“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(16)── 西尾幹二は、反日極左の“半藤一利(日本共産党員)の舎弟”(1/2)
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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/09/11/150943
西尾幹二は、反日極左の“半藤一利(日本共産党員)の舎弟” ──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(XVI)
2014.09.11
カテゴリ:西尾幹二の妄言狂史
筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
大東亜戦争のうち帝国海軍がかかわった戦史・軍事史・人物史に関する戦後の出版物のうち、山本五十六に関するものは、三グループに分かれる。
第一グループは、山本五十六や真珠湾奇襲を美化し英雄化して反米闘争に、いや日本人白痴化改造をして日本を再亡国させる再対米戦争に駆り立てるべく、背後のロシアや北朝鮮に連動した極左イデオロギーから山本五十六の真像を歪曲し同時に山本海軍戦法の超愚昧を逆に讃える、日本の共産主義・アナーキズム勢力の群れ。表1の半藤一利/工藤美代子/鳥居民/田中宏巳/福田和也の五名がその代表である。
表1の西尾幹二だけは、背後に外国工作機関の影がちらつかない。が、生まれながらの「無国籍人」でニーチェ型アナーキストを本性とする。このため、日本の亡国を決定づけ反日の極限行動となった“山本五十六の真珠湾奇襲”に恍惚として酔い痴れる。よって、このグループの代表的“悪の作家”には西尾幹二も入る。
表1;米国に“東京を焼き尽くさせる”山本五十六の悪魔性に歓喜する「超反日」人
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偽情報宣伝本
所属
その他の偽情報本
半藤一利
『山本五十六』
日本共産党員、
コミュニスト
『ノモンハンの夏』
『日本のいちばん
長い日』
工藤美代子
『海燃ゆ ──
山本五十六の生涯』
ロシアKGB
第一総局(SVR)、
コミュニスト
『ハーバート・ノーマン
の生涯』『われ巣鴨
に出頭せず──
近衛文麿論と天皇』
鳥居民
『山本五十六
の乾坤一擲』、
『歴史通』の
論考(注1)。
ロシアKGB
第一総局(SVR)、
コミュニスト
『原爆を投下させる
まで日本を降伏
させるな』
『近衛文麿<黙>
して死す』
田中宏巳
『山本五十六』
吉川弘文館、
2010年
日本共産党員、
コミュニスト
福田和也
「山本五十六──
昭和海軍とその
悲劇」『諸君』
2005年6月号~
2007年4月号で
未完(備考)
北朝鮮人、慶大の
中核派、大江健三郎
と同じ事実上の
北朝鮮工作員、
ドウルーズ系の
ポスト・モダン
(人間絶滅・国家廃滅
主義)。福田の保守
擬装は“芸”
雑誌『諸君』『正論』
に寄稿した近現代史
の福田和也作品は、
華麗な“福田文藝”
をみせつけるが、
その根底における主張
で共産党やソ連
工作員・北朝鮮工作員
と異なるところは
皆無である。
西尾幹二
「真珠湾攻撃に高い
道義あり」、『正論』
2013年12月号
日本民族の廃滅を
祈願する「ニーチェ
・ ヒトラー主義。
対日工作機関には
所属せず。
西尾が福田和也と
同志関係なのは、
ポスト・モダンが
ニーチェ・ヒトラー
主義の進化態で、
両名が同一思想を
共有するため。
『GHQ焚書図書開封』
第一~九巻。(備考)
この全九巻を、北朝鮮
の金正恩が書いた
として、読み直して
見よ。誰も何の不自然さ
も感じないだろう。
「西尾幹二=金日成」
だからである。
“論壇の嘘つき
ワースト・スリー”は、
山本五十六心酔でも
共通する、福田和也/
西尾幹二/半藤一利。
