中共の侵略―チベットの悲劇
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人間の命を虫けらのように扱うのが、左翼、共産主義者
左翼は平和、人命第一をとなえながら、大量虐殺を平気で行う人間の皮をかぶった悪魔(鬼)である!
中共への属国化を推進する日本の左翼たち
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自民党安倍政権が仲間入り
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(2010-02-08日掲載)
チベットの悲劇
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民主党並びに左翼政党支持者に問う
友愛で中国に近づく民主党および民主党支持者並びに左翼政党支持者は
自分および日本国の悲劇を想像せよ。
日本の未来の姿はチベットだ。
日本を中国の奴隷国家にしようとしているのは
民主党を支持している貴方たちなのだ。
民主党は左翼・社会主義政党であることを知らなければ
ならない。今は正体をマスコミによって、
隠されているだけである。
民主党支持者は自分が、国家解体、社会主義・恐怖政治を
推進しさらに中国の属国にしようとしていることに、
気がつかなければならぬ。
中国共産党は日本人の考えがおよばぬほど、腹黒いのだ。
本当に日本をチベット化したいのか?。
民主党も民主党支持者も例外なく、 中国共産党の民族浄化
の犠牲になることを覚悟しなければならない。
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チベットの地図(クリックで拡大)
チベットの絵図
世界の亡命チベット人
中国共産党による弾圧の歴史
刑務所や強制労働収容所での死亡事例
チベット亡命政権 情報・国際関係省著「チベット入門」より抜粋
刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。
これら収容所から生還した人の話によると、毎日10~30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で8,000人以上が死亡したという。
また、中国が解放軍の仕事だったと主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりするのが見られたという。
東チベットの例では、1960年~1962年の間に、ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者のアディ・タペさんは証言している。
また、チベット亡命政権が収集した情報をまとめると、 1949~1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。
チベット3州での死者数 (チベット亡命政権のまとめ)
ウ・ツァン カム アムド 合計(人)
拷 問 93,560 64,877 14,784 173,221
死 刑 28,267 32,266 96,225 156,758
戦 闘 143,253 240,410 49,042 432,705
飢 餓 131,072 89,916 121,982 342,970
自 殺 3,375 3,952 1,675 9,002
傷害致死 27,951 48,840 15,940 92,731
合 計(人) 427,478 480,261 299,648 1,207,387
チベットの歴史
神話時代 ・チベット文明の誕生
B.C.127-
・古代の歴史
・ ショル石碑(ドリン)の建立
1639-1911 ・清王朝との関係
1857-1911 ・英領インドとの関係
1947 ・インドとの関係
<共産中国のチベット侵入>
1949/08/10 ・中国国民党政府、パンチェン・ラマ6世の転生者を認定
1949/10 ・共産党軍、中国全本土を掌握
1950/11/11 ・チベット政府「共産中国による侵略」を国連に提訴
1951/09/09 ・中国共産党軍、ラサに到着
1959/03/10 ・ラサでチベット蜂起開始。中国はチベット人87,000人を殺害して蜂起を鎮圧
・ダライ・ラマとともに80,000人のチベット人がインド亡命
・ 周恩来首相、チベット政府の解散を宣言
1960/04 ・チベット亡命政権がインド北西部ダラムサラに移動
