“ソ連崇拝のマルキスト”堺屋太一の正体
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マルキスト・堺屋太一
堺屋太一の思考 チンギス・ハン=レーニン
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74 “ソ連崇拝のマルキスト”堺屋太一の正体
2010年08月15日 12:55
一九三五年生の堺屋太一は、本名は池口小太郎だが、経済評論家としても、小説家としても、また博覧会の企画力にしても、その才はずば抜けている。東大理一に入り建築工学科に在籍し一級建築士の資格をとり、その後、経済学部に入学し直し、卒業後は通産省に入省した。
通産省の官僚時代からベストセラー小説『油断!』を出版したり、吉永小百合(共産党員) と見合いをしたり、あるいは大阪万国博覧会を企画したり、その多才ぶりは尋常ではない。一九七八年、四十三歳のとき、通産省を辞め執筆・講演に専念することとなり今日に至っている。
ところが、有名人である堺屋太一に関して、不思議なことに、彼の本当の信条あるいは実像についてはまったく知られていない。隠す才能が先天的に備わっていたもさることながら、堺屋には“思想の素性”が明らかになる可能性をもつテーマを扱わない周到な用心深さがあった。
だからであろうか、彼の人脈には共産党系の学者や経済人もいないし、全共闘系とも交流がなく、小渕恵三が経済企画庁長官(1998年7月~2000年12月)に抜擢したように政界関係でもすべてが自民党であった。つまり、人脈から尻尾が覗く迂闊な失敗は、堺屋には無縁であった。
「堺屋太一は保守系ではない」との噂が多少、大蔵省そのほか経済界で流れたのは、ITクーポン券バラマキなど経済企画庁長官としてのハチャメチャな仕事ぶりからだったが、この噂は大きくは広がらず、彼の長官辞任とともに消えた。
しかし、堺屋太一は、東大経済学部では、すでに退官していた労農派の巨魁である大内兵衛直系のゴリゴリのマルクス経済学の信奉者であった。このことは、マルクスの『資本論』をニュートン力学並みの科学的真理とする堺屋の学士論文において明快に証明される。以下、堺屋の思想における真像を少しばかり垣間見ておこう。
一、堺屋の珍説「元寇は日本が招いた/日本に非がある」に隠された意図
堺屋太一が“左翼”ではないかとの疑いが広まった最初は、2005年4月6日のNHK番組「そのとき歴史は動いた――大陸から見た蒙古襲来」(松平定知キャスター)における、堺屋の荒唐無稽な狂妄な奇説が開陳されたからである。この番組で堺屋は、モンゴルの元帝国の対日侵略(蒙古襲来、元寇、1274年と1281年)は、日本が蒙古の友好の意思(1266年の『国書』)を読み間違い、対応が逆になったが故に招いたのだから非は侵略された日本にある、と主張したのである。
具体的には、堺屋は「日本には隣国との友好という概念がなかった」「グローバルな知識がなかった」と日本をなじり、この自国難詰の自虐を通じて、隣国を奴隷的に服属させて可能なかぎりに収奪するか皆殺ししかしないモンゴルの世界帝国を庇った。これが馬鹿馬鹿しい大嘘であるのは、南宋の滅ぼし方や高麗国におけるモンゴルがやった収奪の残酷性において明らかではないか。
堺屋が、これほどの本末転倒をもって、モンゴルの元寇を無理にでも正当化したいのは、実は、ソ連による日本全土占領が悲願であった本心をソ連崩壊以前の一九八〇年代では隠していたが、ソ連が崩壊したからいっきにかねてからのこの本心を、ソ連をモンゴルに置き換えて吐露したのである。堺屋は、ソ連軍の対日侵攻を正当化するロジックを、モンゴルの元寇に用いている。