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備考;私の知る限り未完のようだ。完成していれば、そのモチーフは山本五十六擁護論。また、「大義(=米国との戦争開戦)を未来に向かって語れ」『正論』2007年2月号などの他の作品と総合すれば、真珠湾攻撃・対米戦争開戦を「悲劇だったが大義」として美化するものとなっただろう。
第二のグループは、第一のグループの暗躍によって、戦後も人為的につくられた山本五十六の人気にあやかって、自分の出版物を売り印税稼ぎを図る作家たち。『山本五十六』(新潮社)の阿川弘之が、この典型。森山康平(注2)などもここに括られる。
なお、阿川弘之は、嘘をつくことを徹底的に教育した“倫理欠如の無道徳軍隊”帝国海軍出身らしく、彼の書いたものはすべて、白髪三千丈の真赤な嘘ばかり。たとえば、海軍における新兵への惨にして陰のリンチ横行は、陸軍よりひどかった。だが、阿川は、「海軍には、陸軍と違ってリンチはなかった」など卒倒するほどの虚偽を嘯く。
弘之の長女・阿川佐和子が嘘つきでないのが実に不思議。ただ、学問業績ゼロの長男・阿川尚之(慶大教授、慶応義塾理事)は、頭が悪い上にひどい嘘つきで、父親そっくり。
日本の海軍士官を、強度の嘘つきに徹底育成した“世界最低の軍隊”帝国海軍
第三のグループは、太平洋戦争の主役で「主犯」の帝国海軍の生き残り出身者群。これら帝国海軍の、幸運にも死ななかった海軍エリート達はほぼことごとく、山本五十六のみに焦点を当てた著作とは限らないが、潰え去ったかつての栄光の帝国海軍について、荒唐無稽な大嘘をデッチアゲル大嘘つきばかりと言える。
後述する僅かな例外を除き、戦後における“帝国海軍(主として海兵卒)出身の元海軍軍人はことごとく大嘘つき”は、やはり公理といえよう。このことの具体的な例証は、拙著『連合艦隊司令長官 山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像』の一三七頁に、真赤な嘘の回想記・ノンフィックション作品を書いた海軍生き残りの、次の十四名リストを掲げておいたので、是非そちらもご覧頂きたい。
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「阿川弘之/実松譲/吉田満/野村実/大井篤/高木惣吉/奥宮正武/井口力平/山本親雄/中澤佑/石川信吾/福留繁/富岡定俊/保科善四郎」
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公理“帝国海軍(主として海兵卒)出身の元海軍軍人はことごとく大嘘つき”を無視した大東亜戦争論は、戦史や軍事史を含めて虚偽満載となるだけでなく、日本人を騙さんとする悪意があるため、必ず「反日」性おびただしいものとなる。
戦後日本で、日本人騙しの悪意がなく、嘘や間違いが少ない帝国海軍に関する著作を出版した帝国海軍出身者は、池田清/千早正隆/冨永謙吾などに限定される。良心があったのは、おそらくこの三名。この三名の著作以外で、安心して読めるものはない。
この三名以外の主要なものは、先に述べた拙著一三七頁の「表8」にその出版物の一部も示しておいたが、いずれも、海軍の犯した犯罪的な開戦過程をうやむやにする歴史の改竄と、敗戦の責任を逃避する狡猾な言い訳と責任転嫁に終始している。大東亜戦争中の大本営海軍部(帝国海軍)の自国民である日本人騙しはひどかったが、戦後も帝国海軍は、生き残った元海軍エリートを通じて、この自国民に対する偽情報宣伝戦を止めなかったと言いうる。海軍特攻を制度化した海軍中将・中澤祐(作戦部長)は、多くの海軍関係者に「生きている内に真実を語って謝罪せよ」と迫られながら、死ぬまで言い訳に終始した。
「大本営発表」とは“真赤な大嘘”を意味する戦後の日本語にもなった。が、第一節の表2でわかるように、正確には「大本営海軍部発表」と称すべきもの。
本稿がとりあげる、対英米戦争を開始した“首謀者”山本五十六にかかわる出版物について言えば、この三グループ以外に、第四のグループが存在する。