1962/11 ・「チベット自治区(TAR)」の僧院と尼僧院の97%、TAR以外のチベット地域の僧院と尼僧院の98~99%が無人化ないし廃墟化
・ 後にチベット亡命政権の宗教・文化省が集計したところでは、全チベットの6259カ所の僧院、尼僧院のうち、破壊を免れたのは8カ所だけだった
1979/07 ・トウ小平、チベット解放政策を発表
1984/06 ・チベット亡命政権、中国による侵略および占拠の直接の結果として、120万人のチベット人が死亡したと発表
■ 侵略された独立国家
関連情報 『チベットの歴史』 『チベットを巡る国際協定の推移 』
中国支配以前、チベットが独立主権国家として存在していたことが、2000年以上も前の歴史に記されている。
近年では、1913年にはモンゴルと蒙蔵条約が、1914年にイギリスとシムラ条約が締結されていることでも、チベットが完全な独立国家として認識されていたことが明らかである。
ただ、国際連合に代表をもたなかったために、世界は中国の侵略と破壊行為をただ傍観することを容認してしまったのである。
チベット人は繰り返し中国からの独立を訴えてきた。
我々チベット人は非暴力による抵抗運動を行ってきているが、チベットでは10歳にも満たない子供達が「チベットは独立国家だ」とか「ダライ・ラマ法王にご健勝あれ」とささやいただけでも、中国は『母国』を『分裂』をたくらんでいると告発し、投獄を宣告されることが多々ある。
チベット国旗に似たものを所持するだけで、7年間投獄される。
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(2010-02-02日掲載)
中国共産党の恐怖
侵略国家中国
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侵略大国中国
武力で自国に組み入れてしまった国
チベット、東トキスタン、南モンゴル
自国と主張している国
台湾
これから自国に組み入れようとしている国
日本
その他世界中を狙っている。
その前に
中国とはどのような国か。
歴史に学ぼう。
◆ 中国は謀略を第一に用いる
孫子以来、中国政府の要諦とは謀略が第一であり、中央集権の統一メカニズムを維持するために盛んに情報操作・政治宣伝・悪質な謀略を用いる。本気で武器を用いた殺し合いをするのは愚か、と孫子は説いた
日本や欧米と違って中国はガチの戦は苦手で北方民族や英国や日本に実戦ではいつも完敗。
その代わり 中国の政治家は謀略を常に張り巡らす。自分は力を温存し相手を分断し内部
内部に手を突っ込んで混乱させてから、おもむろに平らげることを上策とする 。
唐が高句麗や突厥を滅ぼした時もそうだったし毛沢東が現体制を築いたときも同じ事をしている。孫子呉子の兵法書にも戦は下の下策とある。
今、中国は盛んにダライ・ラマを陥れる謀略戦を国際社会に対して仕掛けている 。 戦前の日本に対しても同じことをしていた筈である 。( 当然今の日本に対しても、である )
昭和初期の日本の対中外交方針が迷走を重ねたのは、当時の日本人にも今とそれほど変わらない中国に対する(中国の現実とは遊離した)甘い手心があったため である。(そういう意味では、日本も中国も全然昔と変わっていないといえる。)
甘い手心や根拠のない和平への期待と、現実の中国の無法さの合間で日本は翻弄され、その間に中国側には米国への謀略工作を着々と進められて、日本はあの無謀な戦争に追い込まれていった ・・・私達はそういう風には学ばない(それどころか日本が一方的に悪かったとばかり教え込まれる)が、調べればそれを示唆する資料は沢山ある。
◆ 満州の失敗はむしろ平和主義
満州に限らず 「現在においても失敗を繰り返す」可能性が高い のは、
① 日本人は「共存共栄」志向で行動するのが当たり前だと思っている 一方、
② チャイニーズには「共存共栄」などという言葉は無く、「弱肉強食」志向で行動する ことです。
日本 が 「共存共栄のサイン」 として 譲歩を繰り返し ても、 弱肉強食のチャイニーズ にとっては、それは 「弱者が自らの肉を強者に差し出した」としか見ない のです。
満州政策 において 日本政府の幣原喜重郎 は、いわゆる 幣原外交 と呼ばれる 平和外交路線 で チャイナに譲歩 し、 満州 についても 「侵略の意思を持たない証」 として 「満州において日本軍がほとんど軍事行動できない」ようにしてそれを国際社会に約束 しました。