もともと堺屋は、一九七九年十二月のソ連軍のアフガニスタン侵略に歓喜した。これは、当時の社会党や共産党あるいは朝日新聞と同じである。だから、ソ連が日本全土侵略するのを公然と期待した社会党委員長の石橋政嗣との対談で「日本に侵略する20~30万人のソ連軍はソ連政府もちの公費留学生」だと嘯いた憲法学者・小林直樹(当時は東京大学教授)とは、堺屋太一は同じ意見を共有する同志であった。
確かに、石橋政嗣・小林直樹の対談のような(『月刊社会党』1984年1月号)、活字における証拠は堺屋太一にはない。だが、堺屋の個人的な会話で、1980~84年頃、堺屋太一が小林直樹と同じ発言をしたのを聞いたものは幾人もいる。
堺屋は、松平定知とのNHK番組のあと、このモンゴルの対日侵攻を正当化する小説を二〇〇六年二月から日本経済新聞社の朝刊に連載した。それが『世界を創った男 チンギス・ハン』である。堺屋のチンギス・ハンは、実はレーニンを投影したレーニンの代用であり、この小説の主人公をレーニンと置き換えながら読むと、堺屋の思想がはっきりしてくる。レーニンは「世界を創った」のだから、日本はグローバルな視野をもってレーニンのこの世界戦略に協力しソ連の属国になるべきである・・・・・・・・・と。
二、首都移転――堺屋の巧妙な天皇制廃止
堺屋は共産党と同じく激しい天皇制廃止論者だが、それを直接的に口に出すほどおろかではない。この意味では、一九九〇年代、天皇制廃止を公言して回った福田和也のような軽佻さは堺屋にはないと言えよう。堺屋は、みずからの天皇制廃止革命を実現する妙案を思いついたが、それが首都移転である。
東京都内のど真ん中にある皇居を解体撤去しそこを高層ビル群にすることは、いうまでもなく天皇制廃止に一直線につながる。しかも、それは結果として起こりうるのであって、堺屋太一が天皇制廃止を主導した証拠にはならない。堺屋の狡知さは、第一級である。
堺屋が首都移転を主張したのは、社会経済国民会議の中に新都建設委員会という研究グループを設置した1987年に始まる。地下の高騰に便乗したのである。これは、1990年7月に報告書がまとめられ、その一般用のが同年末に刊行された。堺屋著『新都建設』(文言春秋社)である。
その主張は、東京一極集中の弊害を除くという大義名分において構成されていたから、首都移転が天皇制廃止が主眼であるなど、誰も気付かなかった。例外は谷沢永一ぐらいであった(『皇室伝統』五五頁)。
しかし、「首都である以上、皇居も一緒に移転するのは当然」と堺屋太一はいうのだから、人口わずか20~30万人の小さな新都における皇居もまた県知事公舎並みの「ミニサイズ」となるのは不可避であり、それでは天皇の権威は地に墜ちる。これが、首都移転に賭ける堺屋の隠された主眼であった。この種のやり方で天皇制廃止の着実な基盤をつくろうとしたのは、共産主義者であった河野一郎・建設大臣が最初だが、堺屋太一は「河野一郎の天皇制廃止」を継承する忠実なコミュニストともいえよう。
三、『油断!』に見る、日本滅亡願望
堺屋太一の思想が、共産党に酷似していると感じたのは、一九七五年に出版されてベストセラーになった『油断!』を読んだ時であった。中東における石油高騰からの石油不足に対処するには原子力への転換があるし、中東以外の石油もあり、石油への油断はいけないが、だからといって、『油断!』の結論のように、日本全体の(経済の混乱は起きても)経済の破滅や産業の消滅など現実的にはまったくの極端な妄想でしかないが、この妄想を堺屋が嬉嬉として弄んでいるのには、異様な違和感以上のもの、つまり堺屋の闇のような心の病を感じた。
堺屋が、日本経済が崩壊し江戸時代並みの産業構造に退化し、また日本人が飢餓に苦しみ配給で細々と生きるそのそうな社会に陥ることを祈願しているのは確かだろう。だが、この問題は、インテリジェンスに不可欠な思想解剖の方法論のためのケーススタディの枠をはみ出すので止めにしよう。
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