山本五十六は、精神医学的にはサイコパスと分類されうる人格異常者。このため、山本五十六には善悪も良心も存在しない。この無道徳で人間性を喪失した異常人格において、山本は先天的に強度の嘘つきでその達人でもあった。ために、山本五十六は、海軍の内部でも海軍の外でも人を騙すのが日常だった。彼の騙しに長けること、他の追随を許さない。
とりわけ、山本五十六が書き残した手紙などは、自分の本心をカムフラージュするためのアリバイ工作ばかり。“騙しの達人”山本五十六のアリバイづくりに最も活用されたのが、海兵同期の「親友」で親英米(対米戦争反対論)の堀悌吉だった。堀のような仁徳の高い人物も、山本にかかれば「バカアホ間抜け」の定冠詞がついてしまった。友人は選ばなければ、仁徳など台無し。
“郷里の後輩”反町栄一も同じく、五十六にうまく利用された。反町は『人間・山本五十六』(光和堂、一九五五年)という、山本五十六の逆像を描き、日本国にとってはトンデモナイ本を後世に残した。阿川弘之の『山本五十六』とともに、戦後の山本五十六にかかわる山本嘘神話流布に一役買った。阿川と異なって悪意はなかったにせよ、反町の本の罪は深い。
第一節 東京を焼け野原にしてやる!──“世紀の嘘つき達人”山本五十六の“反米狂”はどう形成されたか
まず、帝国海軍が異常な嘘つき軍隊だったことは、「大本営海軍部発表」が、完膚なきまでに実証している。帝國海軍全体が、ナチ・ドイツのゲッベルスになっていた。
昭和天皇と帝国陸軍と日本国民の三者を、意識して騙すことを考え、それを実行したのが「大本営海軍部」であった。帝國海軍のように大規模な騙しの犯罪組織は、国民騙しを行政の根幹としたソ連共産党との類似性が高い。
帝國海軍発表の「戦果」を調査したGHQは、日本海軍の余りの嘘八百に唖然としたことが記録されている。日本側でのこの分野の研究者はただ一人、冨永謙吾(注1)しかおらず、他の生き残り海軍の将官や高級佐官達は口をつぐんで隠蔽工作に勤しんだ。
山本五十六の研究者なら必ず冨永謙吾の『大本営発表 海軍篇』を読むべき。が、一般の方は拙著『山本五十六の大罪』の数ページの簡単な記述でも充分だろう(注2)。そこで私がまとめた表の一つを表2として転載しておく。
米国には空母が一九四三年末現在では「十四隻」しかないが、帝國海軍は「二十六隻を撃沈した」と発表した。だったらアメリカの残存空母は「マイナス12隻」となる。「マイナス12隻」なんぞ、妄想でも描けない。
朝日新聞は、帝國海軍のこれらの真赤な嘘発表を十分に知っていた。が、海軍発表の通りに、絶えず一面で大きく掲載し、帝國海軍の国民騙しの片棒を積極的に担った。日本国民が、海軍が実際には米国に対し深刻に敗北している情況を知って、日本国内に対米講和の声があがる動きを封殺するためだった。朝日新聞は、ソ連・スターリンと周到に謀議して、これらの嘘報道に血道をあげていた。朝日新聞は、大東亜戦争中、敵国ロシアの手先として日本人騙しを紙面づくりの絶対規範とした。
表2;実際の戦果をほぼ十倍にデッチアゲた“世界一の嘘つき”帝國海軍
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正規空母
戦艦
巡洋艦
帝國海軍発表の
アメリカ軍艦の
撃沈数
26隻
12隻
79隻
アメリカ海軍の
損害がなかった
場合の保有数
14隻
24隻
56隻
日本の新聞紙上
から算定した
残存アメリカ軍
艦数
-12隻
12隻
-23隻
実際に帝國海軍
が撃沈した戦果
の隻数
4隻
3隻
8隻
帝國海軍が
発表した
嘘戦果/実際
の戦果
6.5倍
4倍
10倍
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(備考)1943年末現在の数字である。
米国(真珠湾)攻撃を狂妄し続けた山本五十六
厖大な数の帝国海軍の士官の中で山本五十六のみただ一人、真珠湾攻撃を発想しそれにのめり込んでいく。山本五十六以外で、真珠湾攻撃を発想し企図したものは、あれほど膨大な海軍士官がいたのに、一人もいない。