それは 「共存共栄思想をもつ人々」の間でならまさに平和外交となったかもしれません が、 弱肉強食思想のチャイナ政府 にとっては、 「満州で何をやっても日本軍は動けないし、もし動いたら国際社会に訴えればよい」 という 「侵略の絶好の機会」を提示してしまった にすぎませんでした。
(人民解放軍が侵略するまで独立国であったチベット同様、満州もチャイニーズの国ではなく、清朝時代は満州にチャイニーズが立ち入ることすら禁じられていました)※注1
※ 注1:「長城以南が漢族の土地」今の中国の領土は中共が満州・南モンゴル・東トルキスタン・チベットを侵略して成立したもので、本来の漢族の領土ではない。
そしてチャイナが何をやったかといえば「数千万人の棄民を満州に送り込んだ」のです。もちろんチャイナ政府は棄民たちに「資金」や「土地」を渡したりはしません。
要するに「生き延びたければ騙し暴行し殺して満州人や特に日本人居留民から資産も土地も奪い取れ」ということです。
かくして満州各地で詐欺や暴行殺人レイプ放火が相次ぎましたが、日本人の生命財産や通商路を守るべき日本軍は日本政府の政策によって手足を縛られたまま有効な対策を取ることはできませんでした。リットン調査団が満州を視察したときには「満州の人口過半数をチャイニーズが占める」だけでなく、調査団に対して満州人が口々に「日本人の悪辣さを訴えさせる」ようにしました。
かくして 日清戦争・日露戦争を戦い抜き、膨大な犠牲と莫大な戦費を支払って満州に生き延びる道を得ようとした日本 は、 「チャイナの謀略によって大陸から追い落とされる寸前」にまで追い込まれました 。そして 結局、現地の日本軍が泥を被る形で「満州事変が起きた」ことで、かろうじて「日本はその命脈を保つことになった」 のです。
しかし日本政府は日本軍に手を合わせるどころか「平和外交をぶち壊した」と非難し、目の前で多くの日本人居留民が殺され暴行され日本の生命線である通商路まで奪われかけたのを見てきた日本軍は、「もはや政治家に日本の命運を任せて置けない」と思いつめ始めたわけです。(その結果はよく知られる通りです)
結局何が悪かったのか といえば、
① 「チャイナとはそういうもの」だと理解して取り扱わなかった日本の「政治家」の責任 であり、
② 当時もマスコミに踊らされてそのような政策を歓迎していた「国民」の責任 でもあります。
(ちなみに「国家権力者」はあくまで「幕府」や「政府」であり、天皇はそれを担保する権威者です)
そして、この チャイナのメカニズムは現在もまるで変わっておらず、日本のお花畑の政治家やそれを応援する市民も、その危険性にまるで気づいていない ようで、 「歴史が隠蔽されたまま」では「過ちは繰り返される」 でしょう。
◆ 昔も今も謀略に潰される日本
・・・ 今の日本も危ない
(1)日韓併合は韓国側の要請によるもので、日本が侵略したのではない。
(2)大東亜戦争(太平洋戦争)の目的は、①国家の自存と②東亜の安定(解放)であり、東南アジアを侵略したのではない。
以上は、教科書やマスコミ報道はともかく、ネット上ではもはや多数意見と言っていいでしょう。しかし、ここまでは理解できている方でも、現状では未だ多数が
(3)しかし、中国に対しては日本は侵略を行った。
という固定観念から抜け出せていないように見えます。
(実際には、 清朝の下で自治を許されており、清朝崩壊後には日本と結ぶ等の手段で各々独立を志向した諸民族を、日本敗戦後に中共が侵略・併合した 、というべき ⇒下図参照)
"日韓歴史問題"の真相がネットの発達でかなり普及したことに較べて、より複雑な"日中歴史問題"の真相は、まだまだ一般に知られていません。
(これには、 通州事件のような確定している歴史的事実 や、 旧ソ連機密文書のような重要な新資料 を、 意図的に隠蔽するマスコミ・教育界の反日姿勢 が大きく関わっています)
チベットの悲劇
マンガ(クリックで拡大)
中国による侵略と統治
民族浄化
中国共産党は徹底的に宗教を弾圧し
4500あったチベットの寺の
99%を破壊、現在残っているのは、
中国の発表でも45しかない。
7000あった僧院も
9割以上が破壊され、
15万人いた僧侶も中国の発表でも
わずか1400人程度となっている。
わしが「正義」と「人権」を信じられないのは、
このチベット問題を国連もアメリカも
日本も、見て見ぬふりを
決め込んでるからだ!
日本のマスコミは全く報道せず。
中国共産党の正体
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