区別していた少数派であった。


南京事件で居留民保護に英国に和して砲撃した方が良かったと果たして言いうるのか。まずこの軍事的行動を日本が止めた理由は、居留民の方がニコライエフ港の二の舞になりたくないからと、現地の海軍部隊に依頼し、現地部隊が独断でこれを受け入れたためであった。幣原や政府の判断ではない。中西氏は歴史を知らない。結果は偶然に正解であった。

なぜなら南京事件は、日本と蒋介石を戦わせることを狙った毛沢東とボロディンの策謀であった。毛沢東が仕組んだ1937年8月の上海事件とそっくりである。いや、中西氏はこのことを知って幣原を糾弾している。なぜならこの南京事件が毛沢東と「コミンテルンの工作員」ボロディンの工作だと概ね知った蒋介石は、南京事件を起こした第6軍(3個師団)を直ちに解散し、暴行を実行した兵士を銃殺にした。しかもこのとき毛沢東は上海で共産政権を立ち上げる予定であり、南京で日本が蒋介石と戦闘していたら、この上海革命勢力への蒋介石の先制攻撃が不可能になっていた。つまり、中西氏は1927年の上海に毛沢東政権ができなかったことが悔しいのである。
 


中西氏の歴史を知らないふりは続く。「(1927年の南京での幣原の<軟弱外交>で、日本は)<満州事変への道>を不可避ならしめた点で、第一級の戦争責任を日本国民に負うべき人物」と難詰する(43頁下段)。

すなわち中西氏の歴史のこじつけは、「?支那の対日権益保護を幣原が武力でしなかった→?満州の権益が侵害された→?満州事変をせざるをえなかった→?大東亜戦争になった→?大東亜戦争で敗戦した」である。だがこの?以降は、日本共産党史観そのものであり、東京裁判の論理でもある。


毛沢東崇拝の同志として土井たか子を熱烈に支援していた中西氏は、1997年年頭、突然社会党と縁を切った。が、この『諸君!』のエッセーを見る限り、2006年でも毛沢東凶徒であるのをやめてはいない。
東京裁判をことのほか糾弾する日本会議は、中西氏を重用する。日本会議はいつ、「日本共産党史観=東京裁判史観」に転向したのだろう。
 
 











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