山本五十六がいつ真珠湾攻撃を真剣に考え出したかは、記録の限りで言えば、真珠湾攻撃の十三年前、山本が海軍大佐のときで一九二八年だった。水雷学校での講演においてである。
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「対米戦開始の暁には、まず真珠湾を攻撃すべし。消極退嬰の戦法(「邀撃漸減戦法」のこと)では、勝ち目はない」(注3)。
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続いて一九三〇年にも、山本は、「反米」かつ「対米戦争主義」の同志である末次信正(軍令部次長)に、真珠湾を空母艦載機により空襲(経空攻撃)すべしと進言した、と末次は回想している。
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「・・・『(ロンドン条約で)劣勢比率を押し付けられた帝国海軍としては、優秀なる米国海軍と戦うとき、先ず空襲をもって敵に痛烈なる一撃を加え、然るのち全軍挙げて一挙(太平洋艦隊との)決戦にいずべきである』・・・」(注4)。
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山本五十六は、一九三四年、吉田茂が自分の後継者にしたいと考えていた外務省のホープNo.1で親英米派の“逸材”斉藤博と次の会話をしている。斉藤博は、米国との戦争を理解していない山本の余りの稚拙で粗暴な持論に呆れ果てている。
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「空母十隻と、航空機八百機を準備する。それだけで真珠湾とマニラ湾を空襲し、太平洋艦隊とアジア艦隊をつぶすことは確実にできるんだよ。(これによって)少なくとも一年間は、太平洋にアメリカの船(軍艦)と飛行機は存在しないってわけさ。それだけの戦争はやって見せる」(注5)。
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この「一年間」が経過した後はどうするのか。斉藤博も鋭く詰問しているが山本は答えない。山本五十六は、この「一年間(や二年間)」の後に米国が猛反撃をしてくることは(さまざまな発言の記録から)予測・期待していたのは間違いない。
すなわち山本は、東京を含め日本列島の方が、この猛反撃してくる米国の空襲で焼け野原になることを予測していたようだ。この問題は後にして、山本が真珠湾への空襲を考える原点が、山本の異常な「反米」感情にあると喝破した米国人がいる。
作家のウィラード・プライス。彼は、一九一五年、訪問した瓜生外吉・海軍大将の邸にたまたまいた日本の若き海軍士官にインタヴューしていた。それは実に偶然だが、三十一歳の山本五十六だった。山本の海軍少佐への任官は一九一五年十二月だから、この邂逅がその前であれば、山本がまだ海軍大尉の時になる。
プライスは、パール・ハーバーとマニラ湾奇襲の直後、二十七年前にしていたインタヴューの記録メモを引っ張り出して、雑誌『ハーパーズ・マガジン』(一九四二年四月号)に山本五十六に関するエセーを発表した。そのタイトルは、「アメリカの(ヒトラーに次ぐ)第二の敵、山本」であった。
このエセーには、山本の一九一五年当時の発言が記載されている。プライスがなぜ海軍兵学校に入学したのかと問うた所、山本は次の返事をした、と。
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「ペリー提督のお礼参りがしたかったまでさ」(注6)。
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山本五十六の明治維新政府とその首都・東京への憎悪は、“東京を焼け野原にしたい”の怨念に燃える過激を越えた狂気のレベルであった。この異常な「反日」の原点が、戊辰戦争で長岡城が炎上して藩がつぶされた恨みであることを、私はつとに喝破していた(注7)。が、このプライスのインタヴュー記録は、戊辰戦争が起きたきっかけ・原因として父親の高野貞吉が、ペリー提督の四隻の黒船まで深く恨み、この対米怨恨を息子の五十六にこれほどまでに洗脳していたのを如実に明らかにする。
「反日(反・明治維新政府)」と「(明治維新を起こすに至った米国を許さない怨恨感情としての)反米」の複合において、山本五十六は、対米戦争を、海軍兵学校に入学する前の十七歳(一九〇一年)時には決意していたことになる。そして、この対米戦争をパール・ハーバー奇襲で開始するとの考えに集約したのは、遅くとも一九二八年(四十四歳)以前であった。これが、日本海軍のパール・ハーバー奇襲が誕生する、最核心の歴史である。
が、「パール・ハーバー攻撃の絶対勝利」条件である三隻の米空母撃沈はならず、太平洋艦隊の三隻の空母はすべて無傷であった。山本の真珠湾攻撃の目的は、真珠湾攻撃の日に潰え去った。
だが、日本ではパールハーバー攻撃について、「アメリカ太平洋艦隊の戦艦群を一網打尽」(注8)などに狡猾にすり替えた国民騙しの真赤な嘘が、当時も、そしてそれから七十年以上も経た今でも信じられている。日本人の馬鹿さには呆れるほかはない。
パール・ハーバー奇襲の戦果ゼロ──山本五十六の嘘宣伝を今も信奉する幼児・日本人
正確には、戦果は完全なるゼロだった。獲物の空母三隻はパール・ハーバーにはおらず、目標不在で戦果以前であった。つまり、パール・ハーバー奇襲の主目標物が、パールハーバーにはいなかった以上、戦果など初めからあろうはずもない。
しかも軍事的に撃沈だと分類できるのは、「アリゾナ」「オクラホマ」のたった二隻の戦艦のみ。これでは付随的な戦果もゼロというほかない。パール・ハーバーの水深は浅く、撃沈しても撃沈にならないからである。一見撃沈されたかに見えた戦艦のうち、戦列に復帰しなかったのは、たった二隻(注9)。残りの軍艦は、戦闘能力を強化されて戦列復帰となった。真珠湾攻撃は、日米海軍力バランスにおいて逆効果となった。
•戦意高揚の展示用に沈没したままにした戦艦「アリゾナ」。
•真珠湾攻撃の後、スクラップのため加州に曳航中に東太平洋上で沈没した戦艦「オクラホマ」。
(備考)サルベージが放棄された戦艦「ユタ」は、すでに廃艦が決まっていた老朽艦。戦果に数えることはできない。「アリゾナ」と異なって展示用にもならず、今もパール・ハーバーの海底に横たわっている。
南雲忠一・海軍中将が率いる当時世界最高の六隻の空母からなる、当時世界最強の空母機動部隊は、では何しにハワイを奇襲したことになるのか。波濤六千㎞を踏破する、当時ギネスがあればギネス・ブックに記録されただろう、世界最長の長距離攻撃の実験をし、この実験に成功した、これ以外ではない。つまり、軍事技術的に実に画期的な海軍戦術開発の大成功であって、戦争の戦果をあげたのではない。
「ペリー提督の黒船→明治維新・近代化→日清・日露戦争勝利」を恨む山本
山本五十六とは、生まれながらに“歴史が無い/世界が無い”ニーチェ的な人格として育った。夢も希望も無い暗澹たる失意の人生であった父親・高野貞吉の、明治維新を恨む、明治維新を産んだペリーの来航を恨む、ただひたすら怨恨(ルサンチマン)だけが生を支える異常な家庭で生まれ育ったのが、山本五十六である。
日本人のほとんど全員は、ペリー来航に“神の見えない手”を感じ感謝する。ペリーの来航が無ければ、滑り込みセーフでギリギリ間に合った、明治維新による日本の近代化も、あれほどタイムリーにできたとは考えられないからである。
だから、久里浜には、「北米合衆国水師提督伯理(ペリー)上陸紀念碑」と刻まれた巨大な石碑が建立されている(日露戦争前夜の一九〇一年)。そればかりか、一九八七年には、横須賀市内に、二階建ての「ペリー記念館」が建てられた。戊辰戦争で会津藩とともに逆賊として薩長に滅ぼされた長岡藩の元藩士の家系で、薩長を恨むものはかなりいたが、ペリー提督にまで逆恨みを遡及したのは、高野貞吉・山本五十六の父子ぐらいであった。異様な家系である。
第二節 山本五十六英雄化の嘘キャンペーンは、日本を再び対米戦争させるのを狙った“日本人狂気化洗脳工作”
山本五十六についての嘘に限らず、「昭和史全体の嘘漬け」を人生の生業とする作家といえば、誰しも半藤一利の名を思い出す。半藤一利は共産党員だから、嘘を吐くことが宗教信条告白行為。この嘘つき行為から一日たりとも怠惰であることはコミュニストには許されていない。
“共産党員で熱烈な「反日」活動家”半藤一利
例えば、安倍晋三総理が全力投入している、日米同盟の健全化を図るための集団的自衛権の解釈正常化に対して、日米同盟に憤怒を煮え滾らせる半藤一利は、日本の共産革命を阻害する日米同盟を破壊すべく、共産党の外郭団体である朝日新聞に寄稿した。半藤は、「日英同盟条約」「日独伊三国同盟条約」に関する、次の抱腹絶倒する奇説に怪気炎を上げる。
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「日本はロシアを仮想敵国とし、抑止力を名目に英国とてを結んだが、日露戦争が勃発。次に米国を敵国と見立ててドイツ/イタリアと三国同盟を結んだものの、太平洋戦争が起きた。いずれも抑止力とはならず。相手に<敵視政策>を取らせました」(注1)。
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日英同盟は、ロシアと戦争をすることを決意し、この戦争での勝利のために締結したものである。日英同盟は、抑止力としての同盟ではなく、戦争勝利のための同盟条約である。三国同盟も同じ。その締結は、すでに欧州で第二次世界大戦が始まりナチ・ドイツが英国に上陸せんものと英本土を猛爆撃している時の一九四〇年九月に締結した。
日本の三国同盟条約締結は、対英米戦争を遂行し勝利するための戦争同盟。日本は、この条約で世界と英国に対して戦争決意を宣言した。この意味で、対ソ/対中の戦争抑止力としての戦後の日米同盟は、戦争遂行・勝利のための二同盟条約とは異次元。
半藤の詭弁は、「同盟」という二文字が同じなのを悪用したもの。半藤らしい詐言である。半藤は、共産党員として憲法第九条改正の運動家でもあり、その存在は日本国の平和を毒する害虫の典型。共産党お手製のパンプレットに(注2)、「日本は、憲法第九条の理想を地球全体に訴え、先頭にたって人類救済の方策を模索すべきである」と書いている。麻原彰晃の「アルマゲドン」と同じカルト宗教の狂気だから、「半藤一利=麻原彰晃」としても、ニュートン力学の公式と遜色がない。
ハワイ作戦の大失敗を逆さに「大成功」と言い募る、半藤の偽情報の狙いは何か
半藤は、山本五十六の真意を、歴史事実を歪曲改竄し、真赤な嘘で粉飾してこう言う。
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「敵の本陣に殴りこんで一気にケリをつけて早く講和を結ぶ。長期戦に持ち込まれたら国家(日本)を惨澹たる亡国に導くことになる。何があっても短期決戦で戦争を終わらせる。それが山本五十六のハワイ作戦でした」
「山本さんの頭の中には、このハワイ作戦がもし成功すれば素早く講和に持ち込み、惨敗すれば直ちに戦争を中止せざるを得なくなる。そのときは自分は責任をとって腹を斬って死ぬのみ、という考えがあったのだと思います」(注3)。
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ここまでの口から出任せは、共産党員で“嘘つき常習の小説家”半藤の面目躍如である。半藤の真赤な創り話は、次の通り。
第一に、「敵の本陣」といえば首都ワシントン。だが、ワシントンや米国本土からはるか西方の太平洋上の僻地ハワイが、どうして「アメリカの本陣」なのか。半藤は、米国の首都はさもハワイであるかに読者を騙そうとしている。
第二に、ハワイ作戦の勝利とは、①空母三隻の撃沈、②軍港パール・ハーバーの石油備蓄&施設の潰滅、③海軍工廠の潰滅、④オアフ島の占領、の四つを達成した時を指す。仮に④をしないとしても、①②③は最小限の絶対だろう。①②③の完全達成をしないハワイ作戦など初めから意味が無い。
だが山本五十六は、司令官の南雲中将に②と③はしないでよいと命じた。戦後、黒島亀人・大佐は、自分がそう決め山本が同意したものだと、米国戦略爆撃調査団の訊問に白状した。かくして、撃沈空母ゼロ/400万バーレル以上が備蓄されていた石油油槽施設は無傷/海軍工廠はほぼ無傷という戦果ゼロにおいて、ハワイ作戦は完全な大失敗・大失策だった。一輪車で東京から大阪に通勤するナンセンス以上のナンセンス、それが山本五十六のハワイ作戦であった。
この石油油槽施設には、一九四二年の一年だけで、さらに燃料重油「869万5824ガロン」が追加された。アメリカ太平洋艦隊は、この有り余る追加重油で、その後は太平洋を縦横無尽に行動した。
すなわち、半藤の第三の嘘は、山本のハワイ作戦によって米国は長期戦の政治体制と軍事態勢とがともに整備され、「日米海軍間戦争は長期戦に持ち込まれた」のだから、「山本五十六は、米国の長期戦態勢づくりと日本の惨澹たる亡国を企図してハワイ作戦を決行した」と正しく&客観的に記述すべきに、「山本は、短期決戦で戦争を終わらせるハワイ作戦を考え実行した」と、一八〇度逆の真赤な創り話を嘯く。
半藤の第四の極め付きの真赤な嘘は、日本のハワイ作戦が上記の①②③④を仮に達成したとしても、米国に日本と講和しなくてはならない情況など生まれないにもかかわらず、「講和になったはず」と、無根拠の思い付きを吹聴することにあろう。米国としては、この場合は、太平洋艦隊をカリフォルニア州のサンディエゴに再構築して対日戦争を継続しただろうことは、当り前の自明ではないか。
山本は初めから、真珠湾攻撃というアメリカに蚊の刺した程度の被害を与えて、米国全体を怒らせ日本に対して反撃させ、日本の亡国とりわけ東京の焼け野原を企図したのである。これが、ただ一つの歴史の真実である。
半藤の第五の嘘は、ハワイ作戦で講和どころか日本は対米無条件降伏しかない対米泥沼戦争に陥ったのに、山本は切腹なんぞしなかったこと。
山本は切腹の全く逆に、冷房の利いた戦艦大和ホテルに滞在して優雅な南洋バカンスを死ぬまで永く楽しんだ。連合艦隊の司令部は横須賀の陸上に作るべきだが、山本は“日本を焼け野原にしたい”との自分の真意が覚られないよう、また地球上から消し去りたいほどに大嫌いな日本国から遠く離れていたく、トランプ三昧ができるトラック島を自身の居場所に選んだ。
山本はハワイ作戦に大失敗したのだから、半藤の妄説にしたがえば、責任をとって切腹したはずである。日本の共産革命のため偽情報戦の第一線で活躍する半藤一利の嘘は、プロ級の詐欺師レベルであった。
“日本亡国の奈落の谷”真珠湾攻撃(対米戦争)を先導した海軍高官は山本五十六一人。山本を擁護する“偽情報工作員”半藤一利の心底に秘めた狙いは何か
日本側からの対米講和をもし提案できるとすれば、あくまでもロッキー山脈以西のカリフォルニア州/オレゴン州/ワシントン州の三州の占領をしておくのは最低条件だろう。少なくともハワイの占領は絶対的最低条件。
日露戦争でも、奉天占領(南満洲の占領)をしたから、ポーツマスでの日露講和交渉が可能になった。太平洋戦争も、沖縄を米国が占領したから、米国は講和に至る降伏勧告のポツダム宣言を発した。
戦争の講和は、陸地の争奪戦とその優劣情況の発生によってしか始まらない。パール・ハーバー軍港を奇襲して戦艦二隻を沈めた戦果ぐらいでは、どんな国でも万が一にも講和などの妄想に走ることはない。海戦だけで戦争の決着がついた例が、人類六千年の歴史にあるのか。もしそうなら、ハンニバルなど世界史に名を遺していまい。
山本五十六が真赤な嘘「太平洋艦隊をつぶせば講和が生まれる」と一九四一年に喋った(手紙に書いた)のは事実。が、こんな妄想戯言の類を仮に信じたとすれば、(海軍大臣の及川とともに)海軍大臣の嶋田繁太郎は“バカの極み”でトンデモ海軍高官だったということであって、それ以外ではあるまい。
半藤は、山本五十六に対米講和の考えなどひとかけらもなかった事実を了知しておきながら、山本五十六を「対米戦争反対だった」との荒唐無稽な虚像デッチアゲに全力をあげる。これだから、良心の呵責が全く無く、ひたすら“嘘を吐くマシーン”共産党員・半藤一利は怖い。
上記に引用した部分における奇天烈な半藤の主張を裏づける根拠は、海軍大臣・嶋田繁太郎へ山本五十六が送った一九四一年十月二十四日付け書簡一つだけ(注4)。半藤がなぜこの書簡を持ち出したのか。言うまでもなく、山本五十六の対米戦争開戦責任を、昭和天皇に転嫁するためである。
そもそも嶋田海相へ送ったこの手紙は、山本五十六が対米戦争の責任を昭和天皇に押し付けることも目的の一つ。このため、戦史研究者の間では、昭和天皇に対する不敬になるので、この書翰に言及するのを避けるのが一般的。次の“”が、半藤が引用した当該書簡の一部。「」が、“”に対する半藤の意見。当該箇所での、半藤の記述はすべて、対米戦争の責任を昭和天皇に転嫁を目的としたもの。
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“今日の事態にまで追い込まれたる日本が、果してさように転機し得べきか、申すも長きことながら、ただ残されたるは尊き聖断の一途のみと、恐懼する次第にござ候”(注4)。
「(このように開戦一ヵ月半前の十月二十四日の)段階まできてしまった時、山本五十六が一縷の希望としたのは、天皇の<対英米戦争、開戦を許さず>の一言でした。しかし、(十一月五日の御前会議おいて)山本が望みを託した天皇の一言はついにありませんでした」(注3)。
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嶋田海軍大臣への書翰の核心は、「真珠湾攻撃を国家の最終意志に決定してくれ」の一点に絞った嶋田へのお願いである。来る十一月五日の御前会議では、昭和天皇のご聖断が仮にあっても、このご聖断に逆らって、対米戦争開戦(真珠湾奇襲)を断固として決定する側に立ってくれというもの。だから山本は、「開戦劈頭有力なる航空兵力をもつて敵本営に斬り込み 彼(米国)をして物心ともに当分起ちがたきまでの痛撃を加ふるの外なしと考ふるに立ち至り候」「桶狭間と鵯越と川中島とを合わせ行ふ已むを得ざる羽目に追いこまるる次第にござ候」と書いたのである(注4)。
そもそも山本五十六の真珠湾奇襲プランは、一九四一年一月からの、山本個人の偏執狂的な異常な拘りだったことは、及川海軍大臣への書簡(注5、一九四一年一月七日付け)で明らかではないか。そして、山本五十六が主宰した、九月十六日の海軍大学校での真珠湾奇襲の図上演習および十月九日~十三日の戦艦「長門」における真珠湾奇襲の図上演習とは(注5)、真珠湾奇襲のプランが山本五十六個人の博打(遊び)として考案され実行された歴史事実の、紛れもない証拠。これに反証できる歴史事実など一つもない。
だが、半藤一利にかかると、この対米戦争開戦の主導者で首謀者の山本五十六が、一八〇度逆転されて、「非戦論者」とか、「対米戦争反対論者」となる。半藤の詐話力は、黒い烏を白い白鷺だと言いくるめる悪徳弁護士の性悪詭弁術に優る。
半藤一利は、嶋田への書簡の改竄をするのではなく、この書翰は「長門」での真珠湾奇襲図上演習を、この演習時の決行日「対米開戦十二月八日」まで、そのまま現実に実行できるよう協力懇請した手紙だと、正しく素直に読むべきだろう。だが半藤は、改竄的な意図的誤読をした。山本五十六と同じ“対米戦争狂の使徒”として半藤一利は、日本をして再びの対米戦争をさせるべく、教宣の洗脳本『山本五十六』を書いたのである。
(続く)
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“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(16)ー “半藤一利(日本共産党員)の舎弟”(1/2)